『新約聖書』(しんやくせいしょ、ギリシア語: Καινή Διαθήκη, ラテン語: Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。また、イスラム教でもイエスを預言者の一人として認めることから、その一部(福音書)が啓典とされている。『新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており『ヨハネの黙示録』が最後におかれている。現代で言うところのアンソロジーにあたる。「旧約聖書」「新約聖書」は、新旧の別による「旧いから無視してよい・誤っている、新しいから正しい」といった錯誤を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。内容的にはキリストが生まれる前までを旧約聖書、キリスト生誕後を新約聖書がまとめている。
目次
1 名称
2 内容
2.1 福音書
2.1.1 キリスト教で認められてきた記者
2.1.2 批判学の見解
2.2 歴史書
2.3 書簡
2.4 パウロ書簡
2.5 公同書簡
2.6 黙示文学
2.7 外典
3 言語
4 近代聖書学による批判研究
4.1 共観福音書とQ資料
4.2 書簡その他
4.3 外典
4.4 聖書研究の課題
5 成立時期
5.1 伝承
5.2 近代聖書学による推定
6 正典の成立
6.1 正典以前
6.2 正典化の動き
7 テキスト
8 日本語訳
9 関連項目
10 参考文献
11 脚注
12 外部リンク
名称
旧約、新約という名称そのものに信仰的な意味がある[1]。これは神と人間との古い契約の書が旧約聖書であり、新しい契約が新約聖書という意味である[2]。アウグスティヌスが引用したイグナティウスの「新約聖書は、旧約聖書の中に隠されており、旧約聖書は、新約聖書の中に現わされている。」[3]ということばは有名である。[4]
「新約聖書」という名称はギリシア語の「カイネー・ディアテーケー」(Καινή Διαθήκη)あるいはラテン語の「ノーヴム・テスタメントゥム」(Novum Testamentum)という言葉の訳であるが、もとはヘブライ語に由来している。「カイネー・ディアテーケー」という言葉はすでにセプトゥアギンタのエレミヤ書31:31に見ることができるが、ヘブライ語では「ベリット・ハダシャー」(ברית חדשה)である。
新約すなわち新しい契約という呼び方は、はじめイエス・キリストによって神との契約が更新されたと考えた初代教会の人々によって用いられた。2世紀のテルトゥリアヌスやラクタンティウスは神との新しい契約を示した書物の集合として「新約聖書」という言葉を用いている。ラテン教父のテルトゥリアヌスは初めてラテン語の「ノーヴム・テスタメントゥム」という言葉を用いている。たとえば『マルキオン反駁』3巻14では「これは神の言葉としてうけとられるべき二つの契約、すなわち律法と福音である」といっている。
5世紀のラテン語訳聖書(ヴルガータ)では『コリントの信徒への手紙二』3章で「新しい契約」(Novum Testamentum)という言葉が使われている。
内容
『新約聖書』の各書はすべてイエス・キリストとその教えに従うものたちの書であるが、それぞれ著者、成立時期、成立場所などが異なっている(そもそも初めから新約聖書をつくろうとして書かれたのではなく、著者、成立時期、成立場所がばらばらな書物をまとめて成立したものとされる)。同じように多くの書物の集合体である『旧約聖書』と比べると、成立期間(全書物のうちで最初のものが書かれてからすべてがまとまるまでの期間)が短いということがいえる。
以下は『新約聖書』27書と伝承による記者のリストである。[5]なお各書の呼称は、現代の日本キリスト教においてもっとも広く用いられているであろう『新共同訳聖書』における表記を用い、それ以外の呼称や略称も併記しておく。
福音書
イエスの生涯、死と復活の記録
マタイによる福音書 (マタイの福音書、マタイ書、マタイ伝) 税吏出身の使徒マタイ
マルコによる福音書 (マルコの福音書、マルコ書、マルコ伝) ペトロとパウロの弟子であったマルコ
ルカによる福音書 (ルカの福音書、ルカ書、ルカ伝) おそらくパウロの弟子であったルカ
ヨハネによる福音書 (ヨハネの福音書、ヨハネ伝) 使徒ヨハネ
キリスト教で認められてきた記者[編集]
聖書自身の自己証言と教会の伝承では『マタイ福音書』はアルフェオの子で、税吏であった使徒マタイによって書かれたとされている。『マルコ福音書』はペトロの同行者であったマルコがペトロの話をまとめたものであるという。『ルカ福音書』はパウロの協力者であった医師ルカによって書かれたとされ、『ヨハネ福音書』はイエスに「最も愛された弟子」と呼ばれたゼベダイの子ヨハネが著者であるとされてきた。
『新約聖書』は多くの記者によって書かれた書物の集合体である。伝承ではそのほとんどが使徒自身あるいは使徒の同伴者(マルコやルカ)によって書かれたと伝えられてきた。そして、この使徒性が新約聖書の正典性の根拠とされた。たとえばパピアスは140年ごろ、「長老によれば、ペトロの通訳であったマルコはキリストについて彼から聞いたことを順序的には正確ではないものの、忠実に書き取った」と書いたという(エウセビオスが『教会史』の中で、このように引用している)。さらにエウセビオスの引用によればエイレナイオスは180年ごろ、「パウロの同伴者であったルカはパウロの語った福音を記録した。その後に使徒ヨハネがエフェソスで福音書を記した」と記しているという。
