ケネディ大統領暗殺事件 ⅩⅢ【終】陰謀論 軍産複
陰謀論者が問題視する政府の公式説明
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- ザプルーダー・フィルムでは、大統領の頭部が弾丸の衝撃により破壊された直後に大統領の上半身は後方に動いている。また、脳の一部が後方にも飛んでいる[65]。この映像について、その致命的な射撃は前方から行われたようにも見えることから、前方にも射撃手がいたとする議論がある。
- 海兵隊時代のオズワルドは、特級射手 (expert)、一級射手 (sharpshooter) 、二級射手 (marksman)の資格について、1956年12月に一級射手の資格に必要な得点をクリアしており、射撃の技量が高かったとされているが、1959年5月には二級射手の資格に必要な得点はクリアしているものの一級射手の資格に必要な得点はクリアしていない[66]。
- 教科書ビルの窓の外には常緑樹が茂っており、木の葉が邪魔して狙いにくい。さらに、政府側報告(ウォーレン委員会)によるオズワルドが使用したボルトアクション方式のカルカノ銃では 5-6 秒程度の間に三発発射し二発を命中させるのは非常に困難であり、事件後から現在に至るまで行われた検証実験で成功した例は皆無である。また、通常は一発目、二発目、三発目と順を追うごとに照準に狂いが生じるものだが、致命傷を与えた最も正確な射撃は3発目とされている(ザプルーダー・フィルムの分析から発射した時間は 5-6 秒より長いとする説もある)。
ウォーレン委員会の報告による致命傷を与えた銃弾の軌道
後部に座っているのがケネディ大統領、前に座っているのがコナリー知事
陰謀論者が問題視する「魔法の弾丸」
- (大統領頸部への1銃弾を考慮すると、)大統領とその同乗者の他の被弾箇所(約5箇所)が政府見解である1発の銃弾で説明できるか(いわゆる「魔法の銃弾」の謎。アメリカのケーブルTV番組ディスカバリーチャンネルによる再現実験では、ザプルーダフィルム223コマ目における位置を再現しカルカノ銃を使用した銃創は、一直線の弾道とほぼ一致したとしている)。
- オズワルドの両手からは硝煙反応が出たが、頬からは硝煙反応が出なかった(通常ライフルを使用すると手だけではなく顔や上半身全体に硝煙が付着する)。凶器とされたライフルからは、当初の検査では指紋、掌紋は発見されなかった。オズワルド殺害の翌日(11月25日)に掌紋が発見された。
- 暗殺直後オズワルドは逃げもせずビル内の食堂でコーラを飲んでくつろぐなどした。狙撃地点とされる部屋から食堂へ向かう階段には女性が2人いたが、その女性はオズワルドは通っていないと証言した。食堂のオズワルドを警官が1度やり過ごしている。
- 教科書ビルから撃たれたとした警官が包囲に10分もかかったのに対し、その後オズワルドを逮捕するまでの経緯は不自然なまでに鮮やかだった。
- オズワルドがダラス市警察本部内で殺害されるという異常な事態が起きている。
- 証拠物件の公開が政府によって、2029年(下院暗殺調査委員会)もしくは2039年まで不自然にも制限されている。資料はアメリカ公文書図書館に保管されているが公開されるのは2039年とされている。しかし、現在でも資料の多くが紛失しているため、2039年に公開されても完全に真実が明らかになるかどうかは未知数である。
その他の指摘された問題点
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- 「パレードルート変更の謎」説:当時のダラス市長、アール・カベルの指示で、事件当日に狙撃されやすいルートにパレードコースが変更されたという説。カベルがピッグス湾事件で更迭された CIA 副長官のチャールズ・カベルの弟であったことや、歴代大統領は慣例で直線コースをパレードするにも関わらず、迂回ルートが車の速度を落とさなければならないルートであったことから、この説が提唱された。
- しかしながら、この説は多くの記事ですでに否定されている。パレードが迂回ルートに変更になったのは、直進ルートだった場合、その先の高速道路の入口道路の形状の影響でパレード車列が渋滞してしまうことが予測されたためであり、保安上の理由から妥当なルートであった。
- 事件当日のダラスは快晴だったにもかかわらず、ザプルーダー・フィルムに黒いこうもり傘をさした人物が映っている。この人物は通称アンブレラマン (The umbrella man) と呼ばれ、映画『JFK』にも登場する。アンブレラマンを暗殺グループの一員とする説もある。なお、自分がアンブレラ・マンであると主張する人物、ルイス・ウイット (Louis Witt) はケネディ暗殺下院特別調査委員会 (1978年) において証言をおこなっている。
- 本来なら大統領の近辺にいなければならないシークレットサービスが後ろへ退くように命令された(大統領狙撃時に車に飛び乗ったクリント・ヒルによると車両間隔は 5ft≒1.5m。大統領のリムジンには2人のシークレットサービスが同乗していた(ロイ・ケラーマン、ビル・グリアー)。後続車と白バイ警官はリムジンを追い、クリント・ヒルら4人のシークレットサービスは後続車のサイドステップに立っていた)[注釈 119]。
- 傷口が変造されていた。
- 検視の医者は弾丸の検視の専門医ではなかった。このためか、ケネディが背中の古傷のせいで猫背気味であることが失念され、命中時の入射角の判定に誤りが生じたと言われる[注釈 120]。
- 発見された銃弾は本物か。銃弾(証拠物件399、コナリー知事の担架(stretcher)から発見された)は、垂直方向(銃弾の進行方向)には変形せず、水平方向には圧縮されたように変形していた。弾頭部分は損傷していなかった。
- ケネディの死が確認され、大統領専用機エアフォース・ワンの機内でリンドン・B・ジョンソン副大統領が大統領宣誓を行ったが、機内でジョンソンに対し、ウインクするアルバート・トマス下院議員の姿が写真に残されている。トマスはジョンソンの旧知の友人であり、トマスに対してジョンソンは笑いかけているようにも見える。
- 暗殺事件発生当時、閣僚の大半は外遊しており、また、ケネディ死亡の公式発表から、ジョンソンの宣誓式までの数十分間、いわゆる「権力の空白」時間が流れている。もっと正確に言えばケネディが撃たれて即死に近い状態であったことを考えると12時30分から14時38分まで権力の空白が生じたことになる[注釈 121]。
- オズワルドが狙ったのは実際には同乗していたコナリーでケネディは巻き添えになったという説もある。
- 2013年11月21日に放送された『BS世界のドキュメンタリー』では、専門家たちによりケネディ暗殺の状況を再現する実験が行われた。この中では、ケネディの首を貫いた弾丸がコナリーの背中と右手を貫いてもほぼ変形しない状態に保たれること、オズワルドが単独でケネディとコナリーを銃撃することは可能だったことが実験によって立証されたとする[注釈 122]。ケネディに致命傷を負わせた弾丸は、背後からの銃撃によるものだったことも専門家の調査によって立証されたとしている[注釈 123]。