研究の例

つがい形成

生殖は、遺伝子が次の世代へ繁茂してゆく手段であり、生殖における性的選択は、人間の進化において重要な役割を果たしている。それで、つがい形成やつがい維持の仕組みを解明しようとする進化心理学者は、人間のつがい形成に興味を持っている[9]。つがいの相手の選択、不倫[13]、つがいの維持[14]、つがい形成の傾向[15]、男女間の争い[16]などの研究領域は、この興味に基づいている。

1972年に、Robert Triversは、性差について、重要な論文[17]を発表した。これは、現在では「親の投資の理論」と呼ばれている。男の生殖細胞(精子)のサイズは小さいが、女の生殖細胞(卵)のサイズは大きい。Triversは、この生殖細胞のサイズの違いが原因となって、いろいろなレベルにおける親の投資の違いをもたらしていると主張した。例えば女性は最初に多くを投資しているが、Triversは、この親の投資の違いが、性選択における異なる繁殖戦略をもたらし、男女間の争いをもたらしていると主張した。そしてTriversは、例えば、子どもに少ししか投資しない親は、包括適応度を高めようとして、子どもに多くを投資する親への接触を求めて競争すると主張した(Batemanの理論[18]を参照)。Triversは、親の投資の違いが、つがい相手の選択や、同性間や異性間の生殖競争や、求愛の誇示行動の違いをもたらすと主張した。ヒトを含む哺乳類では、妊娠や分娩や授乳など、メスはオスよりずっと多くの投資をしている。親の投資の理論は、生活史理論の一部分である。

BussとSchmitt(1993年)の性的戦略理論[19]は、次のように主張する。親の投資の違いにより、ヒトは性的に異なった適応を進化させた。例えば、性的な接近のしやすさ、生殖能力の評価、相手への関与や拒絶、資源調達の緩急、父性の確実性、つがいの価値の評価などにおける異なった適応を進化させた。BussとSchmittの戦略妨害理論[20]は、片方の性の繁殖戦略が、他方の性の繁殖戦略を妨害する場合には、両性間の争いが起きて、怒りや嫉妬のような感情が引き起こされると主張する。

女性は、慎重に相手を選ぶ。特に短期的なつがい形成において慎重である。しかし、ある環境下では、短期的なつがい形成は、女性にも男性と同様の利益をもたらす。例えば繁殖の保険として、あるいは、より良い遺伝子への乗り換えとして、近親交配のリスクの減少として、自分の子どもを保護する保険として、女性に利益をもたらす[21]

父性の不安定さは、性的な嫉妬の性差をもたらす。女性は、配偶者が感情の結びつきのある不倫をすることに強く反発するが、男性は、配偶者が性的な不倫をすることに強く反発する。これは、つがい形成におけるコストが男女間で異なっていることに由来する。女性は通常、資源(資産や関与)を提供する相手を好むので、相手が感情の結びつきのある不倫をすることは、資源を持つ相手を失う脅威になる。他方男性は、自分で子どもを産むわけではないので、子どもの父親が誰であるのか確証を持てない(父性の不確かさ)。それで男性にとって、相手が感情的な不倫をするより、性的な不倫をした方が、脅威になる。なぜなら、他の男の子どもに投資しても、自分の遺伝子が繁茂するわけではないからである[24]

女性は月経周期のいつ、どういう相手を好むかという興味深い研究がある。この研究の理論的根拠は、先祖の女性は、自分のホルモンの状況により、特定の特徴を持つ男性を選択する仕組みを進化させていたと考えられることである。この理論の仮説の一つは、月経周期の排卵の時期(月経の約10~15日後)に、遺伝的な性質の優れた男性とつがい形成した女性は、より健康な子どもを産んで育てることができることである[27]。女性によるこの好みは、短期的なつがい形成の際に、より明瞭になると予想される。研究者たちが予想するのは、女性は月経周期の中の妊娠しやすい時期に、良い遺伝的性質を持つことを示す特徴を備えた男性を選択することである。実際、研究により、月経周期により女性の好みが変化することが示されている。特に、HaseltonとMiller(2006年)は、高度に妊娠しやすい女性は、短期的な相手として、創造的で貧しい男性を好むことを示した[28]。創造性は、良い遺伝子の指標となる。Gangestadら(2004年)の研究は、高度に妊娠しやすい女性は、社会的存在感や同性内競争を誇示する男性を好むことを示した。これらの特徴は、男性が資源を持っているか持つ能力があることを、女性が判断するカギとして機能すると考えられる。

