生命の起源(Origin of life)Ⅱ【初序】 

 

パスツールの実験

ルイ・パスツール (1822 - 1895) は微生物学の発展に貢献した中心的な人物であり、1860年代微生物の発生について調べるために、白鳥の首フラスコを用いた実験系を考案した。実験の概要は以下の通りである。

パスツールは、このような白鳥の首フラスコを2つ用意し、対照実験を行ったと考えられている

  1. 無処理の肉汁エキスを入れたフラスコを二つ用意する。
  2. 長くのばしたフラスコの首を白鳥の首状に曲げ、首の途中にある程度の水が溜まるように加工する。
  3. 肉汁を入れたフラスコの一方を煮沸する。蒸気は白鳥の首を伝って外部に出る。
  4. 蒸気の一部が凝集して水になり、首の部分に溜まりトラップとなる。フラスコ内部はこの段階で無菌となる。
  5. 煮沸しなかったフラスコでは腐敗が起こるが、煮沸したフラスコでは長期間放置しても腐敗が起きない。
  6. ただし白鳥の首を折ると腐敗が起こるようになる。

この実験は、空気中には眼には見えない微生物が多数浮遊していることを証明した[3](なお、この実験は空気中に浮遊する微生物(カビ細菌胞子)が白鳥の首にトラップされてフラスコ内部まで侵入しないことを仮定している)。パスツールの成果は見事で、微生物学の基礎が開かれることになった[3]。また、この実験で論争は落ち着き、生物は(おおむね)自然発生はしない、と見なされるようになった。

ちなみに、パスツールは生命の起源に関する実験は行なっていない。これは、生命の起源に関する問題は、実験的に証明できるものではないと考えたからだ、と言われている。

ヘッケルの指摘

E. H. ヘッケルは、その当時(つまり19世紀後半)までの実験的研究が全て、《有機物質の分解物を含む液中での自然発生》を扱っていたものであったと指摘して、これを「Plasmogonie プラスモゴニー」と呼び、その概念に対して《無機溶液中での生命発生》という概念を「Autogonie オートゴニー」と呼んだ[4]

化学進化説

「かつて地球上に生命が誕生するまでは地球上には有機物は存在しなかったはずなので、最初に生じたのは無機栄養微生物だったはずだ」と考えられていた時代があった[1]

だが、最初の生命発生以前に有機物が蓄積していたはずだ、と考える人たちが出てきた。化学進化説は、「無機物から有機物が蓄積され、有機物の反応によって生命が誕生した」とする仮説であり、現在の自然科学ではもっとも広く受け入れられているものである。化学進化説を最初に唱えたのはソ連の科学者オパーリンである。

有機物の生成、蓄積を説明する実験や説としては、ユーリーとミラーによる実験に始まり、バーナルらによる表面代謝説や、彗星からもたらされた、とする説などがある。

パスツール以降、1922年にオパーリンが『地球上における生命の起源』と題する本を出版するまで、生命の起源に関する考察や実験が行われたことはなかった。この本は生命の起源に関する科学的考察のさきがけとなった。彼の説は「化学進化説」と呼ばれる他、「スープ説」、「コアセルベート説」等と呼ばれている。これはこれらの「化学進化説」が生命の起源に関する段階で多くのものを含んでいるからである。化学進化説は最も理解が簡明かつ、基本的な生命発生のプロセスであり、これらの細かなプロセスごとに様々な仮説が提示されているが、その基本は化学進化に依る。オパーリンの生命の起源に関する考察は以下の要点にまとめられる。

  1. 原始地球の構成物質である多くの無機物から、低分子有機物が生じる。
  2. 低分子有機物は互いに重合して高分子有機物を形成する。
  3. 原始海洋は即ち、こうした有機物の蓄積も見られる「有機的スープ」である。
  4. こうした原始海洋の中で、脂質が水中でミセル化した高分子集合体「コアセルベート」が誕生する。
  5. 「コアセルベート」は互いにくっついたり離れたり分裂したりして、アメーバのように振る舞う。
  6. このようなコアセルベートが有機物を取り込んでいく中で、最初の生命が誕生し、優れた代謝系を有するものだけが生残していった。

この化学進化説を基盤として、生命の起源に関する様々な考察や実験が20世紀に展開されることとなる。なお、化学進化説で論じられている初期の生命は有機物を取り込み代謝していることから「従属栄養生物」であると考えられている(栄養的分類を参照)。

ユーリー-ミラーの実験

ユーリー-ミラーの実験の概念図

オパーリンの唱えた「化学進化説」ではその第一段階として「窒素誘導体の形成」が行なわれると仮説していた。それを実験的に検証したのが1953年シカゴ大学ハロルド・ユーリーの研究室に属していたスタンリー・ミラーの行なった実験である。「ユーリー-ミラーの実験」として知られている。

ユーリー-ミラーの実験の趣旨は以下の通りである。

  1. 実験当時、原始地球の大気組成と考えられていたメタン水素アンモニアを完全に無菌化したガラスチューブに入れる。
  2. それらのガスを、水を熱した水蒸気でガラスチューブ内を循環させる。
  3. 水蒸気とガスが混合している部分で火花放電(6万ボルト)を行う(つまり、が有機化の反応に関係していたと考えている)。
  4. 1週間後、ガラスチューブ内の水中にアミノ酸が生じていた。

この1週間の間に、アルデヒド青酸などが発生し、アミノ酸の生成に寄与したと考えられている。 ユーリー-ミラーの実験の応用として、放電や加熱以外にも、様々なエネルギー源(紫外線放射線など)が試験され、その多くの実験が有機物合成に肯定的な結果を示しているという。

しかしながら、アポロ計画によって持ち帰られた月の石の解析結果から、地球誕生初期には隕石などの衝突熱により、地表はマグマの海ともいえる状態にあり、原始大気の組成は二酸化炭素窒素、水蒸気と言った現在の火山ガスに近い酸化的なガスに満たされていたという説が有力になった[7]。すなわち、還元的環境を前提としたユーリー-ミラーの実験は、地球における有機物の誕生を再現したものとは言えないことになった[8] 

ユーリー-ミラーの実験に代わる新たな有機物生成過程

化学進化の第一段階である有機物合成には、当時の地球大気を再現していないユーリー-ミラーの実験に代わる過程が必要になるが、それには以下の様な過程が明らかになっている。

  •  衝突によるアミノ酸の合成:当時の地球には隕石が大量に降り注いでいたことがわかっている。多くの隕石には鉄や炭素が含まれていて、地球への衝突の際に炭素や窒素が還元されてアミノ酸が合成されることが明らかになった。[9][10] 彗星の衝突でもアミノ酸が合成されることが明らかになった[11]
  •  地球外からのアミノ酸の飛来:宇宙から飛来する隕石の中には多くの有機物が含まれており、アミノ酸など生命を構成するものも見られる[12]。分析技術の発達により、これらの隕石中のアミノ酸がホモキラリティーを持つことも確認された。さらに彗星中のチリにもアミノ酸が存在することも確認されている[13]。これは地球上で汚染されたものであるという可能性が捨てきれなかったが、NASAなどの研究チームが南極で採取した隕石を調べたところDNAの基となる物質アデニングアニン、生体内の筋肉組織に含まれるヒポキサンチンキサンチンが見つかったため、この説を裏付けることとなった[14][15]

 

表面代謝説