貨幣史・世界史 Ⅲ【序】発行 両替商 学説 貨幣
物品貨幣
古代中国の貝貨
素材そのものに価値のある貨幣を物品貨幣や実物貨幣と呼び、特に初期の貨幣に多い。物品貨幣は、貝殻や石などを用いる自然貨幣と、家畜や穀物などの商品貨幣とに分類される。代表的な物品貨幣にタカラガイなどを用いた貝貨(古代中国、オセアニア、インド)、石貨(オセアニア)、大麦(バビロニア)、布帛(日本、中国、朝鮮)、鼈甲(古代中国)、鯨歯(フィジー)、牛や山羊(東アフリカ)、羽毛などが存在する。古代ギリシアの叙事詩である『イリアス』や『オデュッセイア』では、牡牛が価値の尺度として用いられている。8世紀の中央アジアは絹が帛練と呼ばれる物品貨幣にもなり、絹の品質に応じていくつかの価格帯が定められた[30]。こうした物品貨幣のさまざまな種類は、パウル・アインチッヒ(英語版)の著作『原始貨幣』に集められている[31]。
中世
文化的、地理的な条件により、カカオ(アステカ、プトゥン・マヤ)、羊毛布や干しタラ(アイスランド)、タカラガイ(西アフリカ)、米(日本、中国、朝鮮)などの貨幣は中世以降も流通した。モルディブ諸島で産するタカラガイは、インドの他に14世紀からアフリカのダホメ王国やコンゴ王国にも運ばれて貨幣となった。中世ヨーロッパでは、物品貨幣に加えて計算貨幣を尺度とする信用決済が行われた。日本、中国、朝鮮では16世紀までの地域市場において物品貨幣が取引に用いられた[32]。北アメリカ東部の海岸沿いのレナペ族などのインディアンは、ポーマノック(ロングアイランド)で採れる貝からウォンパム(英語版)というビーズの装身具を作り、内陸の部族との交易や、情報の伝達に用いた。また、日常取引に必要な硬貨が不足すると物品貨幣によって補われる場合もあった。たとえば中国では竹や布の貨幣が作られたり[33]、日本では貫高制にかわって石高制が普及する一因にもなった。
近現代
北アメリカの13植民地では、17世紀から18世紀にかけて物品貨幣が普及した。本国のイギリスから送られる硬貨は少なく、その大半が輸入品の購入によって流出し、しかも植民地では造幣が禁止されたため、硬貨が常に不足したのが原因である。法的に認められた貨幣として、植民地全土ではトウモロコシが早くから流通した。北部では毛皮貿易で重要な品だったビーバーの毛皮や、ロングアイランドのインディアンが作っていたウォンパムがあった。南部ではタバコや米、そしてタバコの引替券であるタバコ・ノートがあり、タバコとタバコ・ノートは合わせて170年にわたって流通した。その他に家畜、干し魚、肉、チーズ、砂糖、ラム酒、亜麻、綿、羊毛、木材、ピッチ、釘、弾薬、銃なども用いられて取引は複雑になったが、硬貨不足によるデフレーションを緩和する効果はあった。そうした状況下の貿易で流入したスペインドルが少量ながら流通を続け、独立後のアメリカではフローイング・ヘア・ダラーが発行されてドルが通貨単位となる[34]。
メソアメリカのカカオは、一部の地域では20世紀まで貨幣として通用した。現在用いられている物品貨幣としては、石貨(ヤップ島)や貝貨(パプアニューギニア)がある。特にパプアニューギニアのタブ貝貨は、人頭税の支払いなど行政においても流通している[35]。
金属貨幣
リュディア王国のエレクトロン貨
金属は保存性・等質性・分割性・運搬性において貨幣に適した性質があり、金貨、銀貨、銅貨、鉄貨などが作られた。このうち銅貨は実際には青銅貨である場合が多い。古代から中世にかけての金属貨幣は、金属資源の採掘量に左右される傾向にあり、鉱山が枯渇すると貨幣制度は重大な脅威を受けた。金属貨幣の不足は、小切手、為替手形、紙幣などの発生にも影響を与えた。
金属貨幣は、はじめは地金を計って用いた。これを秤量貨幣と呼ぶ。やがて、鋳造貨幣すなわち硬貨が現れた。硬貨のように一定の形状・質・重量を持っている貨幣を計数貨幣とも呼ぶ。
地中海や西ヨーロッパでは硬貨の素材として主に金銀が用いられ、中国や古代・中世の日本では銅が用いられた。西ヨーロッパでは領主や商人の交易に銀貨を中心に多用したが、中国では農民の地域市場での取引に銅貨が多用されていた[36]。