大天使ミカエルとミカエルの仲間達

きままに投稿。(転載ネタが多いかもです)

 

黒い太陽

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公安警察と革マル派は裏で結託している 黒い太陽(メモしてたら三菱マテリアルが出てきたぞい!!)

 

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/508.html

 

公安警察と革マル派は裏で結託しています。革マル派は公安警察の別同部隊です。


1つ目のキーワード=読売新聞社

 

正力松太郎は、第二次世界大戦前に、内務省の警保局の直接指揮下の特高警察を指揮する立場にある警視庁官房主事を務め、第二次世界大戦後は、読売新聞社に社主として君臨する男なのですが、第二次世界大戦前の内務省時代に、正力松太郎がやったことと言えば、関東大震災の際に、朝鮮人暴動の噂を流布させて、朝鮮人虐殺を煽動したことが最も有名でしょう。正力松太郎が率いた特高警察が、平然と虐殺を行うような、恐怖の秘密警察であったことは覚えておきましょう。

虎ノ門事件の責任を取らされて内務省を辞めた後、正力松太郎は、後藤新平の資金援助を受け、読売新聞社を買い取ります。

後藤新平という人物は、内務大臣、満鉄の初代総裁、台湾総督府民政長官、NHKの初代総裁を務めた人物で、若き日には、児玉誉士夫(反共右翼、稲川会の顧問、CIAのエージェント、統一教会の大幹部)の父親である児玉酉四郎と共に、仙台で医学を学び、愛知県医学校へ進学して、医者となり、実績を認められて内務省衛生局に入り、医者としてよりも官僚として病院・衛生に関する行政に従事して、日清戦争の帰還兵に対する検疫業務に広島・宇品港似島で臨時陸軍検疫部事務長官として従事し、その行政手腕の巧みさからこの件の上司(臨時陸軍検疫部長)で当時は陸軍次官兼軍務局長だった児玉源太郎(陸軍大将、満州軍総参謀長、台湾総督)の目にとまり、後に児玉源太郎が台湾総督になると、児玉源太郎から、台湾総督府総務長官に抜擢され、出世街道を歩み、満鉄の初代総裁やNHKの初代総裁などを務めることとなり、第二次世界大戦前には、政財界の大物として、日本にフリーメイソン(国際秘密結社)の下部組織であるボーイスカウトを日本に取り入れた人物としても知られ、東京市長を務めた時代には、田口運蔵(アメリカ共産党の党員)を仲介役として、アドリフ・アブラモヴィチ・ヨッフェ(ソ連の外交官)と会談する後藤・ヨッフェ会談を伊豆の熱海で行い、「赤い男爵」と呼ばれた人物です。

余談ですが、後藤新平は、極右団体の大行社(稲川会{日本第3位のヤクザ組織}の傘下の極右組織)の設立にも関与した人物です。

要するに、隠れ共産主義者だった後藤新平がパトロンとなって、正力松太郎の読売新聞社の買収に資金援助をしたということです。

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正力松太郎は、読売新聞社の買収後、内務省時代に仲間だった特高警察の最高幹部たちを次々と引き抜き、読売新聞社の社員にしています。

正力松太郎が引き抜いた警察官僚仲間は、高橋雄豺(警視庁警務部長、読売新聞社の副社長、娘婿は安部英{薬害エイズ事件の容疑者})や品川主計(警視庁警視、読売ジャイアンツの球団社長)、そして、警察官僚ではないですが、小林與三次(自治事務次官{自治庁の事務方のトップ}、読売新聞社の名誉会長、正力松太郎の娘婿)。警察官僚の大ボスとして知られる後藤田正晴(警察庁長官、内閣官房長官)ですが、後藤田正晴は一時期、自治庁の官僚でもありました。後藤田正晴を自治庁長官官房長に抜擢したのが小林與三次でした。つまり、小林與三次は自治庁時代の後藤田正晴の直属の上司だったということです。