子育て

生殖は、女性にとって大きなコストがかかる。男性にとっても大きなコストがかかる場合がある。個体から見ると、繁殖や子育てに使うことのできる資源や時間は限られており、それらを消費すれば、自分の将来の状態や生存や繁殖に影響が及ぶ。親の投資においては、生まれた子どもへの消費は、適合度の他の構成要素のための消費を犠牲にして行われる(Clutton-Brock 1991年、Trivers 1972年)。適合度の構成要素(Beatty 1992年)には、生まれた子どもの状況、親の将来の繁殖、近親者の援助を通じた包括的適合度(Hamilton 1964年)を含んでいる。親の投資の理論は、生活史理論の一部である。

Robert Triversによる親の投資の理論が予想するのは、女性は子どもの授乳や育児や保護において多くの投資を行うので、つがい形成においては男性よりも相手を慎重に選び、男性は少ない投資を行うので、女性への接触を競争するということである(Batemanの原理を参照)[29]。親の労力の性差は、性的選択の強さを決定する要因として重要である。

親の投資が子どもにもたらす利益は大きい。親の投資は、子どもの状態、成長、生存、最終的には子どもの生殖における成功に関与する。しかし、こうした利益をもたらそうとすれば、捕食者から子どもを守るためのケガのリスクの増加や、子どもの世話をする間に他のつがい形成をする機会を失うことや、次の生殖のための時間を失うことなどのコストがかかるのである。全体として、親は、利益とコストの差を最大にするように選択されており、親による世話も、利益がコストを多く上回るように進化していると考えられる。

シンデレラ効果とは、継子が、継父母により、身体的、精神的、性的に虐待されたり、無視されたり、殺されたり、その他のいじめを受ける可能性が、実子よりかなり高いということである。この効果の名前は、おとぎ話のシンデレラから付けられた[30]。おとぎ話のシンデレラは、継母や義姉妹から虐待を受けた。DalyとWilson(1996年)は、次のように述べた。「進化の考え方は、子ども殺しの最も重要なリスク要因の発見をもたらした。継母や継父の存在である」。親の投資や労力は貴重な資源であり、適合度を高めるために労力を効果的に配分しようとする性向が生き残っている。親の意思決定を左右する適応の問題には、子どもの父親を正確に特定する問題と、親の投資を適合度増加に置き換える必要や能力に基づいて、自分の資源を子どもたちに配分する問題がある。継子たちは、継父母の適合度にとって、けっして重要な存在ではない。継父母は、継子は常に選択上の不利益をこうむるべきだという考えに容易に取りつかれる(DalyとWilson、1996年、p64-65)。しかし彼らは、全ての継父母が、継子を虐待しようとするわけではないと述べており、また全ての実父母が虐待を防ぐ保証になるわけではないと述べている。彼らは、継父母による継子の世話は、実の父母に対するつがい形成の初期の労力と見なしている[31]

批判

  • なぜなぜ話
Just-so-storyまたはお話作りとも呼ばれる。進化心理学はラドヤード・キップリングの童話に登場する人物のように、いかにもそれらしいストーリーを作ることに力を注いでいるという批判。しばしば「適応主義」と言う用語そのものも同じ意味で使われる。また進化心理学は事後の説明に終始しているという批判。通俗的な一般科学書が広める、浮気や犯罪は適応的な行動なのだというような軽はずみな言説への批判[32]。ハウザーの擁護に対してアトランは「進化心理学が緩い科学だと考えられているために多くの人が参加し、多くのナンセンスがある」と述べた。そして本当によい科学者が進化的な視点から興味を失うことを恐れると指摘した[33]
  • 適応主義アプローチへの異なる視点からの批判
適応主義者は適応以外の要因を考慮していないが、外適応や偶然、中立的な特徴は多いのだという批判。
  • 政治的、社会的、道徳的批判
戦争が人間の本性であれば、戦争を認めざるを得なくなると言う批判。また人種差別、性差別、迫害のような政治的目的に利用されるという懸念。
  • EEAに対する批判
我々はEEAについて何も知らず、したがってEEAを仮説検証の「根拠」として用いている進化心理学は科学ではない、ニセ科学であるという批判。古生物学者スティーヴン・グールド、古人類学者イアン・タッタソールから行われた。
  • ヒトの生活環境は他の生物種の生活環境より早い変化をしているという仮定には根拠がないという批判。
  • 誤解に基づく批判
進化心理学者は繁殖のことしか取り上げないが、人間は繁殖のことを思い浮かべて行動するわけではない、という至近因と究極因の混同。利己的遺伝子論は人を利己的に作ると言うが、人は利他的な行動を多く行う、など。
  • 予測可能性を持つかと言う疑問
進化心理学は認知バイアスのような不合理性が、EEAでは合理的な判断であったのだと説明し、注目された。しかし説明に説得力はあったとしても、予測可能性がなければ重要な科学とは見なされない。ダン・スペルベルはいくつかの問題を指摘している。コスミデスらはウェイソン選択課題が裏切り者発見モジュールの証拠であると主張したが、この課題の結果はさまざまに解釈できる。バスの配偶者選択に関わる仮説は進化的な視点でなくとも見つけることができる。スペルベルは、古びた実験に依拠するのではなくより洗練された手法を用いるべきだと述べている[34]
  • 方法論的個人主義
ジョーン・ザイマンは、方法論的個人主義が進化心理学にも内在していると指摘している。ザイマンによれば、文化進化における生物学的進化のエンジンは、すでに数万年前に尽きている[35]

