馬鹿

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「馬鹿」の漢字。

馬鹿(ばか)とは、

  • 愚かなこと[1]
  • 社会の常識に欠けていること(「専門馬鹿」「役者馬鹿」「親馬鹿」などと用いる)。
  • 知能が劣り愚かなこと[2]
  • つまらないこと[2]。無益なこと[1]
  • 役に立たないこと[1]。機能を果たさないこと[2]
  • 理解力・判断力・知識などが人と比べて劣っていること。

漢字では莫迦馬稼破家跛家等と表記するが、馬鹿を含めいずれも借字である。平仮名片仮名ばかバカと表記する場合もある。また、インターネット上では「ヴァカ」や「βακα」(ギリシャ文字等の特殊な字を使うクサチュー語表記)などと表記されることもある。

 

目次

1概説
1.1他の語と組み合わされる場合
1.2肯定的に扱われる場合
1.3馬鹿のもつ意味合いと使用される状況の例
2語源
3歴史
4方言と分布状況
5実在する動物:馬鹿(ばろく)
6妖怪:馬鹿(むましか)
7「バカ」という言葉の流行と相次ぐ「バカ論」の出版
8馬鹿キャラ
9日本国外における馬鹿
10釣り用語の『バカ』
11工業用語の『バカ』
12脚注
13関連項目
 

概説

日本語で相手をからかったり、罵倒(その立場を低く見なす事で、相手の感情を損なう・人格の否定)するため、最も普通に使われる[3]単語。 の席で使うと刺激が強過ぎることがある[3]

広辞苑によると、古くは僧侶隠語であったものとされており[1]、おそらく梵語サンスクリット語)のmoha(「無知」という意味の語)から転じた語とされている[1]、が、様々な説がある(語源を参照)。

この語は、日本語で広く用いられているが、地域・使われる場により意味やニュアンスは異なる。たとえば関東では一般的には軽い揶揄程度で使われることが多いのだが、関西では強い感情を込めて罵り倒すときに使用される、といった相違がある。聞き手の出身地によって受け取られ方も大きく異なることには注意を要する(下記方言と分布状況参照)。

ジョージ・サヴィルが馬鹿について「内部に対話を持たない人」と定義したように、比較的多く見られるニュアンスでは「知識が足りない」や「思慮が足りない」、さらには「理解の度合いが足りない(ステレオタイプを乱用している)」という意味合いで用いられる。 ただ、基本的に当人の理解しようとする意思努力が不足しているとする傾向が強い。 ちなみに『馬鹿は風邪を引かない』の原義は『鈍いので風邪を引いても気付かない』であることが由来。

類語の「阿呆(あほう:理解したり思考する能力が不足している)」との使い分け(意味の強弱)には地域による相違がある。 関東では「馬鹿」は軽い意味で(時には愛情を込めて)用いられる傾向があるのに対して、「阿呆」というと、かなり強い軽蔑の感情を込めて用いられる傾向がある。 だが関西では、その反対に、「阿呆」が軽いニュアンスで用いられ(愛情を込めて用いられることもあるのに対して)、「馬鹿」は強い罵りの感情を込めて用いられる傾向がある。

関東では「馬鹿」は、罵りの感情は込めずに用いる場合も多い。 典型的な例としては、親しい間柄や恋人の間でかわされる会話が挙げられる[注 1]。 短所も併せて好き合っている間柄などで用いられる。 この場合の意味にはののしる意味はない。 「親しさ」の表現や「恥じらい」、または「本気でしている」を表現する上での符丁のように、様々な局面で用いられる。 非常に親密な状態を示すバロメータともなり得る[注 2]

何かに熱中するあまり、社会的常識を失ってしまったような状態も「馬鹿」と言う。 これは何かに熱中する余り、一般的な配慮や常識的な配慮が等閑(なおざり)になっている様子を指している。 以下のような例がある。

  • 「親馬鹿」(おやばか) - が自分の子供ばかりを溺愛するあまりに、はた目には愚かなことをしてしまっているのにその愚かさに親自身が気づいていないことである[4]

(他人に与えた(可能性のある)不快感について詫びをするために、「親馬鹿ですみません」などのように用いられることもある)

  • 「専門馬鹿」 - 特定の分野(特定の学問など)についてのみ異常なほど執着し知識を持っているが、その分野以外に関しては、一般人以上にひどく無知な人のことである。
  • 「釣りバカ」 - 釣りに熱中するあまりに、社会的常識を失ってしまい、家族や仕事よりも釣りを優先してしまうような人を指す(この意味では「道楽」が類義語に当たる)。

