日経平均株価 Ⅰ【初】目次・概要
名称
日本経済新聞社の登録商標である(登録番号第2569182号)。「日経」という略称がここでの正式名称であり「日本経済新聞平均株価」という名では呼ばない。東証から日経グループに算出・公表権が移って以降、日経グループ以外の放送局・新聞社は「日経」という固有名詞を避けて「東証平均株価」や単に「平均株価」と呼んでいた。しかし、日本経済新聞社の要請[5]や、海外で英文名称の「Nikkei 225」が普及した事情もあり、多くのマスコミは順次「日経平均株価」の名称を採用するようになった[6]。
沿革
- 1950年 9月7日 - 東京証券取引所が現在の算出方式(修正平均株価)で計算を開始(名称は「東証第1部修正平均株価」)
- 1969年 7月1日 - 東京証券取引所が東証株価指数の公表を開始
- 1970年 6月30日 - 東京証券取引所が修正平均株価の公表を打ち切り
- 1970年 7月 1日 - 日本経済新聞社が指数の算出・公表を引き継ぎ
- 1971年 7月 1日 - 日本短波放送(現・日経ラジオ社 = ラジオNIKKEI)が「NSB225種平均株価」の名称で公表を開始
- 1975年 5月1日 - 日本経済新聞社とダウ・ジョーンズが提携し、「日経ダウ平均株価」と名称を変更
- 1985年 5月 1日 - 「日経平均株価」と名称を変更
- 1985年 10月1日 - 公表値の更新頻度が1分毎になる
- 1986年 9月3日 - シンガポール国際金融取引所(現・シンガポール証券取引所)にて日経平均先物取引開始
- 1988年 9月 3日 - 大阪証券取引所にて日経225先物取引取引開始
- 1989年 6月12日 - 大阪証券取引所にて日経225オプション取引開始
- 1989年12月29日 - 算出開始以来の最高値(ザラ場 38957.44円、終値38915.87円)
- 1990年 10月1日 - 最高値からわずか9ヶ月で一時2万円割れ。バブル経済崩壊へ
- 2000年 4月24日 - 30銘柄にも及ぶ大量の入れ換えを実施。物議を醸す(詳細は後述)。
- 2001年 7月13日 - 東京証券取引所、大阪証券取引所に日経平均の上場投資信託が上場
- 2001年 9月12日 - 米国同時多発テロ翌日、1984年以来の1万円割れ
- 2003年 4月28日 - 算出開始以来の最安値(ザラ場7603.76円、終値7607.88円)
- 2006年 7月18日 - 大阪証券取引所にて日経225mini取引開始
- 2006年 8月14日 - 首都圏で発生した大規模停電の影響を受け、日中に算出停止のトラブル(1970年以来初)
- 2010年 1月4日 - 公表値の更新頻度が1分毎から15秒毎になる
採用銘柄ルール
1991年9月までは、算出対象銘柄は非常に単純であった。すなわち、「裁量的な銘柄の入れ替えはせず、採用銘柄が倒産したり合併されて消滅した場合にのみ銘柄を補充して225銘柄にする」、というものである。1970年の富士製鉄除外から1990年11月の三菱鉱業セメント除外まで、このルールに沿っている。唯一の例外措置は、1987年4月の日本電信電話上場時で、超大型株であったことから特例的に採用され、このためにオーミケンシが外れた。
1990年ごろから、株価指数先物取引の存在が大きくなり、現物と先物の間のさや取りが行われ始めた。先物を1単位売り、現物の225銘柄を全部1単位ずつ買う、といった手法である。この場合、225銘柄のうち、発行済数式総数の少ない銘柄は、この現物先物間の裁定取引や、日経平均連動型投信からの買いのために、まったく想定されていないほどの品薄株となってしまい、本来の企業価値とは著しくかけはなれた株価になってしまった。また、この高株価・品薄株は、日経平均への寄与度が異様に高まってしまい、これらの銘柄の価格に日経平均が振り回され始めた。そのために、「採用銘柄が空いたら補充する」というルールに「著しく流動性を欠く銘柄は除外し、その分他銘柄を補充する」というルールが追加された。このルールに沿い、1991年10月に台糖、片倉工業、帝国繊維、松坂屋、松竹、東宝が、1992年10月に合同酒精、大東紡織、高島屋が流動性が低いという理由で除外され(業績とは関係ない)、他銘柄が補充された。この結果、最大の特徴であった指数の連続性は弱まった。しかし、それ以外は特段に変更はなく、一度採用された銘柄は、ずっと採用され続けていた。