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2つ目のキーワード=旧制東京高等学校

 

さて、ここからが不思議ワールド。特高警察のOBで占められていた読売新聞社に、特高警察の後身組織である公安警察がマークする組織の関係者が、何故か、2人も読売新聞社の最高幹部として迎えられています。

1940年代、旧制東京高等学校に、後に共産主義にどっぷりと浸かっていく仲良し3人組がいました。彼らの名前を、渡邉恒雄、氏家齊一郎、そして、黒田寛一と言います。
1人目の渡邉恒雄は、通称、ナベツネと呼ばれる、誰もが知る読売新聞社の独裁者で、残りの2人の学年が1つ上の先輩でした。

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2人目の氏家齊一郎は、後に渡邉恒雄の右腕として、読売新聞社の最高幹部と日本テレビの会長を務めた男でした。2人は、高校を卒業後、東京大学に進学して、そこで、日本共産党に入党しています。堤清二(セゾングループの代表)を日本共産党へ入党させたのが氏家齊一郎であり、この堤清二の義父(妻の水野麻子の父親)が、佐々弘雄や田中清玄が所属した新人会(東京大学の元祖学生左翼グループ)の出身者で、石原慎太郎(東京都知事)を仏教系のカルト宗教である霊友会に引き入れた水野成夫(フジテレビの初代社長、産経新聞社の社長)だというのは、何とも狭い世界だとしか言いようがありません。

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そして、問題の3人目の黒田寛一。黒田寛一は、通称、クロカンと言い、極左組織として知られる革マル派(極左組織)を創設した最高指導者でした。

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ここで1つ大きな疑問が沸き起こります。
元日本共産党の党員で、さらに、学生時代には黒田寛一(革マル派の最高指導者)の同期で親友だった渡邉恒雄と氏家齊一郎の2人が、どうやって、正力松太郎や高橋雄豺、品川主計、小林與三次などの公安警察の支配者たちが経営する読売新聞社にて、出世街道を歩むことが出来たのでありましょうか。

正力松太郎や高橋雄豺や小林與三次は、子飼いの後藤田正晴を通して公安警察を操り、その一方で、渡邉恒雄と氏家齊一郎は親友の黒田寛一に指示を出していたと。

読売新聞社を通して、公安警察の機密情報は、密かに、革マル派へと流れ、革マル派の動きは、逐一、公安警察の下へと渡っていたということになります。

現に、1959年の初頭に黒田寛一らが日本民主青年同盟の情報を警視庁に売ろうとして未遂に終わっていたことが発覚し、同年8月の革共同第一回大会でスパイ行為という階級的裏切り行為として、黒田寛一は除名されています。

読売新聞社は、公安警察と革マル派の2重スパイ組織なのでしょうか。


いいえ、違います。

正力松太郎は、第二次世界大戦終戦直後、緒方竹虎や岸信介(内閣総理大臣)、笹川良一(在日コリアンの反共右翼の元締、CIAのエージェント、統一教会{韓国のカルト宗教}の大幹部、本名は文堯)、児玉誉士夫(反共右翼、稲川会の顧問、CIAのエージェント、統一教会の大幹部)、久原房之助(日立製作所の設立者)、鮎川義介(日産コンツェルンの創始者、『河豚計画』の提唱者)、石原広一郎(石原産業の設立者、二・二六事件の逮捕者、四日市ぜんそくの責任者)、進藤一馬(玄洋社の第10代目社長、A級戦犯)、葛生能世(玄洋社の社員、黒龍会{極右諜報機関}の設立メンバー、大日本生産党{極右政治結社}の創設メンバー)、里見甫(阿片王、里見機関の司令官、電通の幹部)、と共に、A級戦犯として捕えられ、巣鴨拘置所に投獄されます。