脚注

  1.  The Human Behavior and Evolution Society http://www.hbes.com/
  2.  人間行動進化学会設立に当たって http://beep.c.u-tokyo.ac.jp/~hbesj/WhatIs.htm^ Leda Cosmides was recently interviewed by Alvaro Fischer and Roberto Araya for the Chilean newspaper, El Mercurio
  3.  Evolutionary Psychology: A Primer Leda Cosmides & John Tooby
  4.  Evolutionary psychology: Conceptual foundations Leda Cosmides & John Tooby
  5.  Evolutionary Psychology Russil Durrant and Bruce J. Ellis
  6.  Evolutionary psychology and the brain Bradley Duchaine, Leda Cosmides and John Tooby
  7.  Analyzing Adaptive Strategies: Human Behavioral Ecology at Twenty-Five B.Winterhalder and E.A.Smith
  8.  Wilson, G.D. Love and Instinct. London: Temple Smith, 1981.
  9.  Buss 1994
  10.  Buss & Barnes 1986
  11.  Li, N. P.; Bailey, J. M.; Kenrick, D. T.; Linsenmeier, J. A. W. (2002). "The necessities and luxuries of mate preferences: Testing the tradeoffs" (PDF). Journal of Personality and Social Psychology. 6 (6): 947-55. doi:10.1037/0022-3514.82.6.947. PMID 12051582
  12.  Schmitt and Buss 2001
  13.  Shackelford, Schmitt, & Buss (2005) Universal dimensions of human mate preferences; Personality and Individual Differences 39
  14.  Shackelford, Schmitt, & Buss (2005) Universal dimensions of human mate preferences; Personality and Individual Differences 39
  15.  Buss, David M. (2008). Evolutionary Psychology: The New Science of the Mind. Boston, MA: Omegatype Typography, Inc. p. iv. ISBN 0-205-48338-0.
  16.  Trivers, R. (1972). Parental investment and sexual selection. In B. Campbell (Ed.), Sexual Selection and the Descent of Man. Chicago: Aldine-Atherton.
  17.  Bateman, A. J. (1948). "Intra-sexual selection in Drosophila". Heredity. 2 (Pt. 3): 349-821. doi:10.1038/hdy.1948.21. PMID 18103134.
  18.  Buss, D. M., & Schmitt, D. P. (1993). Sexual strategies theory: an evolutionary perspective on human mating. Psychological review, 100(2), 204.
  19.  Buss, D. M. (1989). "Conflict between the sexes: strategic interference and the evocation of anger and upset". Journal of Personality and Social Psychology. 56 (5): 735-747. doi:10.1037/0022-3514.56.5.735.
  20.  Browne, Anthony; editor, health (2 September 2000). "Women are promiscuous, naturally". Retrieved 10 August 2016 - via The Guardian.
  21.  Buss 1989
  22.  Buss et al. 1992
  23.  Kalat, J. W. (2013). Biological Psychology (11th ed.). Cengage Learning. ISBN 9781111831004.
  24.  Haselton, M. G.; Miller, G. F. (2006). "Women's fertility across the cycle increases the short-term attractiveness of creative intelligence" (PDF). Human Nature. 17 (1): 50-73. doi:10.1007/s12110-006-1020-0.
  25. ^ Gangestad, S. W.; Simpson, J. A.; Cousins, A. J.; Garver-Apgar, C. E.; Christensen, P. N. (2004). "Women's preferences for male behavioral displays change across the menstrual cycle" (PDF). Psychological Science. 15 (3): 203-07. doi:10.1111/j.0956-7976.2004.01503010.x. PMID 15016293.
  26. ^ Wilcox, A. J.; Dunson, D. B.; Weinberg, C. R.; Trussell, J.; Baird, D. D. (2001). "Likelihood of conception with a single act of intercourse: Providing benchmark rates for assessment of post-coital contraceptives". Contraception. 63 (4): 211-15. doi:10.1016/S0010-7824(01)00191-3. PMID 11376648.
  27. ^ 98
  28. ^ Miller, G. F. (2000b) The mating mind: How sexual choice shaped the evolution of human nature. Anchor Books: New York.
  29.  Daly, Matin, and Margo I. Wilson. (1999)
  30.  Daly & Wilson 1998
  31.  伊藤嘉昭『動物の社会 新版』(2006)、第9章「社会生物学と人間の社会―竹内久美子批判と最近の動き」
  32.  Mind--The Adaptive Gap Evolutionary psychologists try to shed the just-so story stigma By Eugene Russo https://notes.utk.edu/bio/greenberg.nsf/0/8557b855913a46f985256ef7001686f5?OpenDocument
  33.  Does the Selection task detect cheater detection? (in Fitness, J. & Sterelny, K. (Eds.), (2003) From Mating to Mentality: Evaluating Evolutionary Psychology, Monographs in Cognitive Science, Psychology Press.
  34.  John Ziman (Ed.) Technological Innovation as an Evolutionary Process, Cambridge University Press,2000, p.9

