メディアミックス Ⅰ 【冒頭】目次 歴史
メディアミックスの問題
費用対効果の低下
2000年代中半以降、大手・中堅出版社から刊行されたり、テレビ系メディアやプロダクションが企画した若者世代向けのフィクション作品の多くが「何らかのメディアミックス展開」を導入している状況がある。現在では2ジャンル程度のメディアミックス展開がなされている作品はごくありふれたものであり、その程度の規模で大衆の格別の関心を引くことはもはや不可能に近い。
そのため、メディアミックスの展開自体も手間やコスト負担が増す傾向にあり、従来型のメディアミックスというそれ自体の費用対効果に対しても疑問を持つ企業が出てきており、「新たなメディア展開」を考えるべき時期にさしかかっている。
予算の厳しさ
2000年代以降の大半のメディアミックス作品では、製作委員会方式を利用した出資・制作・収益確保のシステムが構築されている。そのため、利点・問題点については制作委員会方式のそれと多くは共通しており、資金面で見た場合には、出資した各企業が利益を上げる、裏を返せば赤字を出さないことが、作品が成功したと判定されるための絶対条件となる。その一方で、出資者側の都合などにより、テレビアニメなどを従来型システムの作品よりも遥かに低予算で制作する必要に迫られることも少なくない。これにより、資金面でいえば収益の管理の他に、制作初期の段階から予算管理が極めてシビアなものになることが見られる。
それらは、アニメ作品などでは予算超過への懸念から制作スタッフが作画、特に枚数を要するアクションシーンなどで大幅な方針転換を余儀なくされたり、バンクシステムの過剰な多用に追い込まれる、あるいは当初予定していた高い実力と知名度を持つスタッフが起用できないなどといった事態が発生する要因となっている。また、アニメ・声優業界の歴史的経緯や「ランク制」などの業界内部の制度面の事情もあって、声優のギャラなどのコストカットは脇役・端役であろうとも極めて困難であり、結局はそれらのしわ寄せが最終的に作画部門などに集まってしまうことが多く、作画・動画の実制作の現場でコストカットを突き詰め過ぎた結果、品質管理がままならなくなり、最終的に海外のプロダクションに下請けに出していた部分や予算の都合からスタッフの「穴」を埋められなかった部分などで品質面の破綻が起きてしまう、作画監督などのポストに責任を負える力量の人物を配置できずに『アラン・スミシー』的な架空名義が発生してしまう、などの異常な事態にも繋がってくることになる。
著作権管理の壁
日本の製作委員会方式による著作権管理は大変に厳格なものとなっており、近年の世界でブームとなっている「日本のアニメ・漫画」を利用・訳案した映画作品を制作したいハリウッドなどから不満が出ている。
同一クリエイターの複数名義展開
1990年代には、作品の横方向展開に留まらず、クリエイターそのものがチャネルを分散させることも、メディアミックスを象徴する風潮であったが、これは現在にも時折見られることがある。
わかりやすい例ではアニメーターと漫画化担当者の間において、表現・画風は同一でありながらメディア毎に異なる名義を用いるケースがある。単一の人物が複数名義を駆使して複数の人物を演出するケース以外にも、単一スタジオでの分業制でメイン担当者の名義としたり、税金対策を目的に複数名義を駆使したりと、作品・クリエイター毎に事情は異なるが、メディアミックスという言葉が連想させる象徴的な創作スタイルである。
結果、特定のクリエイターのファンとなり、その仕事についての追跡を極めようとする場合においても、混乱を招くことがあった。単一の原作・企画から複数のメディアで展開された版権物に携わる人物についても、「キャラクターデザイナーAと漫画家Bは同一人物であるか否か」「イラストレーターCと漫画家Dが同一人物であるか」などを見極める余地も無いまま、継続的かつハイペースで増加していくさまざまな関連商品を、混乱しながら片っ端から購買することを迫られ、経済的負担とともにストレスが高まり疲弊していった。
作品の内容
難解なプロット・設定・ネタ
視聴者が原作や他メディアの派生作品にも同時並行的に目を通すことを前提として、複雑なプロットや多すぎる設定を盛り込み過ぎた結果、メディアミックス作品については原作の設定を活かしきれず、プロットは説明不足かつ詰め込み過剰で、派生作品を精読せずに本編単体を見ただけではストーリーや主要キャラクターの関係さえもよく理解できないという、本末転倒の結果になることがある。
また、特にアニメにおいては、造詣の深いアニメファン・出演声優に対するファン・制作プロダクションの固定ファンなどを取り込むことを目的に、主要なスタッフが過去に携わった他作品や出演声優にまつわる話題などの楽屋落ち的な小ネタを随所に織り込むなど、「アニメファンと比較して原作ファンを軽視している作品内容」と言われても反論ができない様な作品は、ギャグ作品はもとよりシリアス系の作品ですら決して珍しいものではない。極端な場合、アニメに対する興味が普段は比較的薄い原作ファンが見たところで全く理解のできない(ギャグ・パロディにしても何が面白いのかがわからない)小ネタが頻出するような作品もあり、この様な作品では結局は原作ファンが取り残されることになってしまう。
原作作品との乖離
メディアミックスでは多すぎる設定の詰め込みという問題とは逆の問題も起き得る。
連載が順調にスタートした人気作家の作品や、読者アンケートの高評価を背景にシリーズ化の展開が決定した作品においては、作品のスタート開始からわずか数ヶ月の短期間でメディアミックス展開が決定するものが珍しくない。さらには、原作の作家・クリエイターが持つ高い人気・ファンへの訴求力を利用することを前提とした作品や、アニメ業界やテレビゲームソフトのメーカーなどとの強いコネクションを持つ人物・企画スタジオが原作を手掛ける作品などでは、まず最初に複数のメディアミックス作品をほぼ同時にスタートさせることを前提とした企画が立案されて、この企画が出版社や映像会社などへ持ち込まれるという順序のものや、出版社が企画を立ち上げるにしても、出版の企画立ち上げとほぼ同時に何らかのメディアミックス展開の実施が決定するものが見られる。
このような作品の場合、物語や各種設定の蓄積が原作作品とその作者側でもまだ不足している状態で、関連作品の制作が行われることになる。その結果、関連作品は製作開始時点での原作の雰囲気にすり合わせても独自性の高いものが中心となるが、結果として物語が進行していく内に原作との間で作品内容に乖離が発生し、主要キャラクターの能力や設定を巡って大きな矛盾が発生してしまうこともある。また、原作作品が長期シリーズとなった場合、物語の進展や変化に伴って、結果的に性格・雰囲気・主旨が全く異なる作品となってしまうこともある。
これらの結果として、一定期間を空けて再度のメディアミックス展開を行おうとした場合、以前のメディアミックス作品との整合性が付けられなくなってしまうことがある。そのため、場合によってはメディアミックス作品側の計画している内容に原作側をすり合わさせるという主従転倒の事態が起きたり、以前のメディアミックスで製作された関連作品を「全てなかったこと」として扱わなければならなくなる羽目におちいることもある。