飛び級Ⅰ【前半】日本
日本における歴史
1947年の学制改革以前は、ある程度制度的にも飛び級が可能であった。本来は5年制の旧制中学校から4年修了で旧制高等学校、3年制の大学予科に入学できる仕組(いわゆる四修)及び6年制の尋常小学校5年修了で旧制中学校に入学出来る仕組(いわゆる五修)があった。また尋常科を併設した7年制の旧制高等学校は、自動的に飛び級を約束する存在だったといえる。
四修者は学力面で優越していたにもかかわらず、当時の旧制高校生の教養主義的価値観の中では体格や人格や読書量の面で侮りを受ける場合が多々あった。何年も浪人を繰り返し、あるいは社会人生活を経て旧制高校に入学した学生ほど尊敬されたということを旧制浦和高等学校出身の金田一春彦は自伝の中で記している。
尋常小学校5年修了で旧制中学へも飛び級可能。6.6日本経済新聞。
中等学校令(昭和18年勅令第36号)
第八条 中等学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ修業年限四年ノ課程ニ在リテハ国民学校初等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トシ修業年限二年又ハ三年ノ課程ニ在リテハ国民学校高等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス
高等女学校令(明治32年勅令第31号)
第十条 高等女学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ国民学校初等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者タルヘシ
2 修業年限三箇年ノ高等女学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ国民学校高等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者タルヘシ
中学校令(明治32年勅令第28号)
第十条 中学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校予科ヲ修了シタル者、国民学校初等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等ノ学力アリト認メラレタル者タルヘシ
であり、中学4年修了での旧制高校入学のように勅令には明示されていない。
高等学校令(大正7年勅令第389号)
第十一条 高等学校尋常科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校予科ヲ修了シタル者、尋常小学校ヲ卒業シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス
第十二条 高等学校高等科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校尋常科ヲ修了シタル者、中学校第四学年ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス
尋常小学校5年からの飛び級は昭和6.1.10文部省令2中学校令施行規則39条2項但し書きで可能でした。
飛び級に関する議論
飛び級・飛び入学についてはさまざまな議論が存在する。
- 飛び入学と飛び級
- 中学校・高校の社会科の演習授業における意見
特に大学17歳入学や、高校以下の学校における、現在の所属可能最高学年を超える形での飛び級制度の導入に関しては、格差拡大などさまざまな観点から、用心深く導入すべきだとの考えも強い。
なお、標準的な学年上限を超えない形での、修得主義による飛び級は、人権保障上の観点からも必要である。これを不可能にすれば、小中学校教育を受けずに大人になった人が将来的に高校や大学で教育を受けようとするとき、小学1年生から履修せざるをえず、必要期間などの点で非現実的となり、結果的に彼らの学習権を奪ってしまうものとなる。[要出典]
外国
国によっても異なるが、飛び級制度がある場合が多い。
アメリカ合衆国では学校内の飛び級、学校間の飛び入学、早期就学ともに盛んである。飛び級が適当かどうかの判断には「アイオワ早修尺度」が使われ、各方面から総合的に判断される。飛び級によって兄姉と同じ学年になる場合や、同学年の兄弟姉妹がいる場合などは考慮を要するとされている。
フィクション
フィクションにおいても、飛び級の生徒が登場することがあるが、必ずしも舞台となっている国の教育制度と整合が取れている場合ばかりではない。たとえば、『あずまんが大王』(著:あずまきよひこ)の美浜ちよは飛び級で小学校から高校に入学した設定だが、上記の通り現在の日本の法制度では不可能である。
また、入学した学校が格別高度な教育をしているように描かれていない場合もある。
著名な飛び級経験者
- セオドア・カジンスキー
- 米国の数学者。16歳でハーバード大学進学。ミシガン大学で修士と博士号取得。カリフォルニア大学バークレー校元数学助教授、数学博士。「ユナボマー」と呼ばれる連続爆破事件を起こし、終身刑となり服役中。
