5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀。
 

目次  
1    できごと
1.1    400年代
1.2    410年代
1.3    420年代
1.4    430年代
1.5    440年代
1.6    450年代
1.7    460年代
1.8    470年代
1.9    480年代
1.10    490年代
1.11    500年代
2    文化
3    人物
3.1    地中海世界
3.1.1    フン族の帝国
3.1.2    ゲルマン諸王
3.1.3    西ローマ帝国とその周辺
3.1.4    東ローマ帝国とその周辺
3.2    西アジア
3.3    南アジア
3.4    東アジア
3.4.1    五胡十六国
3.4.2    東晋
3.4.3    南朝
3.4.4    北朝
3.4.5    柔然
3.4.6    満州
3.4.7    朝鮮半島
3.4.8    日本
4    脚注
5    関連項目


できごと[編集]
日本では倭国の古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方とヤマト王権中枢双方のの首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国は朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王が東晋から南朝にかけての江南の王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史の記述に残されており、倭の五王として知られている。
400年代[編集]
詳細は「400年代」を参照
400年代初頭 - 大王クラスの大形前方後円墳が奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。
大仙古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)が代表例。副葬品に人物埴輪が現れる。
401年 - クチャの仏僧である鳩摩羅什が長安に来訪。
402年
柔然の社崙が初めて可汗を称する。
西ローマ皇帝ホノリウスがミラノからラヴェンナへ遷都。
西ローマ帝国軍最高司令官スティリコがポルレンティアの戦いで西ゴート族の王アラリック1世に勝利。
403年 - 桓玄が東晋の安帝から帝位を簒奪( - 404年)。
404年
倭軍がもとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される(広開土王碑)。
コンスタンティノポリス大主教ヨハネス・クリュソストモスが追放される。
修道士テレマクスの死亡事故により西ローマ皇帝ホノリウスが剣闘士観戦を禁止し競技場を閉鎖。
406年 - ヴァンダル・スエビ・アラン族などの集団がライン川を渡りガリアに侵入。
408年 - 西ローマ帝国軍最高司令官スティリコが処刑される。
410年代[編集]
詳細は「410年代」を参照
410年
西ゴート人のアラリック1世がローマ市を占領し掠奪。西ローマ帝国の衰亡が決定的になる。
西ローマ帝国のブリタンニア支配の終わり。
411年
ガリシアにスエビ王国が成立する(ガリシア王国)。
カルタゴ教会会議でドナトゥス派が断罪される。
413年
東晋で劉裕による「義煕土断」が行われる。
倭国が東晋に朝貢する(東晋・義煕9、『晋書』安帝紀、『太平御覧』)。
東ローマ皇帝テオドシウス2世により首都コンスタンティノポリスの「テオドシウスの城壁」が完成する。
414年
西ローマ皇女ガッラ・プラキディアと西ゴート王アタウルフがナルボンヌで結婚。西ゴート人がイベリア半島に侵入。
高句麗の広開土王(好太王)碑建つ。
415年
ワリア王がトロサ(トゥールーズ)に遷都し西ゴート王国が自立する。
エジプトのアレクサンドリアで女性哲学者ヒュパティアがキリスト教の修道士らに惨殺される。
417年 - 東晋の劉裕が後秦を滅ぼし、一時的に洛陽・長安を奪還する。
418年
夏の赫連勃勃が長安を占領。
カルタゴ教会会議にてペラギウス主義が断罪される。
420年代[編集]
詳細は「420年代」を参照
420年 - 東晋に代わり宋を建国した劉裕が皇帝(武帝)となる。
421年
ヴェネト地方住民がアドリア海に面したラグーナ(潟)に都市を建設(ヴェネツィア建国の伝説)。
(宋・永初2年)- 倭王の讃、宋に朝貢し、宋の武帝から、除綬の詔うける(おそらく安東将軍倭国王)(『宋書』倭国伝)。
425年
(宋・元嘉2年)- 倭王の讃、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる(『宋書』倭国伝)。
エフタルがバクトリア地方に侵入。
東ローマ皇帝テオドシウス2世によりコンスタンティノポリス大学(パンディダクテリオン)が創建される。
426年
皇帝テオドシウス2世が異教神殿破壊令を発し、オリンピア祭典競技施設を破壊する。
427年
高句麗が平壌に遷都する。
詩人の陶淵明が死去。
428年 - サーサーン朝支配下のアルメニア王国で王政が廃絶される。
429年 - ガイセリック率いるゲルマン人のヴァンダル族が北アフリカにヴァンダル王国をたてる。
430年代[編集]
詳細は「430年代」を参照
430年
ヴァンダル族に包囲されたヒッポレギウスにて司教アウグスティヌスが死去。
(宋・元嘉7年)- 倭国王、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる(おそらく讃)(『宋書』文帝紀)。
430年頃 - 各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
431年 - エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。
432年
ローマ教皇シクストゥス3世の命によりローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が建立される。
パトリキウスがアイルランドでのキリスト教宣教を始める。
ヴェスヴィオ火山大噴火。
434年 - アッティラがフン族の王となる。
437年 - 西ローマ帝国将軍アエティウスがフン族を派遣し第一ブルグント王国を滅ぼす。
ヴォルムスのグンダハール王とブルグンド族が殺害されたこの事件は叙事詩『ニーベルンゲンの歌』のもととなる。
