9世紀(きゅうせいき)は、西暦801年から西暦900年までの100年間を指す世紀。
 

目次  
1    できごと
1.1    800年代
1.2    810年代
1.3    820年代
1.4    830年代
1.5    840年代
1.6    850年代
1.7    860年代
1.8    870年代
1.9    880年代
1.10    890年代
1.11    900年代
2    フィクションのできごと
3    人物
3.1    キリスト教世界
3.1.1    フランク王国
3.1.2    イタリア
3.1.3    イングランド・スコットランド
3.1.4    東ローマ帝国
3.1.5    東欧
3.1.6    北欧
3.1.7    イベリア半島
3.2    イスラム世界
3.2.1    アッバース朝
3.2.2    イラン系諸王朝
3.2.3    その他の王朝
3.2.4    宗教指導者
3.2.5    学者・詩人
3.3    南アジア・東南アジア・チベット
3.4    東アジア
3.4.1    唐
3.4.2    日本
4    脚注
5    関連項目


できごと
日本では平安時代にあたる。
800年代[編集]
詳細は「800年代」を参照
800年頃
チチカカ湖周辺のティワナク文化(ティワナクV期前半)が最盛期を迎える。
インドのラージャスターン州ジャイプル近郊にあるチャンド・バオリの階段井戸が建設される。
801年
征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸奥へ向かう。
畿内の班田を12年に一度とする。
バルセロナ包囲戦でカール大帝がイスラム勢力に勝利しバルセロナ伯を設置。
802年
ジャヤーヴァルマン2世(英語版)がカンボジアを統一し、アンコール朝が成立。
東ローマ帝国で女帝エイレーネーが政変で廃位され、皇帝ニケフォロス1世が即位。
坂上田村麻呂が胆沢城を築く。後に鎮守府を置く。蝦夷の大墓公阿弖流為ら降伏する。
803年
カール大帝がアッバース朝のハールーン・アッ=ラシードに派遣していた使節がアーヘン宮廷に戻る。
ハールーン・アッ=ラシードから贈られた象「アブル=アッバース」を伴っての帰国となる。
ハールーン・アッ=ラシードがジャアファルを処刑。バルマク家一族を粛清。
東ローマ皇帝ニケフォロス1世との和約によりヴェネツィアが事実上の独立を勝ち取る。
坂上田村麻呂が志波城を築く。
804年
坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。
最澄と空海が唐にわたる。
805年
唐の皇帝順宗が即位し政治改革を志す(永貞の革新)が、大病で退位し憲宗が即位。
最澄が天台宗を学んで帰国。
菅野真道と藤原緒嗣との間で「徳政論争」が行われる。
806年
桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。
空海が真言宗を学んで帰国。
カール大帝による「国王分割令」(ディヴィシオ・レグノールム)。
アッバース朝が東ローマ帝国から小アジアのヘラクレアとティアナを奪う。ラーフィー・イブヌル・ライスの反乱。
807年 - 生野銀山が開坑された。
809年
ハールーン・アッ=ラシードが死去。
平城天皇が譲位し、第52代嵯峨天皇が即位(崇文の治)。
810年代[編集]
詳細は「810年代」を参照
810年 - 薬子の変。
811年 - 東ローマ皇帝ニケフォロス1世がプリスカの戦いでブルガリアのクルムに敗北し戦死。
812年 - 東ローマ皇帝ミカエル1世ランガベーがカール大帝を「フランク族の皇帝」として承認。
813年
ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラで聖ヤコブの墓が発見されたという。
アッバース朝6代カリフのアミーンが異母兄マアムーンに暗殺される。マアムーンが第7代カリフに即位。
814年
日本最初の勅撰漢詩集『凌雲集』が成立。
嵯峨天皇がその子女8人に源姓を賜い臣籍降下させる(嵯峨源氏。賜姓源氏の始まり)。
815年 - 東ローマ皇帝レオーン5世が再び聖像破壊令を出す(第二次イコノクラスム - 843年)。
816年
空海が高野山金剛峯寺を開基。
