ヒンドゥー哲学入門Ⅳヴェーダーンタ・アドヴァイタ・ヴィシシ… 

 

シヴァ派

初期のシヴァ派の歴史は決定しがたい[27]。だが、シュヴェターシュヴァタラ・ウパニシャッド(紀元前400年 – 紀元前200年)[28]はシヴァ主義の最初期の明文化された体系的哲学とされる[29]。シヴァ主義は、不二元論(アベダ)、二元論(ベダ)、二元不二元論(ベダアベダ)といった様々な学派で表現された。ヴィディヤーラニヤは著書中でシヴァ思想の三つの主な学派―パーシュパタ・シヴァ主義シヴァ・シッダーンタ、そしてプラティヤビジュニャ(カシミール・シヴァ派)―に言及している[2]

パーシュパタ・シヴァ主義

パーシュパタ・シヴァ主義は主要なシヴァ主義学派の中で最も古い[30]。パーシュパタ派は2世紀にラクリシャによって体系化された。パシュパティのパシュには、結果(つまり創造された世界)が言及されており、その言葉は隠されたものに依拠しているものを示している。パティは原因(あるいは起源)を意味するのに対し、その言葉は世界の原因、パティ、あるいは支配者である主を示す[31]。霊魂を最高位の存在に隷属させる神学で知られたヴィシュヌ派に対してパーシュパタ派は難色を示したが、これは、何かに依存することは苦痛やその他の望まれた目標を止める手段にはなりえないとパーシュパタ派が考えたからである。他者に依存しつつ独立できるときを待ち望む者は自分自身以外のものに依存しているのだから決して解脱できないと彼らは考えていた。パーシュパタ派によれば、霊魂は「苦痛の全ての芽」から解放されたとき至高の神性と同じ特性を持つようになるという[32]

パーシュパタ派では創造された世界が知覚を持たないものと持つ者に区別された。知覚を持たないものは意識も持たず、そのため知覚や意識を持つものに依存するとされた。知覚を持たないものはさらに結果と原因に分けられた。結果は、大地、四大元素及びその性質、色の十種類やその他に分けられた。原因は五種類の感覚器官、五種類の運動器官、三種類の内的器官、知性、自己原理、知覚原理の十三種類に分けられた。この非知覚的原因は自己と非自己とを錯覚により同一視するとされた。パーシュパタ・シヴァ主義において、解脱とは魂の知性を通じての神との結合を伴うものであった[33]

シヴァ・シッダーンタ

規範的な聖典シヴァ主義とされるシヴァ・シッダーンタは聖典シヴァ主義の規範的な儀礼、宇宙論、神学的範疇を与える[36]。二元論哲学であるために、シヴァ・シッダーンタの目的は存在論的にまぎれもなくシヴァに(シヴァの恩寵を通じて)なることである[37]。この学派は後にタミル人のシヴァ運動と合併しており、シヴァ・シッダーンタの概念の明文化がナヤナルのバクティ詩にもみられる[38]

カシミール・シヴァ派

カシミール・シヴァ派は8世紀[39]あるいは9世紀[40]にカシミールで起こり、12世紀終わりまで哲学的にも神学的にも長足の進歩を遂げた[41]。多くの研究者によって、この学派は一元論[42]観念論(絶対的観念論、有神論的一元論、実在論的観念論[43]、超越論的物質主義あるいは具象的一元論[43])に分類された。この学派はトリカやその哲学的明瞭化であるプラティヤビジュニャより成るシヴァ主義の一学派である[44]

カシミール・シヴァ派もアドヴァイタ・ヴェーダーンタも普遍的理性(チットあるいはブラフマン)を最高位とする不二元論哲学であるにもかかわらず[45]、カシミール・シヴァ派においてはアドヴァイタに反して万物はこの理性の顕現だとされた[46]。このことは、カシミール・シヴァ派にとって現象世界(シャクティ)は真実であり、確かに存在していて理性(チット)のなかにその位置を占めるということを示している[47]。アドヴァイタではブラフマンは非活動的(ニシュクリヤ)で現象世界は幻影(マーヤー)にすぎないと考えられたのとは対照的である[48]。カシミール・シヴァ派によれば人間の生の目的はシヴァつまり普遍的理性との融合、つまり既存の自己とシヴァとの一体化を、智慧・ヨーガ・恩寵といった方法により行うことである[49]