参考文献

  • スティーブン・ピンカー 『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か』 ISBN 4-14-091010-0、ISBN 4-14-091011-9、ISBN 4-14-091012-7 
    ジョン・H・カートライト著 鈴木光太郎, 河野和明 訳 『進化心理学入門』 新曜社 2005年 ISBN 4-7885-0953-9
    長谷川寿一、長谷川眞理子 『進化と人間行動』 ISBN 4-13-012032-8

関連文献

日本語のオープンアクセス文献
  • 平石 界(2000) 「進化心理学:理論と実証研究の紹介」 認知科学 Vol. 7 , No. 4 pp.341-356 pdf
  • 長谷川寿一(1997) 「進化心理学の可能性と社会的影響」 動物心理学研究 Vol.47 , No.1, pp.47-48 pdf
  • 長谷川真理子(2001) 「進化心理学の展望」 科学哲学 Vol.34, No.2 pp.11-23 pdf
  • 田中 泉吏(2006) 「ダーウィン的モジュールか, 自動化されたスキルか : 進化心理学的アプローチの検討」 科学哲学科学史研究(京都大学 科学哲学・科学史研究室) Vol. 1, pp. 109-124 pdf
一般書籍
  • マーティン・デイリー&マーゴ・ウィルソン 『人が人を殺すとき』 新思索社 ISBN 4-7835-0218-8
  • マット・リドレー 『やわらかな遺伝子』 紀伊國屋書店 ISBN 4-314-00961-6 氏か育ちか論争に焦点を当ており、進化心理学にも言及がある
  • ロバート・トリヴァーズ 『生物の社会進化』 産業図書 ISBN 4-7828-0061-4 進化心理学に影響を与えた進化生物学者の初学者向けテキスト。親と子の対立、自己欺瞞や感情の進化などへも言及。
  • ポール・ブルーム 『赤ちゃんはどこまで人間なのか』 ランダムハウス講談社 ISBN 4-270-00119-4 進化発達心理学の視点から。
  • D.F.ビョークランド 『進化発達心理学』 新曜社 ISBN 4-7885-1096-0
  • サトシ・カナザワ『知能のパラドックス』

関連項目

外部リンク

日本語
英語
  • The Human Behavior and Evolution Society -人間行動と進化学会(HBES)
  • (百科事典)「Evolutionary Psychology」 - スカラーペディアにある「進化心理学」についての項目。(英語)
  • 「Evolutionary Psychology」 - スタンフォード哲学百科事典にある「進化心理学」についての項目。(英語)