ゲーム理論 Ⅵ【右】空想から工学へ・数理科学としてのゲーム…

 

不動点アプローチ

不動点。曲線 y = f(x) と直線 y = x の交点が関数 f の不動点を表している。この画像は一価関数のケースだが、ゲーム理論ではより一般的な多価関数が分析される。

数理科学としてのゲーム理論の特徴として、不動点定理の利用が挙げられる。古典物理学を始めとする自然科学における対象物が観察者から独立しているのに対して、社会科学における対象物は観察の対象であると同時にまた社会を観察する主体でもある、という点で自然科学と社会科学は本質的に異なっている[199]。特に、プレイヤーが相互の選択を予測し合うゲーム理論では、各プレイヤーが認識する社会に認識主体である彼ら自身が含まれている。したがって、各プレイヤーの社会に対する認識と認識された事実とが整合的である必要があり、さらに、各プレイヤーから一斉に認識される事実がそれぞれの認識に対して頑健である必要がある[199][200]。社会科学における均衡equilibrium)とは、プレイヤーが社会に向けた観察と、その社会における彼ら自身の行為や選択との整合性や頑健性であり、このような議論の数学的対応物が不動点定理fixed point theorem)である。ナッシュ均衡Nash equilibrium)とは、各プレイヤーが社会に向けた認識の組と一致するような戦略の組であり、それは認識と行為との対応関係(最適反応関数)の不動点に他ならない。このような不動点議論によって、自然科学における因果関係とは異なる社会科学特有の哲学的基礎を定式化することが可能となる。

1937年フォン・ノイマンによって発表された論文「経済学の方程式体系とブラウワーの不動点定理の一般化」の中ではブラウワーの不動点定理が用いられていたが、1941年にミニマックス定理の補題としてフォン・ノイマンが部下の角谷静夫に一般化された不動点定理を証明させて以来、ゲーム理論にはこの角谷の不動点定理が広く用いられている。不動点アプローチが含意する社会観や哲学的基礎は、明示化こそされていなかったものの、ワルラス的な模索過程(タトヌマンプロセス英語版))やマクロ的ケインズ均衡のような従来の経済理論にも潜在するものであった。実際、不動点アプローチはゲーム理論以外の「主流派」経済学の一部においても採用されており、1954年にはケネス・アロージェラール・ドブルーがブラウワーの不動点定理を用いて、同年ライオネル・マッケンジーは角谷の不動点定理を用いて、それぞれ一般均衡の存在定理を証明している[203]。ゲーム理論を始めとする数理経済学において用いられる不動点定理としては、最も基本的な連続関数に対して適用される「ブラウワーの不動点定理」や連続関数を一般化した「閉対応」に対して適用される「角谷の不動点定理」の他に、選択定理を利用した「ファン=ソネンシャインの不動点定理」や完備束上の関数に対して適用される「タルスキの不動点定理」などが挙げられる。

公理論的アプローチ

カール・メンガー。公理主義的経済学の提唱者。ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズレオン・ワルラスと同時期に限界効用説を打ち立てたことでも知られる。

数理科学としてのゲーム理論のもうひとつの特徴として、公理論的アプローチが挙げられる。公理論的アプローチにおいては、分析対象の性質や均衡などをその対象が必ずしも意図せず持つような特性などから逆に特徴付けるような手法、すなわち公理的特徴付けaxiomatic characterization)が採用される。ここで用いられる公理系とは論理的な形で与えることのできる究極の形式的表現であり、理論の精密性を保証するために必要不可欠であった。従来の経済学には原理principle)という言葉が多用されるものの公理axiom)という言葉は用いられなかった。これに対して、ゲーム理論は社会科学において初めて公理系と呼ばれる概念を用いて社会状況を表現してその解を導くことを試みた学問分野である。

オーストリア学派の中心的経済学者であったカール・メンガー公理主義的経済学の構築を提案していた頃、ジョン・フォン・ノイマンダフィット・ヒルベルトと共同で数学量子力学の公理化を進めていた。一方、オスカー・モルゲンシュテルンはメンガーらの影響を受け、公理論的基礎を持つ科学的言語の創造とそれに基づく社会科学と倫理学に再構築を構想していた。ゲーム理論はこのフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが出会ったことによって誕生し、その当初から公理論的体系を具していた。彼らの共著書『ゲームの理論と経済行動』(1944年)において用いられた公理論的アプローチは、ナッシュの交渉問題、ナッシュ均衡シャープレー値など後のゲーム理論研究において多用されることとなった。公理論的アプローチによって構築されたゲーム理論は、社会を構成する人間の理性的行動を明確に記述・分析する言葉として多様な分野で用いられ発展している。

公理論的アプローチはゲーム理論以外にも価格理論などの主流派経済学にまで普及しているがその一方で、ポスト・ケインズ派旧制度派オーストリア学派ラディカル派マルクス学派などの異端派経済学者からは批判を受けている。彼らが共有する批判的実在論critical realism)によれば、公理論的アプローチを採用している主流派経済学は何かを説明する際に公理となる仮定や条件から演繹する必要があるが、この方法では社会科学が事象の規則ではなく深層の社会構造や経済主体に関心を持っていることを認識できないという。すなわち、現実世界が社会構造と経済主体からなる「開放系」であるにも関わらず、システムを「閉鎖系」としてしか分析できない公理論的アプローチを用いている限り、理論・実証の双方とも不完全なままにとどまるであろう、という批判がなされている。