- アイザック・アシモフ
- 米国のSF作家・生化学者・科学解説者。15歳でコロンビア大学へ入学、19歳で卒業した。その後同大大学院に進学したが、博士課程の途中で第二次世界大戦に伴い軍事施設勤務および徴兵により4年間休学したため、博士号を所得したのは一般と同じ28歳であった。
- グレゴリー・クラーク
- 多摩大学の学長。教育改革国民会議委員。出身地オーストラリアの小学校と中学校で1回ずつ飛び級。飛び級制度に対して、教育の密度と余裕の面から飛び級は高校などの上級学校ではなく小学校などの下級学校で行なわれるべきだとコメントしている。
- 矢野祥
- ギフテッド。米国ロヨラ大学シカゴ校に9歳、シカゴ大学のメディカル・スクールに12歳で入学し、18歳で博士号。父は日本人で母は韓国人。米国最年少の医学生で、Ph.DとMDの学位をもつ。IQ200[5]。
- 望月新一
- 数学者。京都大学教授。プリンストン大学に16歳で入学し、19歳で卒業。その後、22歳でPh.Dを取得。
- 高梨沙羅
- オリンピック選手。スキージャンプ競技W杯優勝、ソチオリンピック4位入賞。志望動機は、からだに関係のある解剖学(人体解剖学)、競技に必要なスポーツ科学(スポーツ医学など)・スポーツ心理学などを学びたいという理由で日本体育大学体育学部体育学科に17歳で入学した。
- コンドリーザ・ライス
- 米国元国務長官、スタンフォード大学教授。15歳でデンバー大学入学。修士号を1年で修了し19歳でノートルダム大学より修士号。国務省勤務を経て、26歳で博士号取得。IQ136(6歳の時に測定)[6]。
- レディー・ガガ
- 米国歌手。ニューヨークのティッシュ・スクール・オブ・アート(ニューヨーク大学芸術学部)に、17歳の時入学。世界で20人しか早期入学が許可された例がない。
- テレンス・タオ
- フィールズ賞受賞の数学者、UCLA教授。ギフテッド。9歳でフリンダース大学へ飛び級。10歳で数学オリンピックに出場し銅メダル、翌年に銀メダル、さらにその翌年に史上最年少で金メダル(世界記録)。その後、同大学で修士号を得て、20歳のときプリンストン大学で博士号取得。24歳でUCLAの数学科の正教授就任。
- 宇多田ヒカル
- シンガーソングライター。ニューヨークの小学校に通っていた頃に、2年から4年に飛び級。帰国後はアメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)に通う。1年飛び級し、コロンビア大学に進学(卒業せず中退)。
- 岡潔
- 日本の数学者。尋常小学校に1年早く入学した。ただし、卒業後に尋常高等小学校高等科に1年通ったため、飛び級は解消された。
教育分野以外の飛び級
サッカー、野球などのスポーツ界や武道の世界では、優秀な人材はアンダーカテゴリーから飛び級して活躍の場を広げる。
武道
段級位制において、現在認許されている級より2段階以上一度に(例:9級から7級へ)昇級する場合を飛び級と呼ぶ。
サッカー
北京オリンピックに出場した香川真司のように、本来属するカテゴリー(U-20)より上のカテゴリー(U-23)に招集された場合などを、飛び級と表現する。
野球(メジャーリーグベースボール)
メジャーリーグベースボールでは選手育成の過程において、数あるマイナーリーグの組織の下から順番に昇格し、マイナーの最上位であるAAA級で好成績を残すことによって、最高峰の舞台であるメジャーリーグへ昇格するのが一般的であるが、選手の飛び抜けた才能が認められた場合やチームの事情(故障者の続出など)がある場合にAAA級を経験させないまま選手をメジャーリーグへ昇格させることがあり、このケースを飛び級と表現する。飛び級でメジャーリーグに昇格した選手の例としては、AA級から昇格したミゲル・カブレラ、A+級から昇格したホセ・フェルナンデスなどがおり、メジャーリーグ昇格直後から活躍することも珍しくない。
参考文献
×暢隆『アメリカの才能教育』(ISBN 4-88713-514-9)
陳慶恵『私はリトル・アインシュタインをこう育てた』(ISBN 4-331-50956-7)
矢野祥『僕、9歳の大学生』(ISBN 4-396-41016-6)
出典
- 20歳での大学院所属は、17歳での大学入学と、大学早期卒業あるいは大学院飛び入学の組み合わせで実現可能である。
- 2007年5月14日 朝日新聞
- 日本の学校教育制度に基づいた年齢と学年の定義に一致させること。
- 望まざる「飛び級」…子どもの編入学年問題を巡る事例調査報告
- Marin, Carol (2001年6月5日). “Boy Wonder”. CBS News, 60 Minutes II. 2009年8月25日閲覧。
- コンドリーザ・ライス 『コンドリーザ・ライス自伝』 中井京子訳、扶桑社、2012年、96ページ
関連項目
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外部リンク
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