ヴィシュヌ
ヴィシュヌ | |
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維持の神 | |
![]() ヴィシュヌ |
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デーヴァナーガリー | विष्णु |
サンスクリット語 | Viṣṇu |
位置づけ | ブラフマン(ヴィシュヌ派) トリムルティ デーヴァ |
住処 | ヴァイクンタ(英語版) |
マントラ | オーム・ナモー・ナーラーヤナ (Om Namo Narayana) |
武器 | スダルシャナ・チャクラ(英語版) カウモダキ(英語版) |
シンボル | ハス、シェーシャ(英語版) |
配偶神 | ラクシュミー |
ヴァーハナ | ガルダ |
シリーズからの派生 |
ヒンドゥー教 |
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ヴィシュヌ(サンスクリット語発音: [vɪʂɳu]; 梵: Viṣṇu; デーヴァナーガリー:विष्णु)はヒンドゥー教の神である。ブラフマー、シヴァとともにトリムルティの1柱を成す重要な神格であり[1][2][注 1]、特に ヴィシュヌ派では最高神として信仰を集める[4][5]。 目次 [非表示] |
名前
「ヴィシュヌ」という名前には「遍く満たす」という意味があるとされる[8][9] 。
紀元前5世紀頃のヴェーダーンガの学者ヤースカ(英語版)は彼のニルクタ(語源に関する書物)の中でヴィシュヌの語源を「どこにでも入る者[注 3]」、「枷や束縛から離れたものがヴィシュヌである[注 4]」としている[10]。
中世インドの学者メーダーティティ(英語版)は「浸透する」という意味の「ヴィシュ」(viś)にヴィシュヌの語源を求めている。すなわち「ヴィシュヌ」は「どこにでも存在し、全ての中に存在する者」という意味を含むとする[11]。
聖典
ヒンドゥーの神ヴィシュヌは歴史の中で信仰を集め続けてきた。 |
ヴェーダ
ヴェーダの時代にはヴィシュヌはインドラやアグニのような目立った神格ではなかった[12]。紀元前2000年頃のリグ・ヴェーダに含まれる1028の賛歌の内、ヴィシュヌに捧げられたものは5つにとどまる[11]。ヴィシュヌはブラーフマナ(紀元前900-500年)で言及され、それ以降存在感を増していき、やがてブラフマンと同等の最高位の神格として信仰を集めるようになった[12][13]。
ヴェーダの全体でみるとヴィシュヌに関する言及は多くなく、神格としての設定もありきたりと言えるが、ヤン・ホンダ(英語版)はリグ・ヴェーダにはいくつか目をひく言及も見られるとしている[12]。たとえばリグ・ヴェーダにはヴィシュヌは死後のアートマン(魂)が住まうというもっとも高い所に住むという言及があり[注 5]、これが後にヒンドゥー教の救済論と結びつきヴィシュヌの人気を高める原因のひとつになったのではないかという指摘がある[12][14]。またヴェーダには、ヴィシュヌは天と地を支えるものであるとする記述も見られる[11]。
ヴェーダでは他の神へ向けた賛歌でヴィシュヌが触れられる例がたびたび見られ、とくにインドラとのつながりが感じられる[11][15]。インドラが悪の象徴であるヴリトラを倒す際にはヴィシュヌが手を貸している。
トリヴィクラマ
「ヴァーマナ」も参照
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様々なヒンドゥー寺院でトリヴィクラマ(三界を3歩で跨ぐ者)をテーマにした偶像を見ることができる。まるで体操選手のように足を上げた造形でヴィシュヌの大きな1歩が表現される。左: ネパール、バクタプルのトリヴィクラマ。右: インド、バダミの石窟寺院群(英語版)。6世紀のもの。 |
リグ・ヴェーダの複数の賛歌でトリヴィクラマ(Trivikrama)と呼ばれるヴィシュヌにまつわる神話が語られており、これはヒンドゥー教の最も古い時代から継続的に語られている神話のうちの1つである[16]。トリヴィクラマは古今を問わずヒンドゥーの宗教美術に着想を与えており、例えばエローラ石窟群のものはヴィシュヌのアヴァターラとしてのヴァーマナのトリヴィクラマが描かれる[17][18]。トリヴィクラマとは「3歩」という意味を持つ。この神話では、取るに足らない風貌をしたヴィシュヌが一息に巨大化し、最初の一歩で地上をまたぎ、二歩目で天をまたぎ、三歩目で天界の全てをまたいだと語られる[16][19]。
Viṣṇornu kaṃ vīryāṇi pravocaṃ yaḥ pārthivāni vimame rajāṃsi / yo askabhāyaduttaraṃ sadhasthaṃ vicakramāṇas tredhorugāyaḥ // (...)
