薔薇戦争【イングランド内乱】ⅩⅠ バッキンガム公の反乱・ボ… 

 

戦後

ヘンリー7世。
作者不明。1505年。

30年以上も続いたこの内戦によってイングランドの国土は荒廃したとされるが、これは新たに成立したテューダー朝によって誇張されたプロパガンダに過ぎない[148]。ヨーク家とランカスター家の権力争いであるこの内乱は他国の戦争や内乱と異なり、抗争を行う貴族たちは臣民の支持を得るために彼らを戦いに巻き込むことを避けており、同時代のフランスの歴史家フィリップ・ド・コミュンヌ英語版)はイングランドでは田園も建物も破壊されなかったと述べている[149]。戦闘行動自体も合計で428日間に過ぎなかった[150]。戦闘はごく短期間のものが時間を置いて断続的に続いたのであり、攻城戦やそれに伴う略奪は少なく、1460年の北部兵を率いたマーガレット王妃の反攻時の例外的な略奪も、現存する当時の記録からはわずかな影響しか認められない[151]。この内戦の30年間、民衆の生活はほとんど脅かされておらず、ヘンリー7世は良好な状態の国土を継承できた[151]

薔薇戦争の結果、貴族がほとんど絶滅したかのように説明されることがあるが、実際の減少は25%程度であり、少ない数字ではないが「絶滅」という表現には当たらない[150]。家門断絶の理由も、嫡出男子を欠いたことが戦死や処刑と同程度に存在した[150]。一方で、この時代以前の大貴族(公爵家と伯爵家)がほとんど姿を消したのも事実である[n 8]。ヘンリー7世は貴族数を抑制し、1485年の即位時の50家が、1509年に死去した際には35家になっていた[152]。断絶した貴族の所領は王領地化され、王室財政の強化に資された[6]

ヘンリー7世は貴族の私兵である扈従団の抑制を図り、最初の議会で貴族たちに扈従団を保有しないことを誓約させ、1504年には「揃い服禁止法」を出している[153]。もっとも、その治世中には疑似封建制度英語版)を完全に解体することはかなわず、譲歩を余儀なくされることもあり、部分的・個別的な規制に留まっている[153]。大貴族パーシー家をはじめとする在地貴族が根を張り、王権の支配の弱かった北部については、1489年にノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーが横死すると[154]、これを好機にサリー伯トマス・ハワードを送り込み秩序回復に成功した[155]

地方統治においては、国王にとって危険な貴族に頼らず、ジェントリ(郷紳)に依存しようとするランカスター朝、ヨーク朝からの政策が踏襲されたが、その達成には長い時間を要することになる[156]。ジェントリは無給の治安判事として地方行政の中心的役割を担い[157]、有能な者は中央の国王評議会にも起用された[158]。身分の枠にとらわれない実用主義の人材登用がテューダー朝の特徴となる[159]

ヘンリー7世以降、テューダー朝は王権の強化を通した絶対王政の基礎を固めてゆくが[160]、イングランド王は古来からの慣習法(コモン・ロー)や議会による制約が強く、同時代のフランスやスペインの様な強力な中央集権の完成には至らなかった[161]

題材とした作品

シェイクスピアの史劇

ウィリアム・シェイクスピア(ジョン・テイラー画、1610年頃)

ウィリアム・シェイクスピアの最初期の作品『ヘンリー六世 第1部』(1591年 - 1592年[162])、『ヘンリー六世 第2部』(1590年 - 1591年[162])、『ヘンリー六世 第3部』(1590年 - 1591年[162])そして『リチャード三世』(1592年 - 1593年[162])は百年戦争末期から薔薇戦争の時代を題材とした歴史劇であり、「第1・四部作」と呼ばれている[163][n 9]エドワード・ホール英語版)の『年代記』(1548年)、ラファイエル・ホリンシェッド英語版)の『年代記』(1577年、1587年)などが材源に用いられた[164]。『ヘンリー六世』三部作については成立時期とともに執筆者を巡っても議論が続いており、第一部は合作説が強い[165]

歴史劇なので必ずしも史実に忠実ではなく、劇的効果のために人間関係は大胆にアレンジされ、事件の時系列は圧縮されている[166]。リチャード3世は醜い容貌のせむし男として描かれ、劇中で王冠を狙う野心を吐露して悪党になると宣言する、際立った印象を与える人物となっている[167]。「第1・四部作」は幼王を殺害して王位を簒奪した悪王リチャード3世がヘンリー・テューダーに倒され、テューダー朝の成立により真の平和がもたされて完結する。

その後、これらの歴史劇が一度に上演されることはほとんどなかった[168][169]。1963年、ジョン・バートン英語版)とピーター・ホール英語版)がこれらの作品を要約した[169]『薔薇戦争』(The Wars of the Roses[170]を製作し、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによる上演を行った。この上演は1965年にBBCで放映された[171]。1981年から1982年には原作の変更を最小限にとどめた4部作が上演され、BBCで放映されている[172]

『リチャード三世』は様々な形で、たびたび映画化されている(リチャード三世 (シェイクスピア)#映画化作品を参照)。

その他