脚注

^ For an overview of the six orthodox schools, with detail on the grouping of schools, see: Radhakrishnan and Moore, "Contents", and pp. 453–487.
^ a b Cowell and Gough, p. xii.
^ Sharma, C. (1997). A Critical Survey of Indian Philosophy, Delhi: Motilal Banarsidass, ISBN 81-208-0365-5, p.149
^ a b Haney, William S. Culture and Consciousness: Literature Regained. Bucknell University Press (August 1, 2002). P. 42. ISBN 1611481724.
^ Larson, Gerald James. Classical Sāṃkhya: An Interpretation of Its History and Meaning. Motilal Banarasidass, 1998. P. 13. ISBN 81-208-0503-8.
^ Sarles, Harvey (9780816613533). Language and human nature: toward a grammar of interaction and discourse. University of Minnesota Press. p. 6.
^ Garbe, Richard. The Philosophy of Ancient India. BiblioBazaar. p. 11. ISBN 978-1-110-40377-6.
^ 哲学としてのヨーガ学派の概要に関しては以下を参照: Chatterjee and Datta, p. 43.
^ ヨーガ哲学とサーンキヤの密接な関係については以下を参照: Chatterjee and Datta, p. 43.
^ ヨーガがサーンキヤの概念を取り入れたが神の範疇を付け加えたことに関しては以下を参照: Radhakrishnan and Moore, p. 453.
^ サーンキヤの25の原理に神を付け加えて取り入れたものとしてのヨーガに関しては以下を参照: Chatterjee and Datta, p. 43.
^ Müller (1899), Chapter 7, "Yoga Philosophy", p. 104.
^ Zimmer (1951), p. 280.
^ ヨーガと呼ばれる哲学体系の創設者としてのパタンジャリに関しては以下を参照: Chatterjee and Datta, p. 42.
^ Müeller (1899), Chapter 7, "Yoga Philosophy", pp. 97–98.
^ B. K. Matilal "Perception. An Essay on Classical Indian Theories of Knowledge" (Oxford University Press, 1986), p. xiv.
^ Oliver Leaman, Key Concepts in Eastern Philosophy. Routledge, 1999 , page 269.
^ Knapp, Stephen. The Heart of Hinduism: The Eastern Path to Freedom, Empowerment and Illumination. iUniverse, Inc. (June 20, 2005). P. 22. ISBN 0595350755.
^ 「ジュニャーナ・カーンダ」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
^ http://www.sankaracharya.org/atmabodha.php [65]
^ http://www.shankaracharya.org/atmabodha.php [2]
^ http://www.sankaracharya.org/atmabodha.php [64]
^ Christopher Etter (30 April 2006). A Study of Qualitative Non-Pluralism. iUniverse. pp. 62–63. ISBN 978-0-595-39312-1.
^ Etter, Christopher. A Study of Qualitative Non-Pluralism. iUniverse Inc. P. 59-60. ISBN 0-595-39312-8.
^ Fowler, Jeaneane D. Perspectives of Reality: An Introduction to the Philosophy of Hinduism. Sussex Academic Press. P. 340-344. ISBN 1-898723-93-1.
^ Lord Chaitanya (krishna.com) "This is called acintya-bheda-abheda-tattva, inconceivable, simultaneous oneness and difference."
^ Tattwananda, Swami (1984), Vaisnava Sects, Saiva Sects, Mother Worship (First Revised ed.), Calcutta: Firma KLM Private Ltd., p. 45.
^ Flood (1996), p. 86.
^ Chakravarti, Mahadev (1994), The Concept of Rudra-Śiva Through The Ages (Second Revised ed.), Delhi: Motilal Banarsidass, p. 9, ISBN 81-208-0053-2.
^ 名のある最も古いシヴァ派としてのパーシュパタに関しては以下を参照: Flood (2003), p. 206.
^ Cowell and Gough, p. 104-105.
^ Cowell and Gough, p. 103
^ Cowell and Gough, p. 107
^ Xavier Irudayaraj,"Saiva Siddanta," in the St. Thomas Christian Encyclopaedia of India, Ed. George Menachery, Vol.III, 2010, pp.10 ff.
^ Xavier Irudayaraj, "Self Understanding of Saiva Siddanta Scriptures" in the St. Thomas Christian Encyclopaedia of India, Ed. George Menachery, Vol.III, 2010, pp.14 ff.
^ Flood (2006), p. 120.
^ Flood (2006), p. 122.
^ Flood (1996), p. 168.
^ Kashmir Shaivism: The Secret Supreme, By Lakshman Jee
^ Dyczkowski, p. 4.
^ The Trika Śaivism of Kashmir, Moti Lal Pandit, pp. 1
^ Kashmir Shaivism: The Secret Supreme, Swami Lakshman Jee, pp. 103
^ a b Dyczkowski, p. 51.
^ Flood (2005), pp. 56–68
^ Singh, Jaideva. Pratyãbhijñahṛdayam. Moltilal Banarsidass, 2008. PP. 24–26.
^ Dyczkowski, p. 44.
^ Ksemaraja, trans. by Jaidev Singh, Spanda Karikas: The Divine Creative Pulsation, Delhi: Motilal Banarsidass, p.119
^ Shankarananda, (Swami). Consciousness is Everything, The Yoga of Kashmir Shaivism. PP. 56–59
^ Mishra, K. Kashmir Saivism, The Central Philosophy of Tantrism. PP. 330–334.