ロッキード事件 最高裁判所判例 事件名外国為替及び外国貿易… 

 

国会

チャーチ委員会での証言内容を受け、検察などの本格的捜査の開始に先立つ1976年2月16日から数回に渡って行われた衆議院予算委員会には、事件関係者として小佐野賢治、全日空の若狭社長や渡辺副社長、大庭哲夫前社長、丸紅の檜山廣会長や大久保利春専務[7]伊藤宏専務、ロッキード日本支社支配人の鬼俊良[8]などが証人喚問され、この模様は全国にテレビ中継された。

5月、ロッキード事件調査特別委員会が発足した。その後、ロッキードから金を貰ったとして「二階堂進元官房長官、佐々木秀世元運輸相、福永一臣自民党航空対策特別委員長、加藤六月元運輸政務次官」が限りなく黒に近い灰色高官であるとされたが、職務権限の問題や請託の無い単純収賄罪での3年の公訴時効成立の問題があったため起訴はされなかった。

三木の下でアメリカから資料をもらい調べていた当時 内閣官房副長官海部俊樹はインタビューで「先輩たちから、『他国から資料を貰ってまで恥をさらすことはない、指揮権を発動すればいい』とか言われた。到底我々の手の届く問題ではなかった。深い闇がある。」と語っている。

捜査

捜査開始

ジェラルド・フォード大統領

その後、三木武夫首相がチャーチ委員会での証言内容や世論の沸騰を受けて直々に捜査の開始を指示、同時にアメリカのジェラルド・フォード大統領に対して捜査への協力を正式に要請するなど、事件の捜査に対して異例とも言える積極的な関与を行った。

また、捜査開始の指示を受けて2月18日には最高検察庁東京高等検察庁東京地方検察庁による初の検察首脳会議が開かれ、同月24日には検察庁と警視庁国税庁による合同捜査態勢が敷かれた。吉永祐介は警察から情報が漏れていると考えていた。[9]

三木は外交評論家の平沢和重を密使として送り、3月5日にヘンリー・キッシンジャー国務長官と会談させてアメリカ側の資料提供を求めた。アメリカ政府は同月23日、日本の検察に資料を渡すことを合意した[10]

「ロッキード隠し」

捜査の開始を受けてマスコミによる報道も過熱の一途をたどり、それに合わせて国内外からの事件の進展に対する関心も増大したものの、明らかにライバルの田中をターゲットにした捜査の急激な進展は、親田中の議員を中心に「国策捜査」として批判されることになった。

また、椎名悦三郎を中心とした自民党内の反三木派が事件捜査の進展を急ぐ三木の態度を「はしゃぎすぎ」と批判し、さらに5月7日には田中と椎名が会談し、三木の退陣を合意するなど、いわゆる「三木おろし」を進め、田中派に加えて大平派福田派椎名派、水田派、船田派が賛同し、政権主流派に与するのは三木派の他は中曽根派だけとなる。国民やマスコミはこのような動きに対して「ロッキード(事件)隠し」と批判したが、このような声を尻目に田中、椎名、大平や福田などの多数派は結束を強めていった。

一方、吉永祐介検事を捜査主任検事とする東京地検特捜部はその後異例のスピードで田中を7月27日に逮捕し、起訴に持ち込んだが、三木とともに田中に対する捜査を推し進めた中曽根派出身の法務大臣稲葉修は、三木の政敵である田中の逮捕を「逆指揮権発動によるもの」とみなした田中派から、三木と共に激しい攻撃の対象となった。