生命の起源(Origin of life)Ⅰ【冒頭】目次 … 

 

神話

各地の神話ではしばしば神が世界や生き物を造ったとされる。世界が造られたさまを説明する神話は創世神話と呼ばれている。

例えばユダヤ教の聖書(旧約聖書)の『創世記』では天地創造が6日間で行われ7日目に神が休息したとされるが、神は3日目に植物を、5日目に魚と鳥を、6日目に獣と家畜そして神に似せた人を造った、とされた。

旧約聖書の『創世記』の6章から9章にはノアの箱舟の物語が描かれている。その物語では、すべての生き物をひとつがいづつ船に乗せた、とされる。これは「別の生物は別に造られた」という考えを暗黙のうちに示している[3]

ユダヤ教の聖書はキリスト教においても旧約聖書として引き継がれ、これらの生命観・世界観は広くキリスト教圏でも信じられることになった。「生命は神による天地創造以来連綿と続いている」とする説は「生命永久説」とも言う[4]

古代ギリシアのアリストテレスの説

アリストテレスは、観察解剖に基づいて生物の中には親の体からでなく物質から一挙に発生するものもある、と判断した。自著でウナギ・エビなどは海底の泥から生まれる、と記述した。

古代ギリシアにおいては、神話とは異なった考え方が行われるようになり、哲学が行われるようになったとされる。「アルケー」つまり万物の起源・根源はなにか、という考察が行われ、哲学者によって、生物の起源に関する考察も行われた。紀元前4世紀アリストテレスの時代には、すでに自然の観察による大量の知識が集積されていた[3]古代ギリシアでは動物が基本的に親の体から産まれることも、植物が基本的に種子から生まれることも、知られていた。

生命の起源に関する最初の学説はアリストテレスが唱えたものだとされている。紀元前4世紀ころのアリストテレスは、様々な動物に関して詳細な観察や解剖をした結果、「生物はから生まれるものもあるが、物質から一挙に生ずるものもある[5]」と考え、自著『動物誌』や『動物発生論』において、ミツバチホタルから生じるなどと記述した。現代の科学史では一般にこれを「自然発生説」と呼んでいる。なお、アリストテレスは、世界には生命の基となる「生命の胚種」(=一種の種子)が広がっており、この生命の胚種が物質を組織して生命を形作る、と考えた。これは「胚種説」と呼ばれる。

自然発生説をめぐる研究の歴史

パラケルスス、ヘルモント

16世紀から17世紀、パラケルスス(1493または1494 - 1541)とJ. B. ヘルモント (1579 - 1644) は、ネズミカエルウナギなどが無生物から発生するとして、(彼らなりの)実験的根拠を主張しつつ、その処方を示した[4]

レディの実験

(17世紀ではまだ患者の患部などにウジが湧くことで医師らは困っていた時代であったが)イタリア人外科医フランチェスコ・レディ (1626 - 1697) は、(現場での体験をもとにウジはハエが寄ってきた時のみに発生していると睨み)1665年に、ウジは卵によって生まれ、物質(無生物)からは発生しないことを証明するための実験を行った。 レディは以下のような実験を行った。

  1. 2つのビンの中に魚を入れる。
  2. 一方のビンはふたをせず、もう一方のビンは布で覆ってふたをする。
  3. そのまま、数日間放置する。
  4. 結果、ふたをしなかったビンにはウジがわくが、ふたをしたビンにはウジはわかなかった。

レディはこれによって、ハエをたからせない肉片にはウジが発生しないことを証明した。もっとも、レディは寄生虫については自然発生する、としていた[4]。レディが証明しようとしたことは「ウジはハエが卵を生むことによって生まれている」ということであって、レディは「生命というのはから生じる」と考えていたともされる。

この実験の素晴らしいところは、フタをしたビンのほかに、フタをしなかったビンを用意したことであり、この方法は対照実験と呼ばれ、現在でも応用がなされている。本実験と対照実験の中で違いを見つけていくことは、科学的方法に基づいたあらゆる実験の基礎とされる。

顕微鏡の発明

オランダ人のレーウェンフック (1632 - 1723) は手製の顕微鏡を用いてさまざまな観察を行い、それまで知られなかった微生物の存在を明らかにし、細胞の存在も見たことで生物学に革命が起きた[3]。微生物を見ることができるようになって、腐敗発酵のようによく知られ自然に起きているように思えていた現象にも生物の存在が関係していることが明らかになると、そうした微生物は自然発生するのか、それとも種子にあたるものがあるのか、等々の議論が起きることになった[3]

スパランツァーニとニーダム

ジョン・ニーダム (John Needham, 1713 - 1781) は、肉のスープを加熱した上でビンの中に入れ、コルクで完全に栓をし、次にこのビンを熱した灰の中で加熱した(そして彼はそこにいる微生物は全て死んだと判断した)。

だが数日後にこの肉汁を顕微鏡で観察すると微生物が生じていた。またニーダムは肉以外にも豆のスープでも同様のことが起きることを確認し、「微生物はスープの中から自然に発生した。生物の自然発生は実験によって証明された」とした。

その実験を知ったラザロ・スパランツァーニ (1729 - 1799) は、ニーダムの実験に不備があったのだと睨んだ。1765年、フラスコに入れたスープに、コルク栓で蓋をしたもの以外に、フラスコの口を溶かして密封したものを複数作り、さらにそれらをさまざまな長さの時間熱湯にひたして比較する実験を行った。コルク栓をしたものや、密封したが熱湯につける時間が短かったものには微生物が生じたが、密封して熱湯に1時間ほどつけておいたフラスコには微生物が発生していなかった。それによって「微生物も物質からは生まれない(自然発生しない)」とした。これにより、ヨーロッパの学会で、どちらの説が正しいかについて大論争が巻き起こった。ニーダムは、「スパランツァーニの実験ではフラスコを密封し加熱したため、新鮮な空気が破壊され、微生物が生きられない状態になったのだ。コルクの栓で蓋をした場合は新鮮な空気が入ってくるから微生物が発生できるのだ」と反論した。こう言われてしまうと、スパランツァーニもうまく反論できなくなってしまった。

ラマルクやネーゲリの説

ラマルク (1744 - 1829) やネーゲリ (1817 - 1891) は、無機物質のみから自然発生が行われると説いた[6]

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