生態学

生態学の祖、
エルンスト・ヘッケル

生態学(せいたいがく、英語: ecology)は、生物環境の間の相互作用を扱う学問分野である。

生物は環境に影響を与え、環境は生物に影響を与える。生態学研究の主要な関心は、生物個体の分布や数にそしてこれらがいかに環境に影響されるかにある。ここでの「環境」とは、気候地質など非生物的な環境と生物的環境を含んでいる。

なお、生物群の名前を付けて「○○の生態」という場合、その生物に関する生態学的特徴を意味する場合もあるが、単に「生きた姿」の意味で使われる場合もある。

経済活動や社会運動も含めた広義のそれについて「エコロジー」を参照

 

目次
1生態学の定義
2生態学の歴史
2.1生態学の歴史的背景
2.2植物地理学とフンボルト
2.3生物群集の概念 - ダーウィンとウォレス
2.4生物圏 - ジュースとベルナドスキー
2.5生態系の概念とタンズレイ
2.6ラブロックのガイア仮説
2.7人類生態学
3生態学の基本法則
3.1生態学の研究分野
3.2生物圏と生物多様性
3.3生態系の概念
3.4恒常性
4生態学的な危機
5政治的生態学
6生態学の関係分野
7脚注
8参考文献
9関連項目
10外部リンク

生態学の定義

非常に頻繁になされる定義、とくに人類生態学(英語版)で用いられる定義では、以下の三角関係についての研究が生態学とされている。

  • 内の個体間の関係 - 例: 1匹のウサギは他のウサギとどのように関係しているか。繁殖率が高ければ、ウサギの個体数は増加する。
  • 種の組織的な活動 - 例: ウサギの食物消費量の増加が環境に与える影響はどのようなものだろうか。食物を大量に消費すれば、結果として食物不足が起こり、個体群が維持できなくなるだろう。
  • これらの活動の環境 - 例: ウサギにとっての環境の変化の結果、ウサギたちは上に述べた状況により死に絶えてしまう。従って、環境はこの活動の(すなわち、ウサギの生存の)生産物であると同時に、この活動を取り巻く状況でもある。

ecology(生態学、エコロジー)という語は、誰がその語を用いているかによって意味するところが異なる。多くの科学者にとって、ecologyは基本的な生物科学に属しており、生物個体やそれ以上の生物の集団、およびその環境を研究対象とする。

たとえば、いわゆる生物濃縮の現象は、生態学の理論によってのみ説明が可能な現象である。

科学者でない多くの人にとって「エコロジー」は科学の一分野ではなく、何よりもまず人間およびその活動から自然と環境を保護することであるが、これは人間対自然という二項対立の見地によるものである。

必ずしも一般的ではないが、生態学を科学としての生物学以上のものとする見方もある。その考えによると、生態学とは、自分たち以外の生物と調和して存在し、また我々を取り巻く他の生物群を単なる物として利用すべきではなく、むしろより大きな一貫したシステムに属するそれぞれの要員ととらえ、ひとつの組織であると考える、ある種の世界観である。

生態学の歴史

生態学の歴史的背景

古代ギリシャアリストテレスの動物に関する研究やテオプラストスの植物、植物群落についての研究にはじまり、ローマ大プリニウスの自然史などをへて、ロバート・ボイルの呼吸についての研究、ルネ・レオミュールの昆虫の生活史や社会生活に関する研究、さらにリンネの分類学や地理学的研究、ビュフォンの自然史と環境と生物の関係についての研究を生態学の前史にアリー(1949)[1]は位置づけた。

英語の"ecology"は、1866年にドイツダーウィン主義生物学者エルンスト・ヘッケルにより作られた。ギリシア語のοἶκος(オイコス=ポリス市民家長とする家政機関共同体)とλόγος(ロゴス=理論)とを組み合わせたものである。

植物地理学とフンボルト

アレクサンダー・フォン・フンボルト(Joseph Stielerによる肖像画)

18世紀から19世紀初頭にかけて、フランスやドイツといった大きな海事力をもつ国々は、他国との海洋商業確立、新しい自然資源の発見と目録作成を目的に、多くの遠征に出帆した。18世紀初頭に知られていた植物種はおよそ2,000種であったが、19世紀初頭になるとその数は4,000種に増え、現在では400,000種に達している。

これらの遠征には多くの科学者が参加し、中には植物学者も含まれていた。ドイツの探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトもその一人であり、生物-環境間の関係に初めて着目したという点から、しばしば生態学の真の父と考えられている。彼は観察された植物種と気候、緯度・経度を用いて記述された植生区分との間に関連があることを明らかにした。このような領域は、現在では植物地理学として知られている。1805年に出版された『Idea for a Plant Geography』はフンボルトの代表著作の一つとされる。

他の重要な植物学者としては、Aimé BonplandやEugenius Warmingなどがいる。

生物群集の概念 - ダーウィンとウォレス

1850年ごろ、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」出版に伴う革新が起こった。また、ダーウィンは生物個体間や種間、環境との関係を重視して、その仕組みに基づいて進化論を主張したが、その内容は生態学的と言って良いものである。

