ゲーム理論 ⅡⅩ【】ノーベル経済学賞との関係
批判
完全観測の仮定に対する批判
ゲーム理論において動学的環境ではプレイヤーが互いの行動を完全に見えると仮定されることが多いが[† 68]、このような完全観測(英: perfect monitoring)の仮定に対して次のような批判がある。
コモンズの管理に対するゲーム理論的な含意を実証研究によって明らかにした業績で2009年にノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムは、繰り返しゲームに対して次のように述べている[467]。
Some recent theoritical models of repeated situations do predict that individuals will adopt contingent strategies to generate optimal equilibria without external enforcement, but with very specific information requirements rarely found in field settings.[† 69]— Ostrom, E. (2015) Governing the Commons
また、東京大学名誉教授の岩井克人は2015年に雑誌『経済セミナー』の「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」という鼎談企画の中で「最後に、経済学は今後、どこに向かっていくのかというテーマで、少しお話しいただければと思います。」と質問されて次のように答えている[468]。
ここ20年くらい、ゲーム論的な立場から社会を見る経済学があまりにも強くなりすぎたと思っています。ゲーム論的な世界とは結局、顔の見える世界の話です。しかし、私は経済学の中で一番重要なのは、やはりアダム・スミスの思想だと思っています。それは、お互いに顔の見えない人間同士が築きあげる社会とはどのようなもので、どうすれば良くなるのかについての思想です。(中略)こういった視点が、ここ20〜30年のゲーム論の発展によって消えてしまったことは残念です。[† 70]— 岩井克人「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」、2015年
実用性に対する批判
ゲーム理論は社会科学の基礎的言語として社会科学者の分析のために活用されるだけでなく、企業や政府といった現実の意思決定主体がどのように意思決定するべきかを指示する道具としての役割も期待されていた[470]。実際、米国で周波数帯などの公的資産オークションが実施される際にはオークションの主催者である政府だけでなく入札者としてオークションに参加する企業もゲーム理論家を雇い最適戦略を決定するためにゲーム理論を活用しており、米国のメディアからもそれらの事実は「ゲーム理論の応用可能性の決定的な証拠」として高く評価されている[471]。
しかし、その一方で「経済分析には有効でも、意思決定主体にとっては有効な理論にはない」という批判がゲーム理論家の下に数多く寄せられていた[470]。一部の専門家や非専門家が「勝つための戦略」などと称してゲーム理論を使えば万事上手くゆくかのように宣伝している一方で、実際には協力ゲームの特性関数や非協力ゲームの利得関数を正確に把握することは不可能であったり、ナッシュ均衡が一意的でないため一部の経営的予測には役に立たなかったりといった問題が指摘されている[470]。以下の引用文が端的に示すように、イスラエル出身のゲーム理論家であるアリエル・ルービンシュタインは経済学を科学ではなく哲学の一分野として捉えており、経済理論が現実にとって価値のある提言に繋がるという主張を強く否定している[472]。
まず、私は数理モデルの魅力の虜です。論理記号から物語は出発し、こうした物語は私にとって魔法のようです。一方で、経済モデルが現実に価値のある結論を生み出すと論じるどんな解釈も執念深く否定しています。経済学が哲学の一翼であること、社会的な出来事について知的な議論が行われうる学問分野として経済学に惹かれています。— アリエル・ルービンシュタイン、『ゲーム理論の力』、2016年
さらにルービンシュタインは前述の公的資産オークションに携わった研究者がゲーム理論を役立てたという主張に対しても根拠がないとして批判している[473]。