ケネディ大統領暗殺事件 ⅩⅡ【外】オズワルドの単
陰謀論
オズワルドによる単独の犯行であったとする政府の公式説明に納得せず、何らかの陰謀があったと主張するものも多い。2003年の世論調査では、70パーセントの人々がケネディ暗殺は単独犯ではなく複数犯による犯行であったと考えている。実行犯についてもオズワルド以外に狙撃したものがいたとする説もある。証拠物件の公開が政府によって不自然にも制限されたり、大規模な証拠隠滅が行われたと主張するものもいる。リー・ハーヴェイ・オズワルドがダラス市警察本部でジャック・ルビーに射殺され、さらにジャック・ルビーが服役中に病死したのは口封じのためであるとする意見もある。陸井三郎は目撃証言者12人が変死または怪死していると主張している[61][注釈 113]。
今日までに下記のような仮説、陰謀説が提示されている。
マフィア壊滅作戦に反発したサム・ジアンカーナを中心としたマフィア主犯説
「マフィア主犯説」は、かつてジアンカーナらがケネディ本人や父のジョセフ・ケネディ・シニアによる依頼を受けて、大統領選挙におけるケネディ陣営の資金集めや不正を手伝ったにもかかわらず、その後ケネディがフーヴァーやロバートの忠告を受けてジアンカーナや共通の友人であるフランク・シナトラらとの関係を突然断った上に、ケネディ政権がロバートを中心にしてマフィアに対する壊滅作戦を進めたことを「裏切り」と受け取ったジアンカーナらを中心としたマフィアが、「裏切り」への報復と壊滅作戦の停止を目論んで行ったとするものである[62][注釈 114]。
軍産複合体の意を受けた政府主犯説
「軍産複合体の意を受けた政府主犯説」は、「ケネディの南ベトナムからのアメリカ軍による軍事顧問団の縮小計画と、その後に予想された軍事顧問団の完全撤収が『軍産複合体の利益を損ねる』と恐れた政府の中の一部勢力が、大統領の警備を弱体化して犯行に及んだ」とするものである。ケネディはその大統領就任中に、ベトナム戦争からの早期撤退を計画した(ドキュメンタリー映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」、当時のマクナマラ国防長官の証言を参照)。ケネディはテレビインタビューに答えて言った、「(南ベトナム)政府がたいへんな努力をして支持されない限り、ベトナムで勝とうとは思わない。最終判断として、ベトナム戦争はベトナム人の戦争であり、勝つのも負けるのも彼らである。」 [63][注釈 115]。
ケネディ兄弟によって汚職を追及されていたリンドン・ジョンソン副大統領が黒幕説
ジョンソン黒幕説の根拠は、指紋の一致という物証である。暗殺現場そばのテキサス教科書倉庫ビル6階窓際のダンボール表面に、オズワルドの指紋と共に別人の指紋1個が暗殺直後の現場検証によって発見されていた。その指紋は、永らく誰のものか不明だった。しかし、1990年代後半になって情報公開されたジョンソンの長年の手下で前科者のマルコム ウォレス(Malcolm Everett Wallace)の指紋と一致することが、元オースティン市警鑑識課長のA. ネイサン ダービー(A. Nathan Darby)によって確認された。
実は、ジョンソン副大統領は、地元テキサスで政治資金を得るために数々の汚職に手を染めてきたのである。その汚職を追及したのがケネディ兄弟とテキサス州の検事総長だった。副大統領職を追われ政治生命を絶たれる危機を感じたジョンソンは、ケネディ大統領暗殺事件の黒幕の一人となった。証拠は上記指紋の一致である。
またジョンソンは、自らが関わった別の殺人事件の大陪審で起訴の必要ありと認定されている。しかし、ジョンソン本人が既に死亡しているので小陪審での審理には移されなかっただけなのである。また、他に数件の殺人事件に関わった容疑がジョンソンには濃厚である、と検証されている。
以上は、バー・マクレラン著『ケネディを殺した副大統領―その血と金と権力』(文藝春秋)、ウィリアム・レモン著『JFK暗殺―40年目の衝撃の証言』(原書房)による。
その他
上記の3つの説以外にも、
- ニキータ・フルシチョフの命を受けた KGB 主犯説[注釈 116]
- 暗殺されそうになったことに激怒したフィデル・カストロ主犯説
- ピッグス湾事件の失敗を恨む亡命キューバ人主犯説
- 解任されたことを根に持った元 CIA 長官アレン・ダレス主犯説
- FBI 長官ジョン・エドガー・フーヴァー主犯説
- 大統領選挙で敗れたニクソン主犯説
などがある。
クレイ・ショー裁判
ケネディ暗殺事件が法廷上で検討された唯一の例がクレイ・ショー裁判であった。ニューオリンズのジム・ギャリソン検事は、1967年3月2日、ニューオリンズの実業家クレイ・ショー(Clay Shaw)を大統領暗殺に関わる陰謀罪で逮捕した。ギャリソンはクレイ・ショーがCIA経由でケネディ暗殺事件に関わっており、事件はCIA、軍部、国家の関与するクーデターであると主張した。裁判はギャリソンが敗北するが、後に、CIAがウォーレン委員会の批判者たちへ圧力をかけたこと、クレイ・ショーが実際にCIAのために働いていたことが公的に示された[注釈 117][64]。1991年に公開された映画「JFK」はクレイ・ショー裁判をモデルにした作品である[注釈 118]。