生態学は、反復のある機械的なモデルを、生物学的・有機的な、そしてそれゆえに進化的なモデルへと受け渡した。

同じ時代にダーウィンの競合者であったアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、初めて動物種の"地理"について提案をした。当時の何人かの科学者は、種は互いに独立したものではないということを認識し、生物を植物、動物、後には生物群集に分類した。この生物群集(biocenose)という語は、1877年カール・アウグスト・メビウスによって作られたものである。

生物圏 - ジュースとベルナドスキー

19世紀までに、ラヴォアジエテオドール・ド・ソシュールによる、とりわけ窒素循環に関する化学上の新発見によって、生態学は花開いた。

地球の大気圏水圏岩石圏の中で生物が発展しているという事実から、1875年オーストリアの地理学者エドアルト・ジュースは「生命が生息する地球表面の場所」という概念を表す用語として「生物圏」を提案した。

1926年、フランスに亡命したロシアの地質学ウラジミール・ベルナドスキーは、著書『生物圏』の中で「生態学を生物圏の科学」と再定義した[2]。同書では生物地球化学的循環の基本原理が述べられており、生物圏を生物・非生物の作用を含めた循環系として記述した。

史上初めて報告された生態学的な損傷は、18世紀における植民地の増加による森林破壊である。産業革命に伴い、19世紀に入ってからは、人間の活動が環境に与える影響について差し迫った関心が寄せられた。生態学者という用語は、19世紀の終わりから使われはじめた。

生態系の概念とタンズレイ

19世紀を越え、生物地理学の基礎となるべく、植物地理学動物地理学が結びついた。種の生息地・生育地を扱う生物地理学は、しばしば生態学と混同される。生物地理学は、ある種が特定の生息地・生育地になぜ存在するか、その理由を説明する試みである。

1935年、イギリスの生態学者アーサー・タンズリーは、生物群集と生息空間(biotope)との間に成り立つ相互作用の系を生態系(ecosystem)と名付けた(実際はアーサー・クラファム(Arthur Roy Clapham)という説もある)。こうして生態学は、"生態系の科学"になったのである。

ラブロックのガイア仮説

第二次世界大戦後、地球上での人間の役割と立場に関する人間生態学の一分野では、核エネルギー工業化人口の社会的意義、工業国による天然資源の濫用、第三世界の国々で起こっている指数関数的な人口増加などの新しい課題に取り組んでいる。

ジェイムズ・ラブロックが彼の著作『The Earth is Alive』の中で提唱した「ガイア」(Gaïa)という世界観は、地球をひとつの巨大な生物に喩えている。議論になるところではあるが、ガイア仮説は一般人の生態学への興味を増加させた。"母なる大地"であるガイアが「人間と人間の活動のせいで病気になりつつある」ととらえる者もいた。科学的視点では、この仮説は生物圏と多様性を世界規模の観点からとらえる新しい生態学とつじつまがあっている。

人類生態学

人類生態学シカゴにおける植生遷移変化の研究を通して1920年代に始まり、1970年代にひとつの研究分野として確立した。人類生態学では「地球上に広く生息する人間も主要な生態学的な要因(ecological factor)である」という認識に注目した。生息地の開発(特に都市計画)、集約的な漁業、あるいは農業工業活動を通じて人類は大きく環境に手を加えるからである。

人類生態学は、人類学者、建築家、生物学者、人口統計学者、生態学者、人間工学研究者、民族学者、都市計画研究者、医師といった研究者が参画する分野として始まった。

人類生態学は生態学の支流であり、人間、その組織的な活動、人間をとりまく環境についての研究を行う。これをhuman ecologyecological anthropology等と言う。

学問的研究と環境保護運動の過程における相互関係や、新宗教的なエゾテリック派によって思想/宗教/世界観に環境保全的な価値観が存在し、自然と人間との関係が深く影響されていると仮定する環境保全主義的イデオロギー(environmentalism)が近年の一般的な議論で目立ち始めている。この派閥は特に欧米の文化人類学者によって批判されてきたが、その理由として、仏教徒が元々自然保護派であり、キリスト教は単に世界征服を目指したモノテイズムである等と言った単純な理論立てが「環境」から「価値」へ議論テーマをそらしてしまう様であり、民族主義的な対立を引き起こす可能性が含まれているからである。仮にenvironmentalismの提言する宗教基盤の価値観が人間と自然の関係を左右するとしたら、日本特有である自然界を対象とする「神道」は環境保全に効果があるはずであるが、現実は違う。環境保全主義的イデオロギーの「パラダイム」(environmentalist paradigm)と呼ばれている派閥には多数の流れがあり、中には環境保全的アジアニズムといったナショナリストや欧米人であり、欧米社会環境で社会化した人が「反欧米的価値観」を主張するといった複雑な面もあり、environmentalism研究と言う新たな分野が注目されている(Berkes 2001, Ingold 1993, Kalland 2003, 2005, Pedersen 1995)。生態学における知見は上記の「内心面的」なものに限らず、個人や集団の諸外部への関係へも発展した。その中で、例えば政策や都市経営に適用しようとする政治生態学(political ecology)が1920年代から研究されたが、この場合の「政治」は社会と経済も含まれている意味合いがある。なお、Roy Rappaport(1984)をはじめとする人間と生態系の関わりに見られる細かな関数的な相互影響のシステム論(サイバネティックス)と解釈する学派も存在する。後者は自然科学と文化研究の結合として発展していったが、メカニックな生態系解釈は批判の対象にもなっている。