アゼルバイジャンでホッラム教徒バーバクの反乱( - 837年)。
817年 - 唐の皇帝憲宗の命で淮西節度使の呉元済が討伐される(文恬武嬉)。
818年
菅原清公らが『文華秀麗集』を編纂。
嵯峨天皇が死刑停止の宣旨(弘仁格)を公布し死刑執行が停止される( - 1156年)。
819年 - 皇帝憲宗に献じた韓愈の『論仏骨表』が勅勘を被り、韓愈が潮州刺史に左遷される。
820年代[編集]
詳細は「820年代」を参照
820年 - 東ローマ帝国でレオーン5世が暗殺され、皇帝ミカエル2世が即位しアモリア朝が成立。
821年
ホラサーンでターヒル朝が自立する。
唐と吐蕃との間で長慶会盟が結ばれる。
822年
現存最古の説話集『日本霊異記』を景戒が編集。
最澄が死去、その7日後に比叡山の大乗戒壇建立が勅許が出る。
空海が東寺(教王護国寺)を賜与される。
823年
「唐蕃会盟碑」が建てられる(チベットのトゥルナン寺(大昭寺)前の碑のみ現存)。
嵯峨天皇が譲位し、第53代淳和天皇が即位。
825年
イングランドでウェセックス王国のエグバート王がマーシアをエランダンで破る。
825年頃
イニゴ・アリスタがフランク王国に反乱を起こしナバラ王国を建国。
827年
チュニジアのアグラブ朝がシチリア島征服に着手。
菅原清公・良岑安世らが『経国集』を編纂。
828年 - エジプトのアレクサンドリアから聖マルコの遺骸がヴェネツィアに運ばれる(サン・マルコ大聖堂の起こり)。
828年頃 - 空海が綜藝種智院を創設。
829年 - ウェセックス王国のエグバートがイングランドを統一。
830年代[編集]
詳細は「830年代」を参照
830年頃 - チェック人(西スラブ族)がモラビア王国建設。
830年
唐で牛僧孺と李徳裕が争う(牛李の党争)( - 844年)。
ハッラーンにてアッバース朝カリフのマアムーンがサービア教徒に遭遇する。
カリフのマアムーンがバグダードに「知恵の館(バイト・アルヒクマ)」を建設する。
ハッラーンに続きバグダードでのギリシア語文献からアラビア語への翻訳が盛んになる。
832年 - カリフのマアムーンがクフ王のピラミッドの内部に調査隊を潜入させる。
833年
アッバース朝でムウタスィムがカリフに即位。トルコ人奴隷(マムルーク)で親衛隊を組織。
淳和天皇が譲位し、第54代仁明天皇が即位。
835年
唐で甘露の変が起こる。
空海が死去。
836年
アッバース朝がバグダードからサーマッラーに遷都。
プラティーハーラ朝のボージャ1世が北インドの中心地カナウジを制圧。
838年
小野篁を隠岐国に配流。
円仁が唐にわたる( - 847年)。
アモリオンの戦い。
839年 - アマルフィ共和国が独立。
840年代[編集]
詳細は「840年代」を参照
840年 - ウイグルがキルギスの攻撃により崩壊。
統一ウイグル国家の崩壊により、甘州ウイグル王国・天山ウイグル王国他の地域政権が成立。この一部がカラ・ハン朝成立に合流。
841年 - フォントノワの戦い。
842年
ストラスブールの誓い。
嵯峨上皇が死去し、承和の変が起こる。
皇太子恒貞親王が廃され、道康親王が太子となる。橘逸勢・伴健岑らが配流となり、太子の外伯父藤原良房の勢力が拡大。
吐蕃のランダルマ王が暗殺され、後継者争いから吐蕃は分裂する。
843年
ヴェルダン条約でフランク王国が3つに分裂。
コンスタンティノポリス教会会議で聖像崇敬派の最終的な勝利が確定し、イコノクラスムが終結する。
主催者は東ローマ皇帝ミカエル3世の母テオドラと総主教メトディオス1世。このことを記念して「正教勝利の主日」が制定される。
ノルウェーのオーセベリ墳丘墓に船葬用の船体(オスロのヴァイキング船博物館蔵)が埋められる。
844年 - クラビホの戦いでアストゥリアス王ラミロ1世がイスラム教徒に勝利。
845年
唐の武宗が仏教を弾圧(会昌の廃仏)。
ハンブルクがデンマーク王ホリック率いるヴァイキングに襲撃される。
846年頃 - ブハーリーがハディース『真正集(サヒーフ・アル=ブハーリー)』を完成させる。
847年 - ローマで「ボルゴの火災」。
849年
イタリアのナポリ・アマルフィ・ガエタの艦隊がイスラム艦隊に勝利(オスティアの海戦)。
東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダスによりコンスタンティノポリス大学(マグナウラ宮殿大学)が再興される。
