ロッキード事件 最高裁判所判例 外国為替及び外国貿易ⅩⅠ【…
影響
防衛庁では1968年から、海上自衛隊が使用するロッキード社製の対潜哨戒機P2V-7・P-2Jの後継となる次期対潜哨戒機 (PX-L) の選定に着手、当初川崎重工業による国産機とアメリカ海軍で採用されていたロッキード社のP-3Cの2案が有力視されていたが、1972年10月に国産方針の白紙撤回が発表されP-3Cの選定が事実上決定した。しかしロッキード事件の発覚により政府はPX-Lを全て白紙に戻し、一から選考し直す方針をとった。そのため海上自衛隊はPX-LまでのつなぎとしてP-2Jを増産することとなった。その後再度選定が行われ、1977年には再度P-3Cに決定した。
注釈
- ^ a b 限りなく大空へ pp337
- ^ そのキャンセルした全日空向けDC-10のうちの1機(量産29号機 cn 46704/29)が格安でトルコ航空に売却されたが、貨物ドアの重大な欠陥が是正されていなかったことから、1974年にトルコ航空DC-10パリ墜落事故が発生してしまった。
- ^ 限りなく大空へ pp339
- ^ 騏驎おおとりと遊ぶ<下> 本所次郎著 p174
- ^ 本名のシゲトモをアメリカ流に縮めてシグとした。ロサンゼルス生まれ。大戦中は陸軍。戦後はGHQで通訳となった。その後、港区でスクラップ業ユナイテッド・スチール社の経営者となる。ベトナム戦争中、サイゴンの入札業者に指定されて暴利を得た。落札したスクラップは丸紅その他へ売り払った。問題のペーパー会社はケイマン諸島のID社。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 135-136
- ^ アメリカ・ユタ州ソルトレーク市生まれの日系二世。両親は広島県出身の移民。戦前に帰国して早大国際学院に学ぶが、昭和14年に満州に渡り、終戦まで満州電業の国際放送を担当した。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 134-135
- ^ 彼は1949年、日本海商事の代表取締役に就任している。この会社は朝鮮戦争の頃、東京レアメタルの輸送部門を請け負っていた。東京レアメタルは、東條英機ら7名の死刑執行(1948年12月23日)一週間前に児玉誉士夫が巣鴨プリズンから出所してすぐ設立した企業である。 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P70-71
- ^ 昭和28年、叔父で川崎航空機社長だった砂野仁の紹介でロッキード本社に入社、竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 135
- ^ NHKスペシャル未解決事件
- ^ 奥山俊宏 (2010年3月7日). “「自民離脱、信問う」示唆:三木元首相が米政府に密使:ロッキード事件”. 朝日新聞: p. 13版、38面
- ^ NHKスペシャル未解決事件
- ^ 『田中角栄研究 全記録(下)』P.336 立花隆著 1982年 講談社文庫
- ^ 大空への挑戦 ANA50年の航跡 72頁
- ^ 共同通信社発行『朴正煕と金大中』
- ^ 中曽根康弘『大地有情』1996年 271, 472頁
- ^ 倉山満『検証 財務省の近現代史』光文社新書
- ^ 高山正之『サンデルよ、「正義」を教えよう』
- ^ 『検察を支配する「悪魔」』(田原総一朗・田中森一の共著 講談社、 2007年12月)ISBN 9784062144537
- ^ vol.32 昭和51年 ロッキード事件(1-3) - 振り返る昭和 - 地球発 - [どらく 「田中角栄」という宿題 文:田原総一朗(ジャーナリスト)]
- ^ 俵孝太郎「戦後首相論」(グラフ社)
- ^ 産経新聞 2006年7月27日
- ^ 「ピーナツ100個(=1億円)」と書かれた暗号領収書が存在した。
- ^ これはアメリカにおいても有名になった。同時期に製作されたアニメ・『トムとジェリー』において「どこかの国の政治家と同じでピーナツが大好き」という台詞がある。