アメリカは移民の国。1940年に描かれた、移民国家アメリカの地図
2017年03月13日 ι コメント(10) ι 知る ι 歴史・文化 ι #
第二次世界大戦へと突き進んでいた時代、アメリカでは孤立主義が台頭していた。中には移民をアメリカへの脅威だとみなす者もいた。
そんな中発行されたのが、「アメリカ:多くの国々から集った1つの国民の国家(America–A Nation of One People From Many Countries)」と題された地図である。これは1940年、反不寛容評議会(Council Against Intolerance)から発行されたものだ。
インディアンを除き、全アメリカ人あるいはその先祖は他の国々からやってきた
地図にはこのイラストを担当したエマ・ボーンのこんなメッセージが入っていた。「インディアンを除き、全アメリカ人あるいはその先祖は他の国々からやってきた」
反不寛容評議会は、アメリカが常に様々な国や宗教的背景を起源とする国であったことをアメリカ人に思い出させるために、この仕事をボーンに依頼した。
ボーンのイラストは、州境を消し、1つの国を提示することで、アメリカならではの民族的・宗教的多様性を明らかにしている。
赤いリボンは、西部の日本人から東部のイタリア人まで、移民グループの集まりや彼らが定住した地域を示している。
左下の巻物には、文学・科学・産業・芸術の分野における著名なアメリカ人の名が列挙されている。中にはガーシュインやアインシュタインなど、地図が発行された年にアメリカ人となった人物も見られる。当時、地図は国の一体性を揺るがせかねない偏見と戦うため以外にも、教育用ポスターとしても利用された。
地図は、ここ数十年で広まってきた考え方の比較的初期の例である。つまり、アメリカを強くしたのはその多様性であり、違いは排除されるべきではなく、賞賛されるべきである、という理念だ。
州の境目がないアメリカ合衆国
「この類の地図が特に一般的だったということはありません。このサイズならなおさらです」と話すのは、サザンメイン大学のイアン・フォウラー氏だ。
様式的には1920年代から30年代にかけてのイラスト地図のものを拝借しているが、その地図のメッセージは非常にユニークだという。
1930年代後半から40年代半ばにかけて、反不寛容評議会の教育部門は、書籍・マニュアル・ポスターなど、各種資料を作成していた。
この評議会は、ユダヤ人左翼だった作家ジェームズ・ウォーターマン・ワイズによってニューヨークに設立された組織で、「アメリカの理想・英雄・伝統をアピールして、偏見と戦うこと」を目的としていた。
「州の境目がない合衆国を示すことで、その目的を果たしました」とフォウラー氏。「地図は移民の歴史を用いて、文化的多様性の強みを認知させ、アメリカに存在する多様性を視覚的に示しました」
ボーンはまた同時代の宗教についても強調し、さらにアイダホ州のじゃがいもやメイン州のロブスターといった具合に、各州の特産品も列挙している。
働く人々の姿は、アメリカの繁栄を生み出す上で、いかに移民が貢献したのかを示すためのものだ。
「大切なことは、地図上の誰もが作業に従事していることです。おそらく移民が、当時の国粋主義者や孤立主義者の間のステレオタイプな見方だった”怠け者”などではない、ということを示す意図があるのでしょう」
しかしそうした強みを訴える地図であっても、アフリカ系アメリカ人の扱いには苦労しており、ネイティブアメリカンに至っては一切スペースが割かれていない。
このことから、詩人ラングストン・ヒューズは、自分が所有する地図の南部に描かれた綿農夫の付近にKKKや燃える十字架についての注釈を記した。地図はエレノア・ルーズベルトの目にも留まり、彼女は後に新聞コラムの「マイ・デイ」に好意的な文章を載せている。
「残念なことに、移民のことを邪悪とみなし、アメリカが直面する問題の身代わりにしようとする傾向は、この国の歴史にずっと昔から見られ、今でも社会や政治における発言を汚染しています」とフォウラー氏はコメントする。
via:The Powerful 1940 Map That Depicts America as a Nation of Immigrants/ translated hiroching / edited by parumo