850年代[編集]
詳細は「850年代」を参照
850年 - 仁明天皇が譲位し、第55代文徳天皇が即位。
850年頃 - 『偽イシドルス法令集』が北フランスで編纂される。
851年 - ジャングランの戦いで、ブルターニュ王エリスポエが西フランク王シャルル2世に勝利し独立を獲得。
853年 - 唐の商人欽良暉漂着。
855年 - 斉衡地震により奈良の東大寺大仏の頭部が落下する。
856年 - 懐建可汗が唐から冊封を受けて天山ウイグル王国が成立する。
858年
文徳天皇が没し、第56代清和天皇が即位。
藤原良房が臣下としては初の摂政となる。
859年
唐で裘甫の乱が起こる。
南詔王世隆が皇帝を自称する。
860年代[編集]
詳細は「860年代」を参照
860年
行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。
ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される(ルーシ・ビザンツ戦争)。
861年
日本で宣明暦が採用される。
唐で822年に作成された暦で、1685年の貞享暦への改定まで使用され続ける。
ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂がベネディクト会士による建立される。
862年 - 伝承ではノルマン人ルス族のリューリクがノブゴロド公国を建国する。ロシア国家のはじまり。
863年
ララカオン川の戦いで東ローマ帝国がアッバース朝アミールのウマル・アル=アクタに勝利。
東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。
ローマ教皇ニコラウス1世がコンスタンティノポリス総主教フォティオスを破門にする。「フォティオスの教会分裂」の始まり( - 867年)。
神泉苑にて最初の御霊会が行われる(祇園祭の始まり)。
864年
富士山貞観噴火。剗の海が埋没し富士五湖の西湖・精進湖が形成される。
カスピ海南岸にアラヴィー朝(ザイド朝)が成立。
コンクの修道士アリヴィスクスがアジャン教会所蔵の聖女フォワの聖遺物を窃取する( - 875年)。
864年頃 - 第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
865年 - デーン人がイングランド東部イースト・アングリアに上陸し各地を植民する。
866年
応天門の変がおこる。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる。
日本最初の大師号として最澄に「伝教」、円仁に「慈覚」の号が贈られる。
867年
東ローマ帝国でミカエル3世が暗殺されアモリア朝が断絶。
政変を起こしたバシレイオス1世が単独皇帝に即位しマケドニア朝が成立。
コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂アプシス半ドームの「玉座の聖母子像」のモザイクが造られる。
イランにサッファール朝が興る。
868年
唐で龐勛の乱が起こる。
エジプトにトゥールーン朝が興る。
869年
第4コンスタンティノポリス公会議による総主教フォティオスの追放( - 870年)。
デーン人(大異教徒軍)との戦いでイースト・アングリア王エドマンドが殉教する。
イラクで黒人奴隷が反乱を起こす(ザンジュの乱)。
貞観地震発生。陸奥国を大津波が襲う。
870年代[編集]
詳細は「870年代」を参照
870年 - メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。
871年 - アルフレッドがイングランド王となる( - 899年)。
873年 - サッファール朝がターヒル朝を倒しホラーサーン地方を獲得。
874年
唐の僖宗皇帝が法門寺に仏舎利ほかの宝物を寄進し封印する(法門寺地下宮殿宝物)。
『植民の書』ではノルウェー人首領インゴールヴル・アルナルソンが最初のアイスランド定住したと伝える。
シーア派の十二イマーム派では第12代イマームのムハンマド・ムンタザルが隠れイマーム(ガイバ)となったとされる。
875年
聖宝が醍醐寺を創建。
唐で黄巣の乱が起こる( - 884年)。
中央アジア最初のイラン系イスラム王朝であるサーマーン朝が興る。
