四五天安門事件(第一天安門事件)1976年【前半】 

 

経緯

文革の失敗を気に病んでいた毛は、民衆の周への敬慕が自身への非難に繋がっていると思い込み、「なぜ私が彼の葬儀に出なければならぬ?私には参加しない権利がある。誰が彼に偉大なマルキストという言葉を贈ったのだ!私はこのマルキストと十回以上も闘争したのだぞ。無理にとは言わぬが他の政治局員は出席せよ。」と述べ、他の政治局員は葬儀への参列を中止する羽目になった。そして、文革犠牲者の名誉回復を恐れた毛は、事態収拾のため、江青一派への接近を図るために、華国鋒に江青一派との連携を命じたり、鄧小平に距離を置き始めたりするようになり、江青・張春橋ら四人組に反撃の機会を与えることとなった。

1976年2月、姚文元は周への攻撃記事を発表、3月、上海発行の『文匯報』誌上では周への追悼記事が削除され、代わりに「党内の走資派は打ち倒されても今もなお後悔しない走資派を助ける」という周を非難する記事が掲載、同時に清華大学生が周を「最大の走資派」と攻撃、抗議の声が上がると四人組は記事の内容を高く評価して反感を招くなど、事態が急変していった。

1976年3月に南京で発生した周の追悼集会と四人組批判の運動が、四人組の必死の隠蔽や妨害を越えて北京に飛び火したのが発端となった。南京から北京行きの列車の車体には人民の決起を呼びかけるスローガンが書かれ、北京市民を勇気づけた。こうして3月末に天安門広場では追悼集会が自然発生の形で起こった。参加する市民の数は日を追って増え無数の花輪・幟・追悼と四人組批判の詩文などが人民英雄紀念碑に捧げられた。

特に4月4日は清明節であった。この日は中国では古来から「死者を弔う」日で、2万人近くの群衆が集まった。人々は花輪や詩を捧げるだけでなく、四人組を批判する演説や「インターナショナル」を歌うなど気勢を上げた。数日前から四人組の指示を受けた公安部による取り締まりが、花輪の撤去や街宣車による警告、説得や拘禁などの形で始まっていたが、かえって逆効果となる。ついには取締りに当たる警官や兵士までもが人々の熱気に感化されて職場を放棄する事態となった。

追い詰められた四人組は党中央を動かし、これを反革命行為ときめつけ実力行使に出る。翌5日午後9時35分ごろ、広場を包囲した民兵・警官隊が群衆を襲撃した。当局は「この騒動で388人を逮捕し、死者はゼロ」と発表したが、実際の犠牲者や逮捕者は不明である。当時北京市委第一書記で鎮圧の責任者であった呉徳は、死後出版された口述回想録『十年風雨紀事』(当代中国出版社 2008)で鎮圧過程を詳細に述べるとともに、「暴力の発生は免れなかったが、私は責任を持って言うことができるが、死者はなかった」と述べている。

影響

事件発生後、四人組のひとり姚文元は『人民日報』に「反革命政治事件」として民衆の反乱とごまかして報道したが、かえって国民の怒りを買い、4月12日には人民日報本社に、「ある現場労働者民兵」の名で、編集長を「ゲッベルス」と揶揄し「驚愕すべきことだ!党の機関紙は堕落した!ファシズムのメガホンになり下がった」と書いた抗議文が送りつけられてきた。一方、四人組の江青は事件の報告を受けたのち興奮して、ピーナツと焼き豚とで祝杯をあげ、「わたしはいつでも棍棒で、反対する奴ばらをぶちのめしてやるわ。」と高言し周囲の顰蹙を買った。

事件後、鄧小平が責任を問われ全ての党職務を解かれ失脚。四人組が事実を曲げて毛沢東に報告したために、毛沢東は本当に反革命が起こったと勘違いし、その後の弾圧に結びついた。だが、四人組を批判する北京の人々の動きは中国全土に広がり、毛がこの年9月に亡くなったこともあって四人組は失脚することとなる。

脚注

  1.  呉 2004

参考文献

  • 呉徳 口述 (2004-4). 朱元石 等访谈 整理. ed. 吴德口述:十年风雨纪事 - 我在北京工作的一些经历. 当代中国口述史. 当代中国出版社. ISBN 7-80170-287-5.