巣鴨拘置所は、ゾルゲ事件の主犯とされるリヒャルト・ゾルゲ(ソ連の伝説的なスパイ)や尾崎秀実の死刑が執行された場所でもありました。

しかし、正力松太郎、緒方竹虎、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫、久原房之助、鮎川義介、石原広一郎、進藤一馬、葛生能世、里見甫たちは、アメリカ政府、とりわけ、CIA(アメリカの諜報機関)と汚い裏取引をして釈放されます。

第二次世界大戦後になると、正力松太郎は、CIAのエージェントとなってポダム(PODAM)というコードネームを貰っています。

そう、第二次世界大戦後の読売新聞社はCIAの日本代理店として機能し、CIAの指示の下で公安警察と革マル派の両方を操ってきたのです。

そもそも、正力松太郎に資金援助を行ったパトロンの後藤新平が、アメリカ共産党と蜜月関係にあった隠れ共産主義者であったという事実も忘れてはいけない重要なことでしょう。

そして、そのCIAのエージェントとなった正力松太郎が行った他の対日工作もロクでもないものばかりでした。

読売新聞社を手に入れた正力松太郎は、CIAの命令で、日本テレビを創設して、新聞とテレビを使って、3S(スクリーン、スポーツ、セックス)政策という日本人の白痴化を狙った工作を大々的に行って、日本国民をアメリカ帝国の奴隷へと洗脳していったり、原子力委員会の初代委員長に就任して、日本中に原子力発電所を建設していったりと、日本を貶める工作を次々に実行していきました。

2011年3月11日以降に起こった反原発デモの面子を見ると滑稽です。
反原発運動家の多くは、CIAのエージェントと正力松太郎と渡邉恒雄が操った黒田寛一が最高指導者を務めた革マル派の残党で、デモ鎮圧部隊の警察は、正力松太郎が戦後に院政を敷いて操ってきた公安警察、そして、原発支持派は、正力松太郎が原子力委員会の長となって
育ててきた子弟たちであります。要するに、2011年3月11日以降に頻発している反原発デモは全てヤラセです。

 

 

 

石原産業って、三菱マテリアルのお隣さんですか?

あれ?あれ?

あれ?

あの事故やらせなの??

あれ?

匿名党さんのブログより

http://tokumei10.blogspot.jp/2014/01/blog-post_9684.html

三重県四日市市の石原産業のお隣の三菱マテリアル四日市工場で爆発事故

爆発原因「わからない」…苦渋の表情で繰り返す

 三重県四日市市の三菱マテリアル四日市工場で5人が死亡、12人が重軽傷を負った9日の爆発事故。

 同社は夜になって緊急の記者会見を行ったが、事故原因については「わからない」と繰り返した。同工場では、過去にも小規模な爆発事故が発生しており、県警や市消防本部は原因解明に加え、管理体制についても調べる方針だ。一方、総務省消防庁は9日、災害対策本部を設置し、事故原因の究明のため、職員7人を現地に派遣した。

 同社の記者会見で、猿渡暢也(さるわたりのぶや)工場長らは冒頭、「5人の犠牲者が出たことをおわび申し上げます」と深々と頭を下げた。事故原因については「調査中であり、今の段階ではわからない」と述べるにとどまった。

 同社の説明によると、熱交換器の蓋が10メートルほど飛ばされ、死亡した5人はその周囲に倒れていたという。蓋の重さは約200キロとみられる。作業手順に問題はなかったのかという質問にも、猿渡工場長は「今の段階ではわからない」と苦渋の表情を浮かべていた。
(2014年1月9日22時34分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140109-OYT1T01224.htm

http://kwout.com/cutout/x/ux/ff/ehr_bor.jpg

三菱マテリアル四日市工場 - Google マップ via kwout






http://kwout.com/cutout/n/4k/ie/hrw_bor.jpg

site:tokumei10.blogspot.com 石原産業 三重県四日市市 - Google 検索 via kwout



http://kwout.com/cutout/7/q3/gv/7gy_bor.jpg

石原産業 ホスゲン - Google 検索 via kwout



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