イタリアにおけるカロリング朝の断絶。
876年
清和天皇が譲位し、第57代陽成天皇が即位。
淳和皇后が恒寂(恒貞親王)を開山に迎え大覚寺(旧嵯峨院)が創建される。
アンデルナハの戦いで、東フランク王ルートヴィヒ3世ら三兄弟が西フランク王シャルル2世を撃退。
877年
トゥルーン朝がシリアを併合。
キエルジー勅令により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。
ロカのヤルルン渓谷を叛徒に占領され吐蕃が滅亡する。
878年
エサンドゥーンの戦いで、イングランド王アルフレッドがヴァイキングのデーン人の侵入を撃退。ウェドモーアの和議が結ばれる。
元慶の乱が起こり藤原保則が陸奥の蝦夷平定に派遣される。
広州大虐殺(英語版)。
879年
コンスタンティノポリスの教会会議による総主教フォティオスの復権( - 880年)。
ボソにより下ブルグント王国が独立し、プロヴァンス地方がその版図となる。
クロアティアの独立がローマ教皇ヨハネス8世に認められる。
880年代[編集]
詳細は「880年代」を参照
880年
リブモント条約により西フランク王国がロレーヌ西部を放棄。カロリング家の領土相続争いが決着する。
黄巣が洛陽・長安を占領。皇帝僖宗は蜀に逃亡する。
882年 - オレグがリューリクの子イーゴリを擁してキエフを占領し、キエフ大公国を建てる。
883年 - 唐の皇帝僖宗が安化公主を南詔王隆舜に降嫁する。
884年
藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代光孝天皇が即位。
王満渡の戦いで、黄巣が唐軍に大敗し逃亡、狼虎谷にて自殺する。
885年
ノルマン人のパリ攻撃に対しパリ伯ウードやパリ司教ゴズランらが篭城戦( - 886年)。
宦官田令孜と節度使王重栄の対立から皇帝僖宗は鳳翔に逃亡。
886年
イングランド王アルフレッドがロンドンを奪還し、デーン王グスルムとの間で協定を結ぶ。
カルスを都とするバグラト朝アルメニア王国が独立。
887年
イタリアにおけるカロリング朝断絶。
光孝天皇が没し、第59代宇多天皇が即位(寛平の治)。
藤原基経が初の関白となる。これに絡み阿衡事件が起こる。
888年
最後の統一フランク王のカール3世(肥満王)が没し、統一フランク王国は分裂する。
ルドルフ1世により上ブルグント王国が独立し、スイス西部がその版図となる。
宇多天皇が仁和寺を創建。
889年 - 高望王に平姓を賜う(桓武平氏)。
890年代[編集]
詳細は「890年代」を参照
890年 - シリア北部にハムダーン朝が成立。
891年
宇多天皇が菅原道真らを登用して国政改革に着手。
ルーヴァンの戦いで、東フランク王アルヌルフがノルマン人ヴァイキングに大勝。
892年
朝鮮半島で甄萱が完山(全州)に後百済を建てる。新羅が分裂への道を歩み始める。
アッバース朝が再びバグダードに遷都。
892年頃 - 東ローマ皇帝レオーン6世により「バシリカ法典」が出される。
893年 - ブルガリア王にシメオン1世が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。
894年 - 菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
896年
パンノニア(現ハンガリー)に首長アールパードに率いられた騎馬民族マジャル人が定住。
教皇フォルモススの「死体裁判」が行われる。
この時代から次の10世紀を教皇庁の「鉄の時代」と呼び、教皇の権威は低下しローマは混乱が続く。
897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
898年 - 古マタラム王国のバリトゥン王が即位。その治世でプランバナン寺院群を建立。
899年
藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣に就任、両者の対立が激化。
カルマト派がクーファ近郊からイラク南部に勢力を拡大し反乱を起こす。
900年代[編集]
詳細は「900年代」を参照
900年 - バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。
サーマーン朝はホラーサーンとマー・ワラー・アンナフルを支配下に置き最盛期を迎える。