関連文献

厳家祺、高皋 『文化大革命十年史』上・下、辻康吾 訳、岩波書店、1996年12月20日。ISBN 4-00-002866-9 ISBN 4-00-002867-7。
中嶋嶺雄 『北京烈烈』上(激動する中国)・下(転換する中国)、筑摩書房、1981年8月10日。ISBN 4-480-85162-3 ISBN 4-480-85163-1。
中嶋嶺雄 『北京烈烈 文化大革命とは何であったか』 講談社〈講談社学術文庫1547〉、2002年5月10日。ISBN 4-06-159547-4。
中嶋嶺雄 『中国の悲劇』 講談社、1989年8月。ISBN 4-06-204578-8。 - 「四-五月革命」関係日誌・現代中国略年表: 285-301頁。
中嶋嶺雄 『中国革命とは何であったのか』 筑摩書房、1990年7月17日。ISBN 4-480-85548-3。

外部リンク

執筆の途中です この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますP:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。

文化大革命 (1966 – 1976)
前史

三反五反運動 · 反右派闘争 · 大躍進 · 廬山会議 · 中ソ対立 · 反党小説劉志丹事件 · 四清運動 · 七千人大会

主要事件

一月風暴 · 二月逆流 · 六十一人叛徒集団事件 · 武漢事件 · 道県事件 · 内モンゴル人民革命党粛清事件 · 上山下郷運動 · 国家主席の廃止 · 五七一工程(林彪事件) ·批林批孔運動 · 海城地震
 · 沙甸事件 · 板橋ダム決壊事故 · 四五天安門事件 · 唐山地震 · 毛沢東死去 · 懐仁堂事変中国語版

主要人物

中国共産党指導者毛沢東 · 周恩来 · 劉少奇 · 鄧小平 · 朱徳 · 林彪 · 四人組江青 · 張春橋 · 姚文元 · 王洪文) · 陳伯達 · 謝富治 · 康生 · 毛遠新 · 戚本禹 · 華国鋒 ·汪東興
林彪グループ:林彪 · 葉群 · 林立果 · 陳伯達 · 謝富治 · 林彪派四天王(黄永勝 · 呉法憲 · 李作鵬 · 邱会作) · 李雪峰
失脚させられた政治家彭徳懐 · 呉晗 · 彭真 · 羅瑞卿 · 陸定一 · 楊尚昆 · ウランフ · 薄一波 · 劉少奇 · 鄧小平 · 陶鋳 · 賀竜 · 陳毅 · 葉剣英 · 李富春 · 李先念 · 徐向前 ·聶栄臻 · 谷牧
 · 蕭華 · 楊成武 · 胡耀邦 · 張愛萍 · 万里 · 李立三
迫害を受け亡くなった著名人張東蓀 · 老舎 · 傅雷 · 熊十力 · 容国団 · 趙九章 · 翦伯賛 · 周作人 · 田漢 · 陳寅恪 · 趙樹理 · 王瑩
その他張承志 · 遇羅克 · 張志新 · 張鉄生

文書

海瑞罷官新編歴史劇『海瑞罷官』を評す) · 五・一六通知 · 司令部を砲撃せよ · 一六箇条の決定 · 毛主席語録 · 毛沢東選集 · 工業は大慶に学べ農業は大寨に学べ ·貴方がやれば、私は安心だ

概念

四旧破四旧運動) · 批斗大会 · 全国大武闘(武漢事件 · 清華大学百日大武闘) · 革命無罪 · 造反有理 · 二つのすべて · 大字報 · 走資派 · 黒五類地主 · 富農 · 反革命分子
 · 破壊分子 · 右派) · 反動的学術権威

集団

紅衛兵造反派 · 保守派) · 中央文革小組 · 革命委員会 · 上海人民コミューン · 8341部隊 · 知識青年 · 毛沢東思想宣伝隊 · 紅小兵

芸術

革命歌劇8つの模範劇 · 紅色娘子軍 · 白毛女) · 忠字舞 · 毛沢東思想文芸宣伝隊 · 黄河協奏曲 · プロレタリア文化大革命は本当に良い · 革命造反歌 · 紅衛兵戦歌 · 毛主席バッジ
毛沢東頌歌東方紅 · 大海を行くには舵取りに頼る · 毛主席の長寿を祈る · 北京の天安門が好き · 太陽は最も赤く、毛主席は最も親しい

外交

善隣学生会館事件 · 北京空港事件 · 中ソ国境紛争珍宝島 · テレクチ) · クメール・ルージュ民主カンプチア) · アルバニア決議 · ピンポン外交 ·ニクソン大統領の中国訪問 · 日中共同声明日中国交正常化) · 西沙諸島の戦い

結果・影響

第11期三中全会 · 建国以来の党の若干の歴史問題についての決議 · 改革開放 · 中越戦争 · 北京の春 · 日中共産党の関係 · 文革墓群

関連作品

傷痕文学 · 毛沢東の私生活 · マオ 誰も知らなかった毛沢東
中国女 (映画) · 中国 (映画) · パリの中国人 · 芙蓉鎮 · さらば、わが愛/覇王別姫 · 活きる · シュウシュウの季節 · 小さな中国のお針子 · サンザシの樹の下で · 妻への家路

関連項目

毛沢東主義 · スターリン批判 (1956) · ベトナム戦争 (1960-1975) · ミャンマー内戦(ビルマ内戦)(1955-1972) · 香港六七暴動(1967) · 六四天安門事件 (1989) ·北京地下城 · 毛主席紀念堂

Portal:歴史

カテゴリ