ケネディ大統領暗殺事件 Ⅰ【冒頭】目次
事件概要
事件はこの日に遊説のためテキサス州ダラス市に到着したケネディ大統領夫妻がコナリーテキサス州知事夫妻の案内で、空港からリムジンに同乗して市内をパレードしていた最中に突然3発の銃弾が撃ち込まれたことで起こった。
テキサス遊説の背景
ケネディ大統領が1963年11月下旬のこの時期にテキサス州を遊説することにしたのは以下の三つの理由からであった。
- 翌1964年11月の大統領選挙に向けて民主党選挙戦資金の寄付を求めるため。
- その大統領選挙での再選へ向けての選挙活動の開始。南部諸州は以前は民主党の金城湯池と言われる牙城であったが、前年とこの年の夏にアフリカ系住民に対する人種差別について強硬な姿勢を取ったケネディに対する反感が渦巻き、翌年の大統領選挙で共和党から立候補が確実視されていた超保守派のゴールドウォーター[注釈 1]に南部諸州を全て勝たれるとの予想が秋頃から民主党にはあった。そこで南部の中で唯一民主党が勝利する可能性があるのがテキサス州であった。選挙人数も南部で最大の州であり、ジョンソン副大統領の地元でもあり、最初のテコ入れをテキサス州にして、最低でもテキサスだけは確保するつもりであった[注釈 2]。
- 前回1960年の大統領選挙では、ジョンソンの地元であるのにケネディ-ジョンソン組がテキサス州では辛うじて勝っただけで(ダラスでは共和党に敗北した)、しかもテキサス州の民主党が保守的なコナリー知事とヤーボロー上院議員(ケネディと親しい関係)が対立しており、このテキサスの民主党有力メンバーとの関係を修復させる狙いもあった。
行程は11月21日(木)にホワイトハウスを発ち、専用機でサンアントニオからヒューストンを経てフォートワースに夜到着し、翌11月22日(金)の朝にフォートワースからダラス、最後はオースチンに行き、そしてオースティン郊外のジョンソン牧場で副大統領夫妻と週末を過ごす予定であった。
ダラス到着
ダラス・ラブフィールド空港に到着した大統領夫妻(1963年11月22日11時40分)
1963年11月22日(金)の朝にフォートワースでの朝食会に出席して[注釈 3]、終了後専用機でケネディ大統領夫妻はダラスに向かった。現地時間11時40分にダラス・ラブフィールド空港に到着した。「ダラス・トレードセンター」で昼食会と大統領のスピーチが予定されていたために、自動車パレードはダラス・ラブフィールド空港からダラス市内を通って、ディーリー・プラザを含むダウンタウンを通過してダラス・トレードセンターに向かう計画であった。
11時50分にケネディ大統領夫妻とコナリー知事夫妻はラブフィールド空港から、C123輸送機によりワシントンから運ばれた1961年式のリンカーン・コンチネンタルをオープントップに改造したパレード専用のリムジンに乗車して空港を出発した。
リンカーン・コンチネンタルには最後列右側にケネディ、左側に妻のジャクリーン・ケネディ、その前列の右側にテキサス州知事ジョン・コナリー、左側にその妻アイダネル(通称ネリー)・コナリー、その前の運転席(左側)にホワイトハウスシークレット・サービスのビル・グリアー、その助手席(右側)に同じシークレット・サービスのロイ・ケラーマンが乗車した[注釈 4]。
この時、バブルトップと呼ばれる透明な防弾カバーの屋根をつけるかどうかは、その日の天気次第とされていた。当日のダラスの天気予報は終日雨の予報であったが到着の1時間前から天候は回復し、空は晴れあがり結局リムジンにバブルトップが付けられることはなかった[1]。
市内パレード
暗殺事件現場のディーリー・プラザ。パレードの方向は黒の矢印、赤い四角が犯人がいたとされる教科書倉庫ビル、赤いバツ印2か所が狙撃された地点
ラブフィールド空港からのパレードには合計12台[注釈 5]の車が参加して、車列の先頭が先導する白バイで次にシークレット・サービスだけが乗った車で、その次が大統領夫妻が乗ったリンカーン・コンチネンタル、その後ろに再びシークレット・サービスが乗った車、そしてその次にジョンソン副大統領とレディバード夫人が乗った車を中心にパレードの車列は11時50分にラブフィールド空港を出発し、ダラス市内を時速16キロメートル(時速10マイル)前後のスピードを保ったまま、ダラス・トレードセンターに向かってゆっくりと進んだ[2]。ダラスの至る所、ルートに沿ってケネディに批判的ないくつかの団体がプラカードを掲示しビラを配布した。手製の抗議サインは車列の見物人達によって高く掲げられた。しかし車列は、ケネディが数人の修道女および数人の児童と握手するために二度止まる以外はほとんど何事もなくその全ルートを通過した。大通りに入ったリムジンの前に一人の男性が走り寄ったが、シークレット・サービスによって地面へ押し倒され車列から遠ざけられた。しかし全体としては歓迎ムードで、後にコナリー知事は「心からの温かさ、理解、敬意を示す大変な数の市民が繰り出していた。大統領もジャクリーン夫人も心から喜んでいる様子であった。」と語っている。ネリー夫人は大統領の方を振り返り「これでもうダラスがあなたを歓迎していないって、おっしゃらないでしょうね[注釈 6]」と言うと大統領は「もちろん。考えていませんとも[注釈 7]」と答えている[3]。
12時30分にケネディのリムジンはメイン通りからディーリー・プラザに入って右折し、ヒューストン通りをテキサス教科書倉庫ビルの正面にゆっくり進んだ。そして次にリムジンはゆっくりと左折して、エルム通りに入り、教科書倉庫ビルからわずか20メートル離れた位置に達した。