世界恐慌 Ⅴ【後半】1929・社会科学における解釈とその影…
経済学
マルクス経済学では、資本主義諸国の経済の有機的連関によって、資本主義経済の矛盾も世界的に爆発的に広がる危険性を持つという[63]。当時は「市場は自身で調整を行う機能を持っており、政府の介入は極力すべきではない」という自由放任主義の考え方が主流であった。また、オーストリア学派などによって大恐慌は蓄積した市場の歪みを調整するための不可避の現象であるという見方もなされた。しかし、このような考え方では1930年代に世界が直面した大恐慌を説明し世界経済を救い上げる手立てを提供することができず、新しい経済理論が求められた。
行政府による財政出動による経済刺激策はフランス革命前後の啓蒙思想の頃から盛んに議論されてきた論題であったが、古典派経済学の過少消費説への勝利以降、政府の介入は民間の経済活動を圧迫するだけであるとの考えが通説となった(クラウディングアウト)。大恐慌の発生以降、再びこの論題がアメリカおよびイギリスで盛んに論議され、アメリカでは共和党のフーバー政権が赤字財政と国債発行に反対し、均衡予算主義のためにクラウディングアウトの議論を援用した。また、イギリスでは保守党政権下の財務省が同様の理論でジョン・メイナード・ケインズの立案になる自由党の提案と対立した。
ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)の中で、政府による財政出動によって、失われた雇用の創出と有効需要の創出が可能であり、投資の増加が所得の増加量を決定するという乗数理論に基づき、減税・公共投資などの政策により投資を増大させるように仕向けることで、回復可能であることを示した。また経済学的により重要な貢献は、通貨の価値を金塊から切り離し、物価と金融市場の需給(名目金利)に通貨の価値を直接むすびつける管理通貨制度の有効性を論証してみせた点にある。後者の理論的価値についてはアメリカ議会や国際会議では十分に理解されず、ケインズの提唱するバンコールは採用されず、戦後の国際通貨体制は金塊との兌換を保証されたドルを機軸とし各国通貨がそれにリンクするブレトンウッズ体制が採用される。
反ケインジアンの筆頭とされるマネタリストのミルトン・フリードマンは、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし[64]、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求めている。
社会心理学
アメリカでは、大恐慌時に生まれた第二次世界大戦後のベビーブーマー世代の親世代の人々は、非常にリスクを回避するという調査結果が出ており、その傾向は景気が良くなっても変わらず一生続いたとされている。
関連項目
脚注
- 広辞苑
- 有斐閣『経済辞典』p.414
- 不破哲三『『資本論』全三部を読む 』p.45
- 不破哲三『二十一世紀と「科学の目」』p.53
- http://m-words.jp/w/E4B896E7958CE68190E6858C.html
- The Great Depression
- ^ 小林真之 両大戦間期のアメリカ投資信託 季刊北海学園大学経済論集 60(4), 2013年3月30日
- 国際連盟主催の、ジェノア会議につぐ第2回大会。World Economic Conference of 1927
- ニューヨーク・タイムズ。金融機関名が出ている検索画面
- Approximately $5,000,000 which has been on deposit in the Guaranty Trust Company and $1,000,000 in the National City Bank since the overthrow of the Czarist Government In Russia is to be claimed formally within the
- 靴磨きの少年の名前はパット・ボローニャという。このエピソードはバブルの本質を表しているが、事実関係は明らかでない。ジョセフがいつどこで述べたかも不明である。株価暴落には仕掛け人がおりジョセフが関係者であるという説は根強い。息子であり大統領であるJFKの妻ジャクリーヌの実家ブビエ家も大恐慌前に売り抜けた証券取引人であり、これがこの疑惑を強化している。後にジョセフが初代証券取引委員会(SEC)委員長となって辣腕で証券業界を取り締まり、政界進出を果たしたことも疑いを深めている。
- ^ これは5日前に続く記録更新であり、以後1969年まで破られなかった。
- ^ ダウ平均で12%
- ^ これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。
- パリ連合銀行とも。1906-1910年の間、露清銀行と合併した北方銀行に資本参加していた。戦後、ロスチャイルドと原子力企業COFINATOME を支配した。1970年代、スエズ金融が商工信用銀行(フランス語版、英語版)を支配する代わりに、パリバが自身の傘下となったばかりのクレディ・デュ・ノル(フランス語版、英語版)へユニオン・パリジェンヌを吸収した。クレディ・デュ・ノルは元々ソシエテ・ジェネラルが支配していた。1997年から再びソシエテ・ジェネラルが支配している。
- ^ Les entreprises coloniales francaises, "SOCIÉTÉ FINANCIÈRE FRANÇAISE ET COLONIALE(SFFC)(1930-1949)", Mise en ligne: 15 avril 2014. Dernière modification: 9 janvier 2016.
