近世から近代にかけての世界の一体化 Ⅰ(生活革命から転送)奴隷貿易の進展とその影響
生活革命
18世紀には、茶・砂糖・コーヒー・綿織物など植民地やアジアからの輸入品が市民にも広まっていった。これを、生活革命と呼んでいる。
コーヒーハウスと喫茶の普及
詳細は「コーヒー・ハウス」、「紅茶」、および「陶磁器」を参照
ヨーロッパ最初のコーヒー・ハウスは、1650年、イングランドのオックスフォードにユダヤ人が開いたものだといわれる。その後、ロンドンにもコーヒー・ハウスが開店し、王政復古(1660年)やロンドン大火(1666年)を経て増加し、18世紀初頭のロンドンには3,000軒を越すコーヒー・ハウスがあったという。客は男性ばかりで、酒は出さず、コーヒーやたばこを楽しみながら、新聞や雑誌を読んだり、客同士で政治談議や商談、世間話をした。
シノワズリ(ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ、1757年)
コーヒー・ハウスでは情報交換もさかんにおこなわれ、ジャーナリズムが発展する温床のひとつともなっていった。『ロビンソン・クルーソー』の著者ダニエル・デフォーも1704年に新聞『レヴュー』を発行し、近代ジャーナリズムの火付け役となっている。また、「ロイズ・コーヒーハウス」には、船主たちが多く集まり、店では船舶情報を掲載した「ロイズ・ニュース」を発行していた。やがて、店で船舶保険業務を取り扱うようになり、これが保険会社ロイズの起源とされる。その他、文芸評論の場となったり、科学協会や政党の集会場もコーヒー・ハウスにおかれ、ここでは市民文化がはぐくまれることとなった。
一方、茶は、トマス・トワイニングが1706年、「トム・コーヒーハウス」を開業するかたわら、家庭でも喫茶できるよう茶葉の小売りを開始して、喫茶の大衆化をすすめ、1717年にはイギリス最初のティー・ハウス「ゴールデン・ライアンズ」を開いた。
これに伴い、砂糖消費が増え、中国製ならびに日本製陶磁器の需要も増加した。18世紀中葉のシノワズリの流行も陶磁器装飾をはじめとする中国の文物に触発されたものだった。陶磁器の需要増加に伴い、ヨーロッパ各地で陶磁器を生産するようになっていった。ドイツのザクセンのマイセンを皮切りに、イギリスではジョサイア・ウェッジウッドが陶器製造業者として王室や上流階級向けの贅沢な茶器を製作するようになった。ウェッジウッドは、1766年に国王ジョージ3世の王妃シャーロットからの称賛を浴びて「王室御用達」の陶工として認められ、その作品に「クイーンズウェア」と命名することを許された。その一方、産業革命勃興期にあたっていたことから、機械や動力を駆使して大量生産による廉価な実用品も開発、販売して茶器の大衆化に努め、実業家としても成功を収めた。
綿織物の普及
ヨーロッパにおける宮廷文化の発達と市民階級の台頭によって、保湿・吸水性にすぐれ、肌ざわりもよく、安価で装飾に適した綿織物の人気は上昇していった。とくにインド産綿織物は染色が容易で柔らかく、丈夫だったため、世界各地から求められ、18世紀のヨーロッパに「ファッション革命」をもたらしたといわれる。いかに木綿の原料を入手するか、あるいは、いかに綿製品を安価に大量に生産するかをめぐる競争や抗争は、18世紀以降の世界史を大きく動かしてきた。18世紀のインドにおけるカーナティック戦争をはじめとする英仏間抗争、アメリカ南部での綿花プランテーションの開始、イギリス産業革命における技術革新などはそのような歴史事象の例である。
啓蒙