ベトナム戦争
VietnamMural.jpg
(左上より時計回りで)
テト攻勢で防御にあたる海兵隊員と南ベトナム軍(1968年)
第14歩兵連隊第2大隊の兵士を運ぶUH-1D(1966年)
ベトコンが潜伏したと見做され焼却される村落
ベトナム人の犠牲者
戦争第二次インドシナ戦争
年月日1955年11月 - 1975年4月30日
場所:インドシナ半島
結果ベトナムの旗 ベトナム民主共和国側の勝利
交戦勢力

南ベトナムの旗
ベトナム共和国


 

ベトナムの旗
ベトナム民主共和国


FNL Flag.svg 南ベトナム解放民族戦線
カンボジア クメール・ルージュ
カンボジア カンボジア民族統一戦線(1970-)
ラオスの旗 パテート・ラーオ
Flag of Laos (1952-1975).svg ラオス王国中道派勢力(1967-)

援助国:
カンボジアの旗カンボジア王国(-1970)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
Flag of North Korea.svg 北朝鮮
キューバの旗 キューバ
ポーランドの旗 ポーランド
アルバニア アルバニア
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア
東ドイツの旗 東ドイツ
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
ハンガリーの旗 ハンガリー
ブルガリアの旗 ブルガリア
ルーマニアの旗 ルーマニア
アルジェリアの旗 アルジェリア
モンゴル人民共和国の旗 モンゴル
スウェーデンの旗 スウェーデン
Flag of Burma (1948-1974).svgビルマ

指導者・指揮官
   
戦力
延べ2,000,000(1968)
南ベトナム軍
1,400,000
アメリカ軍
548,383
韓国軍
312,853
タイ軍
22,000
フィリピン軍
6110(10,000?)
オーストラリア軍
49,968
ニュージーランド軍
2500
延べ1,260,000(1968)
北ベトナム軍
280,000
南ベトナム解放民族戦線
800,000
ソ連軍
3,000
北朝鮮軍
600
中国人民解放軍
(高射2個師団)
損害
推定戦死者 285,000
行方不明者 1,490,000
民間人死者 1,581,000
推定戦死者 1,177,000
行方不明者 604,000
民間人死者 3,000,000
ベトナム戦争

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ベトナム
ベトナム社会主義共和国の国章
 

ベトナムの歴史


主な出来事
仏領インドシナ成立
東遊運動 · 日仏協約
仏印進駐 · 大東亜戦争
マスタードム作戦
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ディエンビエンフーの戦い
ジュネーヴ協定 · 南北分断
トンキン湾事件 · ベトナム戦争
パリ協定 · 西沙諸島の戦い
サイゴン解放
カンボジア・ベトナム戦争

中越戦争 · 中越国境紛争
ドイモイ
スプラトリー諸島海戦


ベトナム共産党
南ベトナム解放民族戦線
共産主義
ホー・チ・ミン思想


「国家」ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
ベトナム社会主義共和国
越南民国臨時政府


人物

ファン・ボイ・チャウ
グエン・タイ・ホック(英語版)
バオ・ダイ
ホー・チ・ミン
ヴォー・グエン・ザップ
レ・ドゥク・ト
レ・ズアン
ゴ・ディン・ジエム
ゴ・ディン・ヌー
マダム・ヌー
グエン・ミン・チェット
グエン・カオ・キ
グエン・タン・ズン
ノン・ドゥック・マイン


言語
ベトナム語 · チュノム
クオック・グー

 

ベトナム戦争(ベトナムせんそう, : Vietnam War)は、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争の総称。第二次インドシナ戦争: Second Indochina War)ともいわれた。ベトナム社会主義共和国では米国戦争: Chiến tranh Mỹ quốc)、対米抗戦: Kháng chiến chống Mỹ)、抗米救国戦争: Kháng chiến chống Mỹ cứu nước)などと呼ばれる[5]

 