- ウォルムズ銀行は英名。フランス語ではヴォルム銀行。第二次世界大戦中ヴィシー政権と癒着した。戦後ミッテランが出るまで国有化されなかった。
- 同名の父親(1844-1907) は、オスマン銀行の監査(1874-1877) とソシエテ・ジェネラルの重役(1880-1890) を務めた。
- Les entreprises coloniales francaises, "LA SFFC-SOFFO EN INDOCHINE", Mise en ligne: 30 septembre 2014. Dernière modification: 16 mai 2016.
- よく似たシンジケートSociete Financiere pour les Pays d'Outre-mer (SFOM) には、ランベール、コメルツ銀行、バンカメなどが参加している。
「:en:Union des Banques Congolaises」および「:en:Commercial Bank of Africa Group」も参照
- Creditanstalt, クレディ・アンシュタルトとも。
- Ben S. Bernanke "The Macroeconomics of the Great Depression: A Comparative Approach," Journal of Money, Credit, and Banking, 27(1), 1995.
- 当時の大経済学者アーヴィング・フィッシャーエール大学教授の所論でもあった
- International data from van Zanden, Bolt. “economic growth in the world economic between AD 1 and 2010”. 2013年3月24日閲覧。. Gold dates culled from historical sources, principally Eichengreen, Barry (1992). Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919–1939. New York: Oxford University Press. ISBN 0-19-506431-3
- 基軸通貨ポンドの衰退過程に関する実証的研究(平成14年度~平成16年度科学研究費補助金研究成果報告書)金井雄一(名古屋大学大学院経済学研究科教授)[1]PDF-P.9以降
- 中村政則『昭和の歴史 第2巻』小学館 1994年
- US DoC>Bureau of Economic Analysis>National Economic Accounts>Interactive Table Home>Table Selection>View Table
- ^ オフィステクスト・三菱総合研究所政策経済研究センター 『手にとるように経済がわかる本』 かんき出版、2009年、46頁。
- US DoL>Bureau of Labor Statistics>Publications>Compensation and Working Conditions
- 7段落に詳細。ワシントン大学 The Banking Crisis of 1933:Seattle’s Survival during the Great Depression Bank Closures
- 朝日新聞「天声人声」2015年8月26日[2]
- Whitehouse>OMB>Historical Tables>24page Table 1.2 SUMMARY OF RECEIPTS, OUTLAYS, AND SURPLUSES OR DEFICITS AS PERCENTAGES OF GDP 1930–2017
- The Economist:1930年代の教訓:行く手に潜む落とし穴
- The Economist:1930年代の教訓:行く手に潜む落とし穴
- 毎日新聞社「週刊エコノミスト」1998年6月30日号「恐慌から回復への政策」林敏彦
- 金解禁は1930年1月から1931年12月10日まで。当時金価格は1トロイオンス$20.67、4.25スターリングポンドであった。戦後はニクソンショックまで1トロイオンスあたり$35の固定相場である。今1トロイオンスの地金は約8万円なので、$1億=現在金価値約4000億円相当と考えられる(2008年10月現在)。ただし、当時の経済規模を考えると10倍以上のインパクトがあったと思われる。
- 「財務省今昔物語4」寺井順一(財務総合政策研究所主任調査官)
- 中島直人、西村幸夫「1930年代前半における都市美協会による「都市美委員会」設置の提案に関する研究」、『日本建築学会計画系論文集』第557号、社団法人日本建築学会、2002年7月30日、 241-248頁、 NAID 110004081720。
- 寺岡寛「平沢照雄 『大恐慌期日本の経済統制』 日本経済評論社 2001年」、『中京経営研究』第12巻第2号、中京大学、2003年2月、 275-284頁、 NAID 110006604442。