批判学の見解
これらの伝承には証言自体の他の外的な証拠はない。近代以降の批判的聖書研究では伝承通りの著者でない著者を想定することが多い。『新約聖書』におさめられた各書は最初の著者だけでなく、後代の人々によって加筆修正されているとも主張される。加筆された可能性が高い部分として有名なものは『マルコ福音書』の末尾と『ヨハネ福音書』の「姦淫の女」のくだりである。
ルカ以外の3書はいずれもユダヤ戦争中のエルサレム陥落と解釈できる言及があり、これが70年の出来事であることから、3書の完成はこれを遡らないと推測されている。またルカ書は更に降ってエルサレム神殿の破壊後の完成であると考えられている。ただしルカ書の著者はルカ書の続編として使徒言行録を書いているが、使徒言行録はパウロのローマ宣教までで終わっており、後代の伝承に見られパウロ書簡の中で示唆されるイベリア宣教と、有名なネロ帝迫害下でのローマでの殉教(紀元64年頃)までは記されていない。この原因は不明である。 またイエスの奇蹟とされる事象には当時の新皇帝ウェスパシアヌスを称揚するために流布された奇蹟譚と類似するものが多い。これらの書が『新約聖書』としてまとめられたのは150年から225年ごろの間であるといわれる。福音書で最も遅い成立とされる『ヨハネ福音書』はユスティノスによる引用が見られることから紀元160年頃までには成立している。
歴史書
イエスの死後の初代教会の歴史
使徒言行録 (使徒の働き、使徒行伝、使徒行録、使徒書 別名:聖霊行伝) ルカ
書簡
書簡にはさまざまな内容のものが含まれている。歴史的キリスト教会はこれが神の啓示であるとしてきたが、批判的研究では、それらから初期のキリスト教思想がどのように発展していったかをうかがい知ることができると主張される。書簡の中には著者の名前が書かれているものもあるが、高等批評ではそれらは本当の著者というわけではないといわれる。近代以降の高等批評によって、多くの書簡が、著者とされる人物の名を借りた偽作であると主張された。
パウロ書簡
詳細は「パウロ書簡」を参照
『パウロ書簡』とは使徒パウロの手紙(歴史的キリスト教会がパウロのものとしてきた手紙)の総称である。近代の高等批評では牧会書簡だけでなく、いくつかのパウロ書簡は単にパウロの名を借りただけのものであると主張され、そのようなものは「擬似パウロ書簡」などと呼ばれる。一般に高等批評ではパウロ書簡の成立が福音書群に先立つとしている。
ローマの信徒への手紙 (ローマ人への手紙、ローマ書) パウロ
コリントの信徒への手紙一 (コリント人への手紙一、コリント前書) パウロ
コリントの信徒への手紙二 (コリント人への手紙二、コリント後書) パウロ
ガラテヤの信徒への手紙 (ガラテヤ人への手紙、ガラテヤ書) パウロ
エフェソの信徒への手紙 (エフェソ(エペソ)人への手紙、エフェソ(エペソ)書) パウロ
フィリピの信徒への手紙 (フィリピ(ピリピ)人への手紙、フィリピ(ピリピ)書) パウロ
コロサイの信徒への手紙 (コロサイ人への手紙、コロサイ書) パウロ
テサロニケの信徒への手紙一 (テサロニケ人への手紙一、テサロニケ前書) パウロ
テサロニケの信徒への手紙二 (テサロニケ人への手紙二、テサロニケ後書) パウロ
テモテへの手紙一 (テモテ前書、一テモテ) パウロ(牧会書簡)
テモテへの手紙二 (テモテ後書、二テモテ) パウロ(牧会書簡)
テトスへの手紙 (テトス書) パウロ(牧会書簡)
フィレモンへの手紙 (ピレモンへの手紙、フィレモン(ピレモン)書) パウロ
ヘブライ人への手紙 (ヘブル人への手紙、ヘブライ(ヘブル)書) (パウロか?)
公同書簡
詳細は「公同書簡」を参照
公同書簡とは特定の共同体や個人にあてられたものではなく、より広い対象にあてて書かれた書簡という意味である。各々の書物には伝承の著者たちがいるが、近代以降の批判的研究はそれらが単に使徒の権威を利用するために著者名としてその名を冠したと主張した。
ヤコブの手紙 (ヤコブ書) 主の兄弟ヤコブか?
ペトロの手紙一 (一ペトロ) ペトロ
ペトロの手紙二 (二ペトロ) ペトロ
ヨハネの手紙一 (一ヨハネ) 使徒ヨハネ
ヨハネの手紙二 (二ヨハネ) 使徒ヨハネ
ヨハネの手紙三 (三ヨハネ) 使徒ヨハネ
ユダの手紙 (ユダ書) 使徒ユダ (タダイ)と主の兄弟ユダの二説がある
黙示文学
ヨハネの黙示録 (ヨハネへの啓示)使徒ヨハネ
外典
上記の27書以外にも『新約聖書』の正典には含まれない文書群があり、外典と呼ばれる。時期や地域によってはそれらが正典に含まれていたこともある。
言語
イエス・キリストと弟子たちによって用いられていた言葉はアラム語であった(ヘブライ語という説もある)。しかし『新約聖書』のほとんどの書は「コイネー」と呼ばれる1世紀のローマ帝国内で公用的に広く用いられた口語的なギリシア語で書かれている(「アチケー(アッティカ擬古文体)」と呼ばれたいわゆる古典ギリシア語は用いられていない)。
その後、早い時期にラテン語、シリア語、コプト語などに翻訳されて多くの人々の間へと広まっていた。ある教父たちは『マタイ福音書』のオリジナルはアラム語であり[6]、ヘブライ書もヘブライ語版がオリジナルