神との対話
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『神との対話』は、アメリカ人ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsh)が書いた書籍。原著は英語(英文タイトルは、Conversations with God)で、1995年にアメリカのHampton Roadsという小さな出版社から出版され、大手出版社のG.P Putnam’s Sons が版権を取得して翌年改めて出版しベストセラーになり、日本を含めて世界の20か国で翻訳・出版された[1]。日本語訳は、吉田利子によるもので、サンマーク出版から、第1部が1997年に、第2部が1998年、第3部が1999年にそれぞれ発刊されている。
続編として「神との友情」(Friendship with God)2部作を 2000年に、「神とひとつになること」(Communion with God)を 2001年、「新しき啓示」(The New Revelations)を 2003年、「明日の神」(Tomorrow's God)を 2006年に執筆出版し、2007年に出版された「神へ帰る」(Home with God)で、神との対話シリーズを完結させている。
目次
1沿革
1.1著者ウォルシュの生い立ち
1.2『神との対話』が始まったいきさつ
2概要
2.1神の宇宙創造
2.2魂の創造
2.3人間の創造と人間の構成要素
2.4人生
2.5生と死
2.6前世・現世・来世
2.7地獄
3『神との対話』の内容とキリスト教教理の相違点
3.1堕落と原罪
3.2キリストと救済
3.3輪廻と地獄
3.4選民と宗教
4脚注
5関連項目
沿革
著者ウォルシュの生い立ち
著者は、小学生時代、神父のような聖職者になることが夢だった。それは父親の反対でかなうことなく、マスコミ関係の仕事を手始めに、医学、政治などいろいろなことを経験している。
私生活では、複数回の離婚を経験し、時にはホームレスの生活をしたこともある。まさに聖職者からホームレスというありとあらゆることを経験し、波乱万丈の人生を送っている。
彼は、『神との対話』をおこなって、「自分の人生は、今のためにあったと気付いた」と述懐している。
『神との対話』が始まったいきさつ
著者は、1992年のある日、行き詰まった人生に憤怒し、テーブルに置いてあったノートに怒りや失望の思いを、神に当てて書きなぐった。
書き終えてしばらくすると、自分のペンを持つ手が、何者かの力に拘束され、神の言葉が、自動的にノートに書き始められた。それは、「まるで口述筆記をしているようだった」と著者は述べている。
彼の質問に、神が答えるという対話形式で書かれている。
概要
神の宇宙創造
神の宇宙創造は、すべての根源である神が、自らの性質(神性)を体験するために、自分の姿に似せて宇宙を創造した。
「存在のすべて」である神は、絶対の存在であるため、概念としての知識はあったが、体験としての知識はなかった。そこで、相対的な世界、すなわち宇宙を創造し、体験的に、あるいは実感的に、自らの神性を知ろうとした。
魂の創造
神は、神自身の性質と能力を分与した魂を創造した。魂は、宇宙創造の時に、決められた数だけ創造されている。
神の分身である魂が、物質的世界の人間に宿ることにより、いろいろな体験をする。人間は、魂-精神-身体という3層になっている。
魂自身が自らを体験的に知ることによって、神自身も自らを体験的に知ることができる。
人間の創造と人間の構成要素
人間は、魂の乗り物として、創造された。人間は、魂、精神、身体からなっている。
魂は、神の分霊として個別性をもちながらも、全てがつながっている。
人生
魂には、無数の神性が、概念としての知識として付与されている。
人生は、魂が、その宿った人間の生活活動を通して、神性を実体験して、体験としての知識に変えていく過程である。すなわち、現実の生活に起こるさまざまな出来事をツール(道具)として、人間が考え行動することによって、概念としての神性を体験して、体験としての知識を体得していく。
人間関係は、自分と他人との関係性の中で、自分自身を表現し、経験することのできる重要な場である。
人間関係の目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、本当の自分になっていくことである。
生と死
『神との対話』でいう「生命」は、ほぼ、「魂」と同じニュアンスで使われている。
死は、魂が宿った身体から、離れる時をいう。しかし、本来の自己とは、魂そのものであるから、人間の身体の死はあっても、生命(すなわち魂)は死ぬこと(失われること)はない。ただ、形を変えるだけなのである。
死後、魂は霊的世界に入る。そして魂の成長が未完成の時、魂自身の希望により再び物質的世界に戻って、別の人間に宿り、未体験、未完成な部分を、新しい人生の体験を通して成長、完成させていく。
前世・現世・来世
魂は、自己を完成させるために、現在の人生(現世)を通じて神性を体験するが、その人間の個体で、体験できる内容が尽きると、身体から離れて(死)、霊的世界(来世)に行く。
そして、さらに神性の新しい体験を希望・意図したときに、再び現世に戻って、別の人間に宿る(輪廻)。
魂には、前世の全ての体験が、記憶されている。
地獄
既存の宗教がいう地獄はない。
地獄は存在するものではなく、自分自身が創り出し、自分自身が体験するものだ。
成長の低いレベルの魂は、自ら低いレベルの現実を創り出す。その最低のレベルが、地獄なのである。
『神との対話』の内容とキリスト教教理の相違点
堕落と原罪
キリスト教では、人間の始祖である、アダム(男)とエバ(女)が、エデンの園で、神から取って食べてはならないと言われた、善悪を知る木の実を、ヘビの誘惑によって、食べるという罪を犯し、堕落したため、それ以後の子孫は、生まれながらに原罪を負って、生まれている、と説く。ヘビも堕落して悪魔となった。
『神との対話』では、エデンの園の神話の本質は、神の最初の祝福を、表現していると説く。
人間は魂の乗り物として、人生で神性を体験していく。魂の宿った最初の人間は、相対的世界で、ゼロから神性の体験を始める。善悪を知る木の実を食べたということは、相対的世界の体験を、人間が始めたという祝福すべき船出を意味している。
人間に原罪はなく、悪魔は存在しない。
キリストと救済
キリスト教では、原罪を生まれながらに持っている人間を救済するために、神から、イエスキリストが遣わされた。
イエスキリストは、罪人(人類すべて)の罪を、自らが背負って、十字架上で亡くなり、3日目に復活した。そのイエスキリストを、信じることによって、人間は原罪から解放され、神に許される、というのが、キリスト教の救済論である。
『神との対話』では、神は絶えず、魂を通して、自然を通して、多くのマスター(師)を通して、人間を導いているという。マスターとは、輪廻を繰り返して、神性を体得し、悟りのレベルに到達した、魂(の宿った人間)をいう。
イエスキリストは、マスター(師)のうちでも、最高のマスターの一人であるといっている。そして、イエスキリストを信じて求める者には、今も霊的に、導いているといっている。
輪廻と地獄
一般的なキリスト教では、輪廻は、説いていない。人間は、死ねば、霊界に行き、その人間の生き方の良否によって、それぞれ、天国、地獄、煉獄(天国と地獄の中間)に、行く。
大罪を犯し、イエスキリストによる贖罪(罪のあがない)を受けなければ、地獄に行くと、教えている。
『神との対話』では、輪廻を説いている。現世で神性を体験した魂は、死んで来世に行く。その魂が、さらなる神性の体験を希望した時、現世に戻ってくる。これを繰り返す(輪廻)といっている。
『神との対話』では、地獄は、存在しているものではなく、来世において、魂の最低の成長レベルによって、自ら創り出し、経験するものだと、いっている。
選民と宗教
旧約聖書には、人間始祖のアダムとエバ以後、その子孫が増えて、ユダヤ民族となり、堕落によって追放されたエデンの園に、再び帰っていく歴史が書かれている。
ユダヤ民族は、神の国を建設するべく、神に選ばれた民族で、それを選民といっている。
『神との対話』では、旧約聖書は、一民族での歴史的物語で、人間始祖は、地球上の複数の地で誕生しているといっている。
そして、神にとって特別な民族というものは無く、すべての人間、民族が、神にとっては、神の分身という特別な存在であり、神性を体験する道を、等しく歩んでいるという。
宗教はどの宗教も、神に至る道を教えているといっている。しかも、どの宗教にも優劣はなく、すべての宗教が、神に至る道を示す、一つの教えだといっている。
脚注
- 武本昌三 「Walsch : Conversations with Godについて」 跡見学園女子大学短期大学部紀要 37, 15-40, 2001-03-10
関連項目
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