438年
(宋・元嘉15年)- これより先、倭王讃没し、弟珍立つ。この年、珍宋に朝貢し、自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める(『倭国』倭国伝)。4月、宋の文帝、珍を安東将軍倭国王とする(『宋書』文帝紀)。珍はまた倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される(『宋書』倭国伝)。
東ローマ帝国で『テオドシウス法典』が発布される。
439年
カルタゴがヴァンダル族に占領され、その王国の首都とされる。
北魏の太武帝が甘粛河西[要曖昧さ回避]の北涼を滅ぼし華北を統一。五胡十六国時代が終わり、南北朝時代が始まる。
440年代[編集]
詳細は「440年代」を参照
440-450年 - 千葉県市原市の養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。
442年 - 且渠氏により高昌国が成立。
443年
(宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。
スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。
446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
449年 - エフェソス強盗会議が開かれる。
450年代[編集]
詳細は「450年代」を参照
450年
北魏で国史の獄が起こり、崔浩らが処刑される。
宋の文帝が北伐の軍を起こすが、北魏の太武帝の反撃により長江北岸まで奪取される。
450年頃 - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
451年
カタラウヌムの戦いで西ローマ・ゴート連合軍がフン族のアッティラ王を破る。
カルケドン公会議で単性論(非カルケドン派)が異端宣告される。
452年
北魏の太武帝が宦官の宗愛により殺害される。
アッティラ率いるフン族がイタリアに進攻。マントヴァにてアッティラと教皇レオ1世の会見。
453年 - アッティラが急逝。フン族の後継者争いが起こり、息子のエラックが勝利する。
454年 - ネダオ川の戦いで、フン族の王エラックがゲピド族長アルダリックに敗北し、フン族の国家は崩壊する。
455年
ヴァレンティニアヌス3世の暗殺による西ローマ帝国でのテオドシウス朝の断絶。
ヴァンダル人のガイセリックがローマを占領。
460年代[編集]
詳細は「460年代」を参照
460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
463年
吉備氏の乱が起こる。
星川皇子の乱が起こる。
コンスタンティノポリスにストゥディオス修道院が設立される。
468年 - バシリスクス司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカのボン岬でヴァンダル王国に大敗。
470年代[編集]
詳細は「470年代」を参照
471年 - 埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した「辛亥年七月中」の干支銘を持つ金錯銘鉄剣が製作される。
475年
高句麗が百済の都漢城を制圧し、百済の蓋鹵王が戦死する。後継の文周王が熊津に遷都する。
西ゴート王エウリックがゲルマン法に基づく成文法の「エウリック法典」を編纂。
476年 - ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され、西ローマ帝国が滅亡する。
帝位は東ローマ皇帝ゼノンに返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
477年 - 倭国が宋に朝貢する(『宋書』順帝紀)。これより先、興没し、弟の武立つ。
478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)。
479年 - 中国で南朝の宋に代わり斉が成立。
480年代[編集]
詳細は「480年代」を参照
480年 - ダルマティアの支配者で西ローマ皇帝でもあったユリウス・ネポスがスパラトゥムで暗殺される。
481年
メロヴィング朝のフランク国王キルデリク1世が死去。
キルデリク1世はベルギーのトゥルネーの墓に多数の黄金の宝飾品とともに埋葬される。
キルデリク1世の息子クロヴィス1世がメロヴィング朝のフランク国王として即位。
482年 - 東ローマ皇帝ゼノンが「ヘノティコン(統一令)」を発布。
484年
ヘラートの戦いで、エフタルのアフシュワルがサーサーン朝のペーローズ1世を敗死させる。
山西省大同郊外にある北魏の吏部尚書司馬金龍墓が作られ、「彩絵人物故事漆屏(中国語版)」が置かれる。
485年 - 北魏の馮太后の摂政のもと孝文帝が均田制を実施する。翌年には三長制を実施。
486年 - ソワソンの戦いで、クロヴィス1世がガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥シアグリウスを破る。
487年 - 高車が柔然の支配から脱してジュンガリアに建国。
488年 - 東ローマ皇帝ゼノンがエデッサの学院閉鎖を命じ、教師と学生はニシビスへと移動する。
489年 - イゾンツォの戦い(英語版)で、東ゴート族長テオドリックがオドアケルに勝利しイタリアに進出。
490年代[編集]
詳細は「490年代」を参照
493年 - 東ゴート人の族長テオドリックがオドアケルを暗殺し東ゴート王国を建国。
494年 - 北魏の孝文帝が大同から洛陽に遷都。
洛陽近郊に竜門石窟寺院が建立され、漢化政策が推進される。
496年 - トルビアックの戦いでフランク王国がアラマンニ族に勝利する。
この勝利で王妃クロティルドの薦めもあり国王クロヴィス1世がランス司教レミギウスのもとカトリックに改宗する。
498年 - トルファン地方に麹氏の高昌国が興る。
500年代[編集]
詳細は「500年代」を参照
500年前後 - ベイドン山の戦いでブリトン人がアングロ・サクソン人を打ち破ったか。この事件がアーサー王伝説の起源となったか。
500年頃 - ボリビアのチチカカ湖周辺のティワナク文化が最盛期を迎える(ティワナクIV期前半)。
代表的な建築にカラササヤやそれに隣接する半地下神殿、アカパナ、カンタタリータ、プトゥニ他がある。