百年戦争 Ⅶ【英仏】フランスの逆襲 ジャンヌ・ダルクの出現
戦争の影響
この戦争の後、イングランドでは「薔薇戦争」が起こって諸侯は疲弊し没落したが、王権は著しく強化されテューダー朝による絶対君主制への道が開かれた。フランスでも宗教戦争が起こって内乱が発生したが、祖国が統一されたことで王権が伸張し、ブルボン朝の絶対君主制へと進んだ。
その他
ヘンリー6世以降のイングランド王は、百年戦争以降も「フランス王」の称号を用い続け、ジェームズ1世以降はフランス、イングランド、スコットランド、アイルランドの4ヶ国の王を称した。これは、ハノーヴァー朝のジョージ3世の時代の1801年にグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立するまで続いた(w:en:English claims to the French throne)。また、ヘンリー8世はフランスのフランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世が争った際にはカールと同盟を結んで何度かフランスを攻撃したが、結局最後は講和条約を結んでいる。
1453年の時点でイングランドはフランスにおける領土の殆どを喪失したが、1558年まで港町のカレーだけはイングランド領であったほか、21世紀に入ってもかつてのノルマンディー公国の一部であるチャンネル諸島はイギリスの王室属領である。また、イギリスの国の標語は"Dieu et mon droit"(神と私の権利)というフランス語である。
脚注
- ^ フランドル伯はキャドザントの戦いなど戦争の初期にフランスの封土としてイングランドと戦ったほか、1369年から1389年まで(英語版)と、ディスペンサー十字軍(英語版)のときもイングランドと敵対した。
- ^ ブルゴーニュ公は1369年から1389年まで(英語版)フランスの封土としてイングランドと敵対した。
- ^ ブロワ家はフランス王国を支持した。
- ^ アヴィニョン教皇はディスペンサー十字軍(英語版)のとき、イングランドと敵対した。
- ^ モンフォール家はイングランドを支持した。
- ^ ローマ教皇はディスペンサー十字軍(英語版)のとき、イングランドを支持した。
- ^ a b c 両ペドロ戦争(英語版)中、イングランドに味方してフランスとアラゴンと戦った。
参考文献
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- Philippe Contamine(原著)、坂巻昭二(翻訳)、『百年戦争』、白水社
- 堀越孝一、『ジャンヌ=ダルクの百年戦争』、清水書院
- 城戸毅、『百年戦争』刀水書房
- 佐藤賢一、『英仏百年戦争』、集英社新書、2003, ISBN 408720216X