「馬鹿」は多かれ少なかれ感情的な意味合いを含む言葉であるため、その用法は公的な場では制限される事が多い。例えば、所属組織上司に向かい同語を用いると、社会人として致命的な状況に追い込まれる可能性がある。また、子供同士の他愛の無い喧嘩などで、お互いにバカだ何だと罵り合う・掴み合う様がしばしば見られるが、これは傍目には、双方が馬鹿のように見える一つのケースである。さらに、同語を繰り返し用いると、相手の気分を害したり、人を見下す意味合いになる場合もある。

他の語と組み合わされる場合

馬鹿を強調する場合には前に「大」を付ける「大馬鹿(おおばか)」が一つの定型である。そして、もう一つの定型としては、後ろに野郎がつく「馬鹿野郎」がある。また、「馬鹿者(ばかもの)」という使われ方もある。さらに、強調ではなく個人を特定する表現で「馬鹿者」がある。これを強調する場合には「大馬鹿者(おおばかもの)」が使われる。

罵倒語同士の組み合わせとしては「馬鹿たれ」がある。

逆に皮肉表現としては「小馬鹿(こばか)」がある。

肯定的に扱われる場合

不器用ながらも一つのを曲げずに歩き続けることで何らかのものを大成する、そのような姿をバカという場合もある(例:『空手バカ一代』)。 類似の表現として「愚直の一念」がある。

ややこしい考えやたくらみを練らなければ、生きてゆく上では失敗もあるだろう。特にだまされることはあるに違いない。 「正直者が馬鹿を見る」との言葉もある。 これは、「馬鹿」という単語を否定的に捉えているが、だますのは罪だがだまされるのは罪ではない(場合が多い)。 この観点から、このような馬鹿は少なくとも正直者ではいられる、という意味で「馬鹿」が用いられることがある(例:『イワンの馬鹿』、『雨ニモマケズ』)。

上記とやや似ているが、様々な状況を配慮し、それにそう形で物事を解決するような大人の判断に対して、それでは正義が真っ直ぐに貫けない場合がある。 若者がそういった状況に耐えられずに真っ直ぐに進む様を「馬鹿」という例もある。 馬鹿正直などは場合によってはこれを意味する。 あるいは若者の暴発しがちなエネルギーをさして馬鹿という例もある。 たとえば年を感じて「もう馬鹿はできないなあ」というのが逆説的であるがそれを示している。

他方、物事を考える力が弱く、うまく物事を進められない場合、様々な失敗をすることになるが、その姿は、むしろ色々なことに気を遣い、先を読んで動かざるを得ない社会においては、一服の清涼剤ともなるであろう。禅僧の一つの姿としての良寛などはこれに近い。漫画『天才バカボン』のキャラクターであるバカボンのパパもそういう役割を担うことがある。

遠藤周作の小説『おバカさん』はキリストを模しているとされる。

なお、より大きな馬鹿は大物となり得る、といった表現は文学などで見ることがある。例えば司馬遼太郎小説項羽と劉邦』にて高祖劉邦をそのように描いている。

馬鹿のもつ意味合いと使用される状況の例

失敗した場合に失敗をした相手を罵倒する。
愚かな行為人物
「馬鹿なことをした」「馬鹿者」「正直者が馬鹿を見る」など。知的障害者知能が低いために馬鹿であるとみなされることがある[5]
一般常識知識の乏しい人物
「○○も知らないの? お前馬鹿だな」「テスト0点だったの? 馬鹿だね」など。
並外れて凄いものを表現する接頭語
「馬鹿正直」「馬鹿騒ぎ」「馬鹿でかい」など。「バカ受け」「バカ売れ」などはずいぶん新しい一方、新潟地方では古くから「馬鹿〜」で“程度が甚だしい”という方言として用いられていたと「ばかうけ」という米菓を製造する栗山米菓HPに記述がある。
ある特定分野にのみ通暁し、その他の一般常識が欠落している人物を評する場合
「あいつは数学馬鹿だから」「サッカーバカ」「野球バカ」「専門バカ」「馬鹿」など。『空手バカ一代』『釣りバカ日誌』というマンガもある。
ある得意分野には秀でているが、他の知識は著しく疎い状態・または人、という否定的意味で使われる。しかし、その分野の知識だけは豊富に持ち、その方向には異常な執着を示す人物という肯定的意味で使われる場合もある。
何かにこだわるなどして客観的で理性的な判断が出来ない状態
親馬鹿など。
役に立たないことを指す場合
ネジが馬鹿になる」(過度の締付トルクでネジ山を破損した状態で、いくら締めてもネジは空回りするだけで締結できない)など。なお、後述のように「バカ穴を通す」等という場合は「ネジを切る事」に関しては無意味になるが、「ネジを通す」事に関しては必要な事になるので、決して本項に挙げる「役に立たない」意味であるとは一概には言えない。