採用銘柄が非採用銘柄に吸収合併された場合は除外(例としては、1997年9月に、採用銘柄の三井東圧化学が非採用銘柄三井石油化学に吸収合併されて三井化学となり算出から除外され、東洋ゴム工業が追加採用)となっていたが、継続性重視の意味から、このケースは、新会社をそのまま継続採用すること、と変更された。このために、合併があっても新陳代謝は進まず、現在でいうオールド・エコノミーの銘柄が多くを占め続けた。オールド・エコノミーの銘柄が多くを占め続けたために、日経平均株価は、市場全体との体感がずれていった。
2000年4月24日に、この問題をただすため、採用銘柄を30銘柄入れ替えた。この際に、発表から実施までタイムラグが1週間あり、除外30銘柄が売り浴びせられる一方、新採用30銘柄が買い込まれて高騰した後に指数採用となったため、大きな不連続性が発生した。しかも、この時に除外される銘柄の多くは低位株、新採用の銘柄の多くは値がさ株だった。そのため、現物株を買い付ける日経平均連動型投信は、除外銘柄を売却しただけでは資金が足りず新採用銘柄を買い付けることができなかった。この追加資金捻出のためには、全銘柄を等株売却して買付資金の差額分を捻出する必要があった。これらの動きが複合した結果、最終的に日経平均株価は銘柄入れ替えが原因で約15%も下落してしまった。当時の大蔵省や経済白書では、これをもって日経平均の不連続性を認めている。以上の経緯のために、入れ替え以前の数字との単純な比較ができなくなっている。この反省から、2001年以降は、毎年9月から10月に日経平均株価の構成銘柄の定期入れ替えを行うようになっている(詳細は後述)。
銘柄の入れ替えで比率が高まった、いわゆるハイテク株の値動きに左右されやすい「ハイテク株指数」ともなっている。また、ダウ修正方式の影響で、相場全体の動きが誇張した形で表れる傾向があるとされる。
採用の事業会社が持ち株会社の傘下に入る形になる形態変更では、採用は継続される。この場合、事業会社除外時とそれを埋める持ち株新会社採用時に時的間隙ができて、数日間224銘柄以下になるときがある。たとえば、2010年3月29日から4月2日までは223銘柄で計算された。
また、一度は外れた三井東圧の流れを汲む三井化学は2005年5月に、高島屋も2001年3月に、東宝も2006年10月に再度採用されている。
また、東電のかわりに関西電力などを採用する、大阪市場の主要銘柄250社で算出される「大証平均株価」は、2000年4月の大規模銘柄入れ替えは行われなかった。
問題点
基本的に単純平均なので、値がさ株の影響を強く受ける傾向がある[7]。理由は、日経平均株価が東京証券取引所全体の動きを反映していない「歪んだ指数だという見方」により、海外の投資家は日経平均株価ではなく、東証株価指数を重視している[7] 。
特に、ファーストリテイリング1社の動きが、日経平均株価指数全体の動きの8%を占め[7]、さらに寄与度上位のKDDI・ファナック・ソフトバンク・京セラを入れると、指数全体の20%を占めることになる。一方、時価総額最大のトヨタ自動車の指数影響度が2%以下にとどまるなど、一部の銘柄の動きに過度に影響されており、株式市場全体の動きを反映していないとの批判がある[8] 。
また、これら寄与度の大きい銘柄の株価を、意図的に吊り上げることにより、日経平均株価を自己の有利な価格に誘導する投機的な取引もしばしば行われており、問題とされている。
みなし額面
株式の額面制度は2001年の商法改正で廃止されたが、日経平均では各銘柄について「みなし額面」を定めている。株価は市場価格をそのまま用いず、みなし50円額面に換算して計算している。大半の「みなし額面」は50円だが、株式分割または株式併合の影響で、これが50円にならないケースもある[9]。
日本経済新聞社では、みなし額面一覧を公表している。