アメリカ合衆国領土の変遷

アメリカ合衆国領土の変遷(アメリカがっしゅうこくりょうどのへんせん、英:Territorial evolution of the United States)は、アメリカ合衆国の内外境界の変更、さらにはその状態と改名を含む変遷の一覧である。領土の図には最終的にアメリカ合衆国の一部となった周辺地域も示す。各段階ごとに地図があり、その時にどのような具体的変化があったかを示す。

1783年パリ条約で独立を達成した後のアメリカ合衆国は西方に拡張し、その境界を7度広げたが、イギリススペインの植民地との間にそれぞれ1回の大きな国境調整があり、また数度の小さな論争があった。最初の13州が50州にまで成長し、その大半は準州として始まってに昇格した。この成長の一般的なやり方は、領土の拡大、新規獲得領地から準州の成立、これら準州の境界修正、そして最後の州昇格という過程を通った。ネバダ州ミズーリ州の2州は州になってから大きくなり、ジョージア州マサチューセッツ州ノースカロライナ州テキサス州およびバージニア州の5州は新しい州を創設するために小さくなった。

 

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一般的な注釈

  • 現在でもいくつかの境界紛争があり、また、アメリカ合衆国史初期からの境界には明確でないものが多い。例えば、西フロリダ東フロリダの境界は明確になっていない。単純化のために、本一覧では当初境界とされていたアパラチコラ川を採用しているが、後年の地図では西のペルディド川を境界とするものも多い。これはフロリダ自治法(権限付与法)が制定された際、その定義領域に西フロリダと東フロリダ双方の一部を含んでいたことが関わっている。境界がペルディド川であれば、フロリダ準州は既にルイジアナ、ミシシッピおよびアラバマに分割されていた西フロリダの如何なる部分も含むことは無かったことになる[1]
  • 下記の幾つかの小さな変更も一覧に含まれているが、地図には反映されていない。
  1. 南北戦争終了時、バージニア州からウェストバージニア州に2郡が移管されたこと
  2. アラスカ国境問題、これは測量された国境に関する紛争というよりも測量が全体的に行われなかったために起こった問題である。地図上でも大きな変更にはならない。
  3. ペンシルベニア州デラウェア州の間の楔形領域紛争、1平方マイル程度である。
  4. ダコタ準州が創設されたとき、北緯43度線より南、ケヤパハ川とニオブララ川より北の領域を含んでいた。ここは1882年3月28日ネブラスカ州に移管された[2]
  5. インディアナ州であった2度の小さな調整
  6. メキシコとのリオ・グランデ川に関する様々な論争

18世紀

United States 1789-03-1789-08.png

1789年3月4日