パラダイムとしてのゲーム理論

ドイツ語圏ユダヤ人思想の影響

 

ゲオルク・ジンメル

ゲーム理論を創始したジョン・フォン・ノイマンオスカー・モルゲンシュテルンの思想の背景にはジンメルマルクスウェーバーウィトゲンシュタインなどのドイツ語圏ユダヤ人思想の潮流があると言われている。

ゲオルク・ジンメル

特にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの研究にはドイツの哲学者ゲオルク・ジンメル(1858-1918)の影響が色濃く現れていることが指摘されている。Gesellschsftsspieleというドイツ語はフォン・ノイマンによる先駆的論文「社会的ゲームの理論について」(1928年)において用いられ「ゲーム理論」という名称の由来にもなった単語であるが、当時としては一般的な表現ではなかった。しかしこの概念は、以下の引用に示されるように、ジンメルの著書『社会学の根本問題』(1917年)において主題のひとつとして既に論じられていた。なお引用文において翻訳者の清水幾太郎Gesellschaftsspieleに「社会的遊戯」という訳語を充てている。

社会的遊戯(Gesellschaftsspiele)という表現は深い意味において重要である。人間の間の一切の相互作用形式、社会化形式—例えば、勝利への意志、交換、党派の形成、略奪の意志、偶然との邂逅や別離のチャンス、敵対関係と協力関係との交替、落し穴や復讐—これらは何れも、油断のならぬ現実では目的内容に満たされているのに、遊戯となるとこれらの機能そのものの魅力だけを基礎として生きて行く。なぜなら遊戯が賞金目当ての場合でも、お金は他の色々な方法でも獲得できるものなので、それは遊戯の眼目ではなく、むしろ本当の遊戯者から見れば、遊戯の魅力は社会学的に重要な活動形式そのものの活気や僥倖にある。社会的遊戯には、更に深い二重の意味がある。すなわち、それが実質的な参加者たる社会のうちで行われるという意味だけでなく、加えて、それによって実際に「社会」が「遊戯」になるということである。

— Simmel, G. (1917) Grundfragen der Soziologie(清水幾太郎訳 1979, p. 81)

日本におけるゲーム理論研究に先鞭をつけた鈴木光男は「社会化のゲーム形式」と呼ばれるジンメルの社会観は後にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって打ち立てられたゲーム理論そのものであると論じている。ゲーム理論における人間像は自己と他者との関係から成り立っており、したがってゲーム理論は社会存在としての「自我の自覚と他者の発見」という近代の市民社会の精神によって基礎づけられる。さらに、ゲーム理論は個人間の自由な関係を前提としているにもかかわらず、「レッセ・フェールlaissez-faire)」と呼ばれる古典的自由主義の楽観的人間像とも異なった人間像・社会像を与えている。

マックス・ウェーバー

マックス・ウェーバー(1864 - 1920)は一般に社会学者経済学者歴史学者哲学者とされているが、彼は社会学と経済学を中心とする壮大な社会科学体系を構想した。経済学者の森嶋通夫はウェーバーの社会科学方法論の精神が『ゲームの理論と経済行動』において実際に展開されたと評価している。フォン・ノイマンモルゲンシュテルンの大著『ゲームの理論と経済行動』で経済学に初めて導入された「公理論的アプローチ」はウェーバーが構想した「理想型モデル」そのものであり、ゲーム理論誕生以降の現代の理論経済学は、ウェーバーの構想通りに発展している。

ただし、公理論的アプローチには「科学は論理的に無矛盾なだけでなく現実説明力を持っていなければならない」という思想が欠如している。これに対して、ウェーバーとフォン・ノイマンらは共通して「現実の観察が不十分だと、数学的思弁だけが近親繁殖して、結局その学問は退化してしまう」という考えを持っていた。

新古典派経済学の代替理論としてのゲーム理論

異端の思想としてのゲーム理論

 

ポール・サミュエルソン。主著『経済分析の基礎』において新古典派経済学の方法論を完成させた。経済学のあらゆる分野で一流の業績を上げたことから「最後のジェネラリスト」と称される。

ゲーム理論が登場・普及する以前に「主流派」とか「正統派」と呼ばれる位置を占めていた新古典派経済学はゲーム理論と比較して次の2つの理論的特徴を有した。

(1)合理性の仮定 経済主体は首尾一貫した行動基準の下で合理的に行動する。
(2)プライステイカーの仮定 完全競争的な市場において、需要供給が一致するように価格が決定される。

経済学において合理性とは完備性(completeness)と推移性transitivity)が同時に満たされることを意味しており、合理的な経済主体の行動は制約付き最適化問題として数学的に定式化することができる。プライステイカーの仮定は経済主体の選択が市場価格に一切の影響を与えないことを意味しており、意思決定の戦略的側面や価格決定のプロセスそのものを捨象している。これらの方法論はポール・サミュエルソン1970年ノーベル賞受賞者)の主著『経済分析の基礎』によって体系化されるものであるが、これによって本来複雑極まりないはずの経済主体間の相互依存関係が「一定とされる市場価格」を媒介として各個人にとって個別の最適化問題に帰着することが可能となる。

経済主体同士の対面における戦略的利己的行動や具体的な経済主体が影響力を発揮する市場プロセスを重視していたオーストリア学派は上記の2つめの特徴をもつ新古典派経済学を早い段階から批判しており、このオーストリア学派の系譜からゲーム理論が誕生した。ゲーム理論は1980年以前は学界からも「異端の思想」として捉えられており、当時のゲーム理論の処遇や位置付けについて鈴木光男は1970年に公刊された編著書『競争社会のゲーム理論』の「はしがき」で次のように語っている。