孫子、老子の解説 作者:楠乃小玉
2/24 二章:敵を知り己を知れば百戦危うからず
二章:敵を知り己を知れば百戦危うからず。敵と己を知るためには、その曖昧模糊な存在を、まず、カテゴライズして分類することから始めなければならない。孫子、老子においてはそれを陰陽五行に分類した。
孫子、老子においては人間を五つのカテゴリーに分類している。
それは木火土金水である。これは仁義礼智信という言い方もされている。その序列に関しては後述する。
木=仁
情愛、優しさである。
火=礼
礼節、礼儀作法、扇動、統率である。
土=信
信用、信頼、信じる。思想、宗教である。
金=義
正義、秩序、治安維持、秩序維持、正義感、防衛などである。
水=智
知恵、思考、思想、発想、学者、教師、軍師などである。
これらの累計に、先ほど記述した陰陽が付加される。
木火土金水
この並びが陰であり人間の内面の秩序や社会秩序である。
仁義礼智信
この並びが陽であり、実際の社会的秩序である。
木火土金水について解説する。
人間社会においてこの最下の秩序は上位の秩序を凌駕することができない。無理に下位秩序を優先しようとすると、社会秩序が乱れてその社会や集団が崩壊することにつながる。
最下位の水つまり智は、知恵によって、社会の抜け道を見つけたり、人を出し抜いたりして、他人より優越して
利益を得る行為。
これは、上位の義である法律の範囲内でしか行使することができず、法を逸脱すれば逮捕されててしまうため、上位秩序の法を優越することはできない。
金つまり義は法の支配である。しかし、たとえ合法であっても、社会的信用を失墜すれば社会的立場を
失うことになる。
機械の扱いが分からないお年寄りのパソコンサポートの契約書に、解約すれば20万円支払いと小さな字で記述してあり、それをお年寄りが見ずにサインすればお年よりから強引に20万円請求しても合法である。その他、お互いの信頼関係を裏切る行為をしても、合法であれば法で罰せられることはない。しかし、そのような信用を失墜する行為、口約束の反故などを行えば、社会的信用を失い、社会で生きていくことができない。法治は信用を優越することができない。
土つまり信は社会的扇動や礼節を優越することはできない。
同じ行為をするのでも、横柄な人は敬遠される。横柄な態度をとっている店は、たとえ商品を適正価格で
販売していても、約束を破らなくても、客が寄り付かなくなる。また、社会的に正しいことをしていても、たとえば豊洲市場移転問題においては、豊洲の地下構造は地下ピット工法といって、もし、地下から
有害物質が湧き出してきた場合、地下水を排除するために必ず必要な空間である。あの空間を盛り土で
埋めてしまったら耐震杭を毛細管現象でつたって上がってきた地下水を排除することができず、
地下水が直接1階の地表から染み出してくる結果になる。よって、豊洲の地下空間建設は正しい。しかし、大衆扇動によって、正論は封殺され、正しい事をしていた者の口が封じられて謝罪させられる。
これが火の力であり大衆扇動である。よって、正しいことをしていたから、必ず勝つことができる
わけではなく、大衆扇動は信用を優越する。
火は礼であり、大衆扇動である。
火は土である仁を優越できない。
たとえば、アナウンサーが人工透析の患者は金の無駄だから見殺しにするべきだと訴えた問題。
マスメディアをつかって有名タレントが擁護し、最初はメディアに出演して同席したタレントたちも
笑って済ませていた。しかし、そのようか行為は、社会的弱者を虐げる行為が可愛そうであるという
仁、大衆の同情をかい、怒りに燃えた大衆の猛抗議によってそのアナウンサーは番組を降板した。
このように、いくらマスメディアという圧倒的扇動機関を保有していても、同情が怒りに変わった
大衆の怒涛の流れをとめることはできず、これは、法も、理屈もかなうことができない。
このように人間の内なる感情の秩序は木火土金水という序列になっており、その事を理解した上で
大衆を扇動動員しなければ、事を誤る。そうした大衆扇動の指標としてもこれらの分類は役に立つ。
対して陽。
仁義礼智信
これは実社会のヒエラルヒーを現している。
【木】仁【宇虫塵】代理政治屋・財界業界
(王族、貴族)
【金】義【欺】士族・奈落【特高秘密憲兵】在日三国人
(軍隊)、警察、国税庁(税務署金融庁大蔵財務省)
【火】礼【霊悪魔先祖】官界・マスゴミ手紙増芥
(宦官LGBT) キャリア官僚
【水】智【悪魔智恵知識】悪魔と学会
(軍師)、学者、
【土】信【庶子庶民投票権理保有人民】一般奴隷奉仕実験家畜人間
大衆 暴力団
これらも下位が上位に逆らうことはできない。
ならば最初から王族、軍と書けばいいものだと思われがちだが、老子思想においては物事はつねに
変転するものであるとの考え方があり、これらの社会的枠組みも時代の変化によって変わってくることを
前提として、あえて、抽象的な記述に置き換えているのである。