3世紀(さんせいき)は、西暦201年から西暦300年までの100年間を指す世紀。
 

目次  
1    できごと
1.1    200年代
1.2    210年代
1.3    220年代
1.4    230年代
1.5    240年代
1.6    250年代
1.7    260年代
1.8    270年代
1.9    280年代
1.10    290年代
1.11    300年代
2    文化
3    人物
3.1    地中海世界
3.2    ペルシア
3.3    インド
3.4    東アジア
3.4.1    後漢
3.4.2    魏
3.4.3    蜀
3.4.4    呉
3.4.5    西晋
3.4.6    日本
4    脚注
5    関連項目


できごと

三国時代。今日でも人気の高い小説『三国志演義』の舞台として有名である。

竹林の七賢。魏から晋にかけての政治的な混乱から遠ざかり清談をした人々で後世の中国の知識人のモデルともなった。画像は室町時代の日本の絵画。

古越州青磁の展開。三国時代から西晋にかけて複雑な意匠を伴う明器としての青磁が江南各地(浙江省・江蘇省)で製造された。画像は上海博物館所蔵の青磁神亭壺(穀倉罐)で壺の上部にある楼閣や人物像に特色がある。

箸墓古墳。日本最古級の古墳で倭迹迹日百襲姫命の墓との伝承がある。また邪馬台国畿内説では卑弥呼の墓に比定する考えもある。

ミーラン遺跡。タクラマカン砂漠の南方に位置し、西域南道のオアシス都市として各地の文化が混交した。画像はミーランの仏教寺院遺跡にあった「有翼天使」の壁画でローマ的な顔立ちが特徴的である。

パルミラ遺跡の列柱道路。パルミラ女王ゼノビアはローマの混乱に乗じて自立したが、アウレリアヌス帝によって滅ぼされた。

ドゥラ・エウロポス遺跡。ローマ帝国東端の要塞都市で257年にサーサーン朝に占領され廃墟となった。画像はこの地にあったユダヤ教のシナゴーグの壁画「モーセと燃える柴」。

コロニア・アグリッピネンシス(ケルン)。ローマ帝国内での属州各地の地位の上昇とともにガリアでも独立政権が生まれ(ガリア帝国)、この地がその首都となった。画像は220-230年代に作られた「ディオニソスのモザイク」で、ケルンのローマ・ゲルマン博物館(英語版)に所蔵されている。