- 新保博彦「戦前日本の海外での企業活動」、『大阪産業大学経済論集』第9巻第2号、大阪産業大学、2008年2月、 121-153頁、 NAID 110006959366。
- 平沢照雄「1930年代日本における中小工業統制と産業協力活動 : 電球硝子工業の事例」、『歴史と経済』第50巻第1号、政治経済学・経済史学会、2007年10月30日、 1-14頁、 NAID 110006420230。
- 加藤道也「戦間期日本における失業問題と金融政策」、『大阪産業大学経済論集』第9巻第1号、大阪産業大学、2007年10月、 37-60頁、 NAID 110006959361。
- ^ 石田潤一郎、金珠也「9161 朝鮮都市経営株式会社の事業概要-設立期を中心に : 朝鮮都市経営会社の住宅地開発に関する研究 その1(都市史:アジア,建築歴史・意匠)」、『学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠』第2007巻、社団法人日本建築学会、2007年7月31日、 321-322頁、 NAID 110006643183。
- 高宇「「水産工業」戦略の展開(上) : 日本食料工業の場合」、『立教経済学研究』第61巻第1号、立教大学、2007年7月10日、 103-118頁、 NAID 110006378381。
- 小堀聡「戦間期日本におけるエネルギー節約政策の展開 : 燃焼指導に着目して」、『歴史と経済』第49巻第3号、政治経済学・経済史学会、2007年4月30日、 48-64頁、 NAID 110007030257。
- ^ 北川勝彦「1930年代における日本のモロッコ貿易をめぐる諸問題 : 外務省記録を中心にして」、『關西大學經済論集』第56巻第1号、関西大学、2006年6月15日、 53-75頁、 NAID 110006159102。
- 東京国際空港、あじあ号、冷凍食品、霞ヶ浦干拓、東京緑地計画協議会、白水溜池堰堤
- 和多則明「世界恐慌期フランスにおける経済政策の機能」、『Etudes francaises』第19巻、大阪外国語大学、1983年6月25日、 93-105頁、 NAID 110006178922。
- 竹岡敬温「世界恐慌と1929-1931年のフランス経済」、『經濟學論究』第52巻、関西学院大学、1999年9月19日、 1-37頁、 NAID 110000405989。
- 金本位制による通貨で現在価値で約40兆5千億円
- 家畜、農産物、工業製品などで、ドイツは約450億金マルクと算定していた。
- 「ルール地方案内」在デュッセルドルフ日本国総領事館2009年7月[7]PDF-P.5
- 林昭男「<論説>第1次大戦後におけるフランスのインフレーションと通貨政策」、『商學討究』第25巻第4号、小樽商科大学、1975年3月30日、 23-44頁、 NAID 110000231164。
- 「金本位制・国際通貨制度とケインズ」松川周二(立命館経済学56巻特別号8)[8]PDF-P.14
- 『ウォール街の崩壊』講談社
- 川瀬泰史 2005, pp. 23.
- 川瀬泰史 2005, pp. 30.
- ^ 大島通義「「危機」の年(1938年)の財政過程 : 国防軍財政を中心として(PDF) 」 、『三田学会雑誌』80(6)、慶應義塾経済学会、1988年、 547(1)-577(31)、 NAID 120005350373。
- OECD『Monitoring The World Economy 1820 - 1992』 17 Aug 1995
- 「トランスボーダーの人流:1930 年代初頭ロシア極東から北海道に避難・脱出した事件を中心に」倉田有佳[9]
- ^ アンドリュー・ボイル著「裏切りの季節」 Climate of Treason
- 直接の引用は「現代経済学全集第28巻」金本位制と世界恐慌 高垣虎次郎(日本評論社 昭和7年10月25日発行)
- 世界最悪のインフレは1946年に10垓(がい=京の1万倍、兆の1億倍)ペンゴ紙幣が発行されたハンガリーである。10億兆ペンゴ=10垓(がい)ペンゴ=1×10の21乗ペンゴ=1,000,000,000,000,000,000,000 ゼロが21個も並ぶ。実物写真
- 有斐閣『経済辞典』p.414
- The Boston Globe "Nobel laureate economist Milton Friedman dies at 94" 2006-11-16
- 麻木久仁子・田村秀男・田中秀臣 『日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕』 藤原書店、2012年、48頁。
- 自前の植民地経済圏を保持していた大国が採った対応策の一つ。帝国主義論によれば「植民地獲得競争で後れを取っていたドイツ・イタリア・日本の対外拡張主義暴発の要因となる」と説明されナチスの生存圏理論が引き合いに出されるが、時間軸上では枢軸国の海外進出政策とブロック経済は必ずしも因果関係や前後関係にない。
参考文献