自動車産業 Ⅵ【後下】 

 
 

北アメリカ

米国

詳細は「:en:Automotive industry in the United States」を参照

米国は世界で最初に大量生産技術を開発し、国土が広く公共交通機関が行き届かない地域が多いことから、自動車の市場規模は大きい。フォードGMクライスラーの「ビッグスリー」を筆頭とした自動車産業は、幾多の合併や淘汰を経つつも常に製造業の中心としてアメリカ産業を牽引してきた。

1980年代には、日米貿易摩擦が発生する。この時期は産業空洞化も議論されたが、その後、再び米国の自動車産業は力をつけていた。

しかし、2000年代後半になると「ビッグスリーの凋落と外国企業の進出」[59]「環境規制の強化」が、自動車産業を揺さぶることになる[60]。ビッグスリーが生産量を削減しデトロイトなどで失業者が生まれる一方で、トヨタ自動車などが工場進出した地域では、新たな雇用が生まれている。「米国には2つの自動車産業がある。1つは成長し、もう1つは縮小する産業だ」(エコノミスト トーマス・クライアー)[60]より引用と評す向きもある。[60] また、2020年までに平均燃費を35mpgにすることが法律で決まったため、燃費向上のための技術開発費が、各社に重くのしかかっている。自動車業界による法案阻止のロビー活動が失敗し、自動車業界の影響力低下が確認された事例でもある[60]

カナダ

詳細は「:en:Automotive industry in Canada」を参照

カナダは2008年、世界で7番目だったが2010年にはやや順位を落とし11番目の生産量である。同時期にブラジルとスペインの生産量が初めてカナダを超えた。1918年から1923年にかけてカナダは世界で2番目に多く生産していた。カナダの自動車産業は自動車の初期にまで遡る。カナダでの最初の大規模な自動車の生産は1904年のオンタリオ州Windsor付近のWalkervilleで行われた。Walkerville Wagon Works工場でGordon McGregor と Wallace Campbellによって使いやすい117台の"C"型フォードを生産した。

かつてはBrooks Steam, Redpath, Tudhope, McKay, Galt Gas-Electric, Gray-Dort, Brockville Atlas, C.C.M., や McLaughlinといった多数の地元資本のブランドがあった。1918年、McLaughlinはアメリカの企業であるゼネラルモーターズによって買収されゼネラルモーターズ・カナダにブランド名が変わった。第一次世界大戦によりカナダの自動車産業は発展し、1923年までは世界で第2位だった。しかし、当時は多数の工場で多数の車種を生産する非効率な状況が続いていた。その後1965年にアメリカ合衆国との間に自動車生産流通協定が締結されるまでカナダ製の自動車は高額だった。

1964年に締結された協定または“Auto Pact”はカナダに一つの重要な要素をもたらし、現在ではアメリカによって運営される状況になった。Auto Pactの鍵となる要素は1:1の生産と販売の比率でカナダが必要とする価値を加えることだった。

メキシコ

北米(NAFTA)での生産では21世紀に入りカナダを抜く生産台数となった。

南アメリカ

ブラジル

詳細は「:en:Automotive industry in Brazil」を参照

ブラジルの自動車産業は2009年に350万台生産した。現在のブラジルにはフィアットやフォルクスワーゲンやフォード、ゼネラルモーターズ、日産、トヨタ、MAN、三菱、メルセデスベンツ、ルノー、ホンダ、ヒュンダイ等、世界で大きい自動車会社の殆どが進出しており、同様にトロラーマルコポーロ (企業)アグラレランドンのような新興国の企業もある。

アルゼンチン

南米における第二の生産国で、世界でも19位の生産台数である。

オセアニア

オーストラリア

詳細は「:en:Automotive industry in Australia」を参照

オーストラリアではTarrant Motor & Engineering Co.によって1897年に自動車の生産が始まった。[61]主要な自動車会社は1856年アデレードで馬具製造の会社として設立されたのを起源とするホールデンと1925年設立のフォード・モーター・オブ・オーストラリアがある。20世紀後半にはゼネラル・モータース傘下となったホールデン、フォードに加えトヨタ自動車、日産自動車(1991年生産撤退)、三菱自動車(2008年生産撤退)が組立工場を設置していたが、賃金の上昇や市場の狭さから撤退が相次ぎ、2016年にはフォードが、2017年にはゼネラルモーターズとトヨタ自動車が生産拠点の撤退を決めており、オーストラリア製の国産車が消滅する時期が明確となっている[62]

ニュージーランド

ニュージーランドでは1980年代から1990年代にかけて、関税削減などにより、日本などから大量の中古車が流入し、新車の販売が激減。1998年後半にトヨタが現地工場を閉鎖して以来大手の自動車生産工場は存在しない。国内産業の保護への転換は国内の組立工場の閉鎖につながった。同国でのシェア上位はトヨタ・ニュージーランド、フォード・ニュージーランドそしてホールデン・ニュージーランドである。

製造会社