ヴェネツィアにあるテトラルキア(四分割統治)の像。ディオクレティアヌスによりローマ帝国は正帝2人と副帝2人の計4人で統治されることになった。
日本では弥生時代末期から古墳時代初期にあたる。
200年代
詳細は「200年代」を参照
203年
セプティミウス・セウェルス帝がガラマンテス族を破り属州アフリカの「リメス・トリポリタヌス」を拡大する。
フォロ・ロマーノのセプティミウス・セウェルスの凱旋門が建設される。
204年 - 遼東の公孫康が楽浪郡の南に帯方郡を設置。
208年 - 中国で赤壁の戦い。劉備・孫権連合軍が曹操を破る。中国は三分の形勢となる。
210年代
詳細は「210年代」を参照
211年 - カラカラ帝が共同皇帝であった弟のゲタを粛清する。
212年 - カラカラ帝がローマ帝国の全自由民にローマ市民権を与える(アントニヌス勅令)。
215年 - カラカラ帝によるアレクサンドリア市民虐殺。
217年 - パルティア遠征中のカラカラ帝が暗殺され、マクリヌスがローマ皇帝になる。
218年 - アンティオキアの戦いでマクリヌス帝が敗北。
セウェルス家の巻き返しでエメサの神官ヘリオガバルスがローマ皇帝になる。
ヘリオガバルスはシリア・エメサの太陽神をローマのエラガバリウム神殿の主神として招来し黒石バエティルスを配置。
220年代
詳細は「220年代」を参照
220年 - 後漢の献帝の禅譲を受け曹丕が皇帝となり魏を建てる(- 265年)。九品官人法が導入される。
220年頃
ゴート族が東西に分裂。
南インドのサータヴァーハナ朝が滅亡。
221年 - 劉備が蜀(蜀漢)を建てる(- 263年)。
222年
孫権が夷陵の戦いで蜀に勝利し、自立して呉を建てる(- 280年)。三国時代が始まる。
ローマ皇帝ヘリオガバルスが暗殺され、従兄弟のアレクサンデル・セウェルスが皇帝となる。
224年 - ホルミズド平原の戦いでペルシアのアルデシール1世がパルティアのアルタバノスに勝利。
226年 - ペルシアのアルデシール1世が「エーラーンの諸王の王(シャーハーン・シャー)」の称号を名乗る(サーサーン朝ペルシアの成立)。
230年代
詳細は「230年代」を参照
230年 - ゾロアスター教がサーサーン朝の国教となる。
234年 - 五丈原の戦いで蜀の諸葛亮と魏の司馬懿が交戦。途上で諸葛亮が陣没し司馬懿は軍を退却させる。
235年 - アレクサンデル・セウェルスが暗殺されセウェルス朝が断絶。
マクシミヌス・トラクスがローマ皇帝となり、軍人皇帝時代始まる( - 284年)。
またこの時代をローマ帝国内外の社会的・経済的変動を含めて「3世紀の危機」とも呼ぶ。
238年
遼隧の戦いで遼東の公孫淵が司馬懿に滅ぼされる。
内戦からローマで六皇帝が乱立(六皇帝の年)。
この内戦を鎮圧したゴルディアヌス3世帝が即位し政局は一時的な安定を取り戻す。
239年 - 倭の女王卑弥呼が帯方郡に使者を送り、魏の明帝への奉献を願う。帯方郡の太守である劉夏は使者を魏の洛陽へ送る。明帝は詔して、卑弥呼を「親魏倭王」とし、金印紫綬・銅鏡100枚を授ける(魏の景初三年『三国志』魏書・東夷伝)。
240年代
詳細は「240年代」を参照
243年 - 倭王が魏に使者を送り、生ロ・倭錦などを献じる(魏の正始4年、『三国志』魏書・小帝紀、同東夷伝)。
244年
マッシナの戦いで、サーサーン朝のシャープール1世がローマ皇帝ゴルディアヌス3世を敗死させる。
魏の毌丘倹が高句麗に遠征し丸都城を蹂躙する。
245年 - 魏の少帝、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする(魏の正始六年、『三国志』魏書・東夷伝)。
247年 - 倭の女王卑弥呼、倭の使者を帯方郡に遣わし、狗奴国との交戦を告げる。魏は、使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を倭の大夫に与え、檄をつくって告喩する(魏の正始八年、『三国志』魏書・東夷伝)。
248年 - ローマ皇帝ピリップス・アラブスによるローマ建国一千年祭が行われる。
248年頃 - この頃、女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または台与)が女王となる。
249年 - 魏の司馬懿がクーデターを起こし、曹爽らを誅殺(高平陵の変または正始の政変)。
250年代
詳細は「250年代」を参照
250年 - ローマ皇帝デキウスのキリスト教徒迫害。
250年頃 - サーサーン朝のシャープール1世がインドのクシャーナ朝を破る。
251年 - アブリットゥスの戦いで、ローマ皇帝デキウスがゴート軍に殺害される。
255年 - 毌丘倹の乱。
257年 - サーサーン朝がユーフラテス川南岸のローマ帝国の要塞都市ドゥラ・エウロポスを征服。
260年代
詳細は「260年代」を参照
260年
シャープール1世がエデッサの戦いでローマ帝国のウァレリアヌス帝を虜囚とする。
ポストゥムスがガリアで皇帝を名乗って独立(ガリア帝国)。
魏の皇帝曹髦がクーデタに失敗して殺害され、司馬昭が擁立した曹奐が皇帝(元帝)となる。
261年
ウァレリアヌス帝の共同皇帝だった息子のガッリエヌスが単独皇帝となり、キリスト教寛容令を発布。
鮮卑索頭部の拓跋力微が魏に入貢する。
263年 - 魏が蜀を滅ぼす。魏の司馬昭が晋公となる。
264年 - 魏の司馬昭が晋王となる。
265年 - 魏の元帝の禅譲を受け、司馬炎が西晋の初代皇帝(武帝)となる( - 316年)。
266年 - 倭の女王が晋に使節を派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)。
267年 - パルミラ王国の実権をゼノビアが掌握する。
268年 - 晋が泰始律令を公布する。これは体系的な統一法典としての最初の律令。
268年/269年 - ナイススの戦いでクラウディウス・ゴティクス帝がゴート人に勝利しバルカン半島を制圧。
269年 - ウァレンティアヌス(聖ヴァレンタイン)がクラウディウス・ゴティクス帝の迫害を受けて刑死。
270年代
詳細は「270年代」を参照
271年
サーサーン朝のシャープール1世がジュンディーシャープールに医学教育のための学院を設置。
ローマ皇帝アウレリアヌスが「アウレリアヌスの城壁」を建設( - 275年)。
273年頃 - マニが刑死。
274年 - アウレリアヌス帝が凱旋式で元老院から「帝国の再建者」の称号を授与される。
この年までにアウレリアヌス帝はパルミラ王国(273年)、ガリア帝国(274年)を平定しローマ帝国の再統一を達成。
同年アウレリアヌス帝はローマに「不敗太陽神(ソル・インヴィクトゥス)」の神殿を建立する。
275年 - サーサーン朝遠征途上のアウレリアヌス帝が暗殺される。
280年代
詳細は「280年代」を参照
280年 - 晋が呉を滅ぼし中国を統一する。晋の武帝が「戸調之式」を発布し占田・課田制を開始する。
284年
ディオクレティアヌスがローマ皇帝に即位( - 305年)。専制君主制(ドミナートゥス)を導入する。
ローマ帝国の属州ガリアでバガウダエの反乱が起こる。
290年代
詳細は「290年代」を参照
292年 - グアテマラのティカルの記念碑29号に暦日が記録される。この時期よりマヤ古典期が始まる。
293年 - ディオクレティアヌスがローマ帝国のテトラルキア(四分割統治)を始める。
297年 - ディオクレティアヌスによりインディクティオ(15周年暦)が導入される。
300年代
詳細は「300年代」を参照
300年 - 晋で八王の乱が起こる(- 306年)。
300年頃 - ローマ皇帝ディオクレティアヌスにより「カピタティオ(土地税)」「ユガティオ(人頭税)」の再編がなされる。
この頃、日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓(首長墓)が現れる。
238年 - 呉の「赤烏元年(238)」の紀年銘を持つ画面帯神獣鏡出土する(山梨県西八木郡鳥居原きつね塚古墳)。
239年 - 「景初三年」の紀年銘を持つ神獣鏡が、大阪府和泉市の和泉黄金塚古墳と島根県大原郡の神原古墳から出土している。
240年 - 「□始元年」の紀年銘を持つ三角縁神獣鏡が、出土する(群馬県高崎市の芝崎古墳と兵庫県豊岡市森尾古墳)。
244年 - 「□烏七年」の紀年銘を持つ画文帯神獣鏡が、兵庫県宝塚市の安倉古墳から出土している(呉の赤烏七年)。
文化
建安の七子 - 孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀
××の七賢 - 阮籍・嵆康・山濤・劉伶・阮咸・向秀・王戎 【虐殺悪魔鬼系】