私はヴィシュヌの偉業をここに宣言しよう。彼は地上を実測し、天界をうち立てた。大股の三歩で(略)—リグ・ヴェーダ 1.154.1、ヤン・ホンダ(英語版)訳からの重訳[20]
ヴィシュヌスークタとも呼ばれるこの賛歌には救済論が含まれているとされる。この賛歌ではヴィシュヌは三歩目に、死を免れない者たちの領域を超えたことが示されている。そこはもっとも高い場所であり、神に帰依したものたちが幸せに暮らすとされている.[16]。シャタパタ・ブラーフマナ(英語版)(紀元前8-6世紀)ではこのテーマをより深く掘り下げている。ここでは3つの世界(トリロカ)をアスラに奪われた神々をヴィシュヌが代表し、トリヴィクラマにより世界を奪い返す。ここではヴィシュヌはすなわち死を免れない者たちの救済者であり、神々の救済者でもあると読み取れる[16]。
ブラーフマナ
シャタパタ・ブラーフマナ(英語版)にはヴィシュヌ派の護持する汎神論的アイデアを見つけることができる[21]。ヴィシュヌ派では最高神であるヴィシュヌは経験的に知覚できる宇宙に遍く宿っているとされる[21]。シャタパタ・ブラーフマナにてプルシャ・ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)は以下のように語る。「全ての世界に私自身を置いた。私自身に全ての世界を置いた」[21]。さらにこのシャタパタ・ブラーフマナはヴィシュヌとすべての知識(すなわちヴェーダ)を等価であるとする。すなわち宇宙の全ての本質を不滅であるとし、全てのヴェーダと宇宙の原則を不滅であるとし、ヴィシュヌであるこの不滅の物は全てであると主張する[21]。
ヴィシュヌは全ての物と生物に染みわたっていると描写されている。これをジオラ・ショーハム(英語版)は、ヴィシュヌは、本質的な原則として、超越的な自己として常に全ての物と生物の中に存在しつづけている、と表現する[22]。ブラーフマナを含むヴェーダの聖典はヴィシュヌを称賛しながらも、ヴィシュヌの下に他の神々を従属させない。ヴェーダが提示するのは包括的、多元的な単一神教である。時には明確に、「偉大な神々も卑小な神々も、若い神々も年老いた神々も」[注 6]という呼びかけが行われることもあるが、これは神々の神聖な力をわかりやすく表現するための試みであり、いずれかの神がいずれかの神に従属しているという表現は見つけられない。一方でヴェーダの賛歌の中から、全ての神々がそれぞれ至高であり、それぞれ絶対的であるという表現を見つけることはたやすい[23]。
ウパニシャッド
ムクティカー(英語版)と呼ばれる108のウパニシャッドのうち、ヴァイシュナヴァ・ウパニシャッド(英語版)(ヴィシュヌ派のウパニシャッド)が14存在する[24]。これらがいつ編纂されたものかははっきりとはわかっていないが、紀元前1世紀頃から17世紀頃までと幅を持って見積もられている。
これらヴァイシュナヴァ・ウパニシャッドはブラフマンと呼ばれる形而上的な現実としてのヴィシュヌ、ナーラーヤナ、ラーマやあるいはヴィシュヌのアヴァターラの1つにに焦点を当てる。そして倫理から信仰の方法まで広範な話題を取り扱う[29]。