NEW !
テーマ:洗脳解除の道程
宗教には戒律があります。ヨガは宗教ではなく、技術体系とも呼べそうですが戒律があります。まず仏教の八正道を見てみましょう。一部抜粋します。『「正見」とは、「すべては変化する」「すべては関係しあっている」という真理で物事を見つめることです。そのことに気づけば、すべての存在に対して感謝と思いやりの気持ちがわいてきます。すべてのものに感謝して生きる心、すべてのものを思いやる心、それこそが“仏さまの思い”である「正思」といえます。』本当に皆さんは自分でこんな風に正しく全ての物事を見て、考えて、そして行為に移して・・・、できますか?私にはできません。
モーゼの10戒というものがキリスト教にはあります。さらに新約のマタイの福音書には「「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するため ではなく、完成するためである。はっきり言っておく。 すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」例えば安息日はキリスト教国でも守られていませんよね。心で思っただけでも姦淫という罪になります。特に若い男性には絶望的に不可能な戒律だと思いませんか?
ニューエイジの登場はもちろん悪魔崇拝の立場から既成宗教やその道徳を破壊することが目的であったと言われていますが、一方でこの戒律は実は不可能な教えであり、個々人に罪悪感を植え付ける洗脳システムでもあった訳です。真相は霊的にあるレベルに達すれば自然とできるようになるものもあるが、この戒律を守ろうと努力した結果として霊的にレベルが上がるわけではないということです。結果を義務とすり替えている訳です。
瞑想とかの実習を続け、本来の自分に戻る過程で自然と守れるようになる戒律のようなものもある訳です。でも全ての戒律が必要な訳ではありません。それは次第に自分で分かるものだと思います。ただし、ゴール設定を誤れば守るべきものが何もありませんからね、注意はそれなりに必要です(金の亡者となったグル・ティーチャーがいっぱいいます)。