語源

語源についてはいくつか説があるが、決定的なものはない。ただし、文献による初出が太平記における「馬鹿者」であり、「馬鹿」という用法はそれより後世である事から、当初は「馬鹿者」という熟語としてのみ使われたと思われ、それを前提とした説のほうが若干優勢であると言える。

史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事語源とする説
最も普及している説。の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官趙高謀反を企み、廷臣のうち自分の味方を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。しかし「馬鹿」のうち鹿の「か」は訓読みであり、中国風の音読みで馬鹿を「ばか」と読むことはできないなどの問題がある。
サンスクリット(梵語)説
サンスクリット語で「痴、愚か」を意味するmohaの音写である莫迦の読みからくるとする説。僧侶が使っていた隠語であって馬鹿という表記は後の当て字であるとする。江戸時代国学者天野信景が提唱した説であり、広辞苑をはじめとした主要な国語辞典で採用されている。しかし馬鹿に「愚か」という意味が当初はなかった[要出典]ので、[要出典]疑問視する研究もある[誰?]
同じサンスクリット語のmahailaka摩訶羅:無知)(新村出石黒修)、あるいはmaha摩訶:おおきい、偉大な)を語源とする説もある[要出典]
バングラデシュの公用語であるベンガル語でも「バカ」[要出典]という単語は日本語と同じく愚かな者を指す。ベンガル語はサンスクリットを祖語とする。
若者説
若者(wakamono)」のw音がb音に転じて「馬鹿者」となったとする説[注 3]民俗学柳田國男は、広辞苑の編者・新村出が提唱したと書いているが、新村が文章として残していないため不明。新村は広辞苑でサンスクリット説を採用しているが、積極的な採用ではなかったようである。その他、楳垣実など。
破家説
禅宗仏典などに出てくる破産するという意味の「破家」と「者」をくっつけて、「破産するほど愚かな者」というところから「馬鹿者」という言葉が生まれたとする説。東北大学佐藤喜代治によって提唱され、日本国語大辞典で採用されている。
馬家説
中国にいた馬という姓の富裕な一族が、くだらぬことにかまけて散財し、その家が荒れ放題となったという白居易白氏文集にある詩の一節から生まれたとする説。「馬家の者」から「馬鹿者」となったとする。『全国アホ・バカ分布考』で松本修が提唱した。
はかなし説
雅語形容詞である「はかなし」の語幹が変化したという説。金田一春彦はこの説によっており、これをとる国語辞典もある。
をこ説
古語で愚かなことを「をこ」といい、これがなまったとする説(アホもこれに由来するのではないかともいうが、いずれも証拠はない)(柳田國男『笑の本願』)。
ぽけ説
「ぼけ(おそらく、「ほうけ(る)」「ふうけ(る)」の転訛)」がなまったとする説(小山田与清『松屋筆記』、永田直行『菊池俗言考』)。

歴史

文献における出典は次のとおり。

  • 「かかるところに、いかなる推参の馬鹿者にてありけん」(太平記 - 巻第十六)
  • 「馬鹿 或作母嫁馬嫁破家共狼藉之義也」(文明本節用集
  • 「馬鹿 指鹿曰馬之意」(運歩色葉集)
  • 「此家中には、何たる馬嫁も、むさと知行を取ぞと心得て」(甲陽軍鑑 - 品十三)
  • 「女朗まじりの大桶、みるから此身は馬鹿となって」(浮世草子好色一代男 - 五・三)

南北朝時代太平記での「馬鹿者(バカノモノ)」の使用が初出である。 初期の頃での「馬鹿者」は文明本節用集にあるとおり「狼藉をはたらく者」で、現在の「愚か」の意味を含む言葉ではなかった[注 4]。「愚か」を指す言葉には他に古代から使われていた「烏呼者(ヲコノモノ)」があり、そちらが使用されていた。馬鹿が「愚か」の意を含むようになるのは江戸時代好色一代男あたりからである。

方言と分布状況