目次

1概要
2フランス植民地時代とベトナム独立運動
2.1フランス帝国によるベトナム侵略
2.1.1ナポレオン3世のアジア太平洋進出
2.1.2清仏戦争とベトナムの保護国化
2.2日本軍進駐とベトナム独立
2.3ベトナム八月革命
3インドシナ戦争
3.1連合軍・自由フランス軍の再進駐
3.2士官学校とインドシナ残留日本兵
3.3勃発
3.4冷戦(ソ連、アメリカ、中華人民共和国の介入)
3.4.1朝鮮戦争
3.5ディエンビエンフーの戦いとフランス軍の敗退
3.5.1ディエンビエンフーの戦い
3.6ジュネーブ協定と南北分断
3.6.1アメリカ合衆国のインドシナ半島への本格的介入
4南北対立と米国の本格的介入
4.1ジエム政府(南ベトナム)
4.1.1反政府勢力の掃討作戦
4.1.2反ジエム連合戦線
4.2南ベトナム解放民族戦線
4.2.1第十五号決議
4.2.2Đ基地とベンチェ動乱
4.2.3NLF結成
4.3ケネディ政権
4.4仏教徒による抗議・焼身自殺
4.5ジェム大統領暗殺からミン政権・チュー政権へ
5大規模な軍事介入の開始
5.1トンキン湾事件
5.2ジョンソン政権
5.3北ベトナム・中ソからの軍事援助
5.4解放戦線の勢力
6北爆
6.1ローリング・サンダー作戦
7経過
7.1米軍上陸
7.2韓国軍・SEATO連合軍の参戦
7.3北ベトナム軍陣地
7.4サーチ・アンド・デストロイ(索敵殺害)作戦
7.4.1韓国陸軍によるビンディン省攻撃と大量虐殺
7.5ソンミ村虐殺事件と反戦運動
7.6チュー大統領就任
7.7反戦運動
7.8テト攻勢
7.9フエ事件
7.10アメリカの国内の混乱と北爆停止
7.11ニクソン政権
7.12中ソ対立の激化とデタント
7.13ホー・チ・ミン死去
7.14カンボジア侵攻
7.15ラオス侵攻
7.16北爆再開
8米中接近とパリ和平協定調印
8.1パリ和平協定
8.2アメリカ軍の全面撤退
9アメリカ軍撤退後の戦況
9.1西沙諸島の戦い
9.2ニクソン退陣
9.3北ベトナム軍の全面攻撃
9.4サイゴン撤退作戦
9.5サイゴン陥落と南ベトナム崩壊
10南北ベトナム統一
11第三次インドシナ戦争
11.1カンボジア内戦と中越戦争
12主に参加した航空団・部隊一覧
12.1アメリカ合衆国
12.2南ベトナム
12.3北ベトナム
13年表
14戦争の影響
14.1ベトナム
14.2再教育キャンプ
14.3ラオス・カンボジア
14.4アメリカ
14.5フランス
14.6中東
14.7日本への影響
15戦争犯罪
15.1南ベトナム解放民族戦線の攻撃による民間人被害
15.2枯葉剤・ナパーム弾
15.3虐殺事件
15.3.1ソンミ村虐殺事件
15.3.2韓国軍による虐殺事件
15.4混血児問題
16現在
16.1アメリカとの和解
17報道
17.1報道写真
17.2テレビ中継
18ベトナム戦争を扱った関連作品
19脚注
19.1注釈
19.2出典
20参考文献
21関連項目
22外部リンク

概要

ベトナム戦争は宣戦布告が行われなかったため、戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。

この戦争は、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を盟主とする共産主義陣営との間に、第二次世界大戦後に生じた対立(いわゆる冷戦)を背景とした代理戦争でもあった。

ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、南ベトナムを「アメリカ合衆国の傀儡国家」と規定し、共産主義イデオロギーを背景に、ベトナム人による南北ベトナム統一独立国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとした。

第一次インドシナ戦争終結後も、北ベトナムが支援する南ベトナム解放民族戦線(アメリカ合衆国民はベトコンと呼称)が南ベトナムで武力を用いた反政府活動を続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣した。その後ジョン・F・ケネディ大統領は軍事顧問団の規模を増大させることで事実上の正規軍の派兵を進めた。リンドン・ジョンソン大統領は大規模な正規軍を送ってベトナム戦争に積極的に介入した。

アメリカの他にSEATO(東南アジア条約機構)の主要構成国である韓国、タイ、フィリピン、オーストラリアニュージーランドが南ベトナムに派兵した。ソビエト連邦や中華人民共和国は、北ベトナムに対して軍事物資支援を行うとともに多数の軍事顧問団を派遣したが、アメリカやSEATO諸国のように前面に出る形での参戦は行わなかった。北朝鮮は飛行大隊を派遣し、ハノイの防空を支援した。

ベトナム戦争をめぐって世界各国で大規模な反戦運動が発生し、社会に大きな影響を与えた。1973年のパリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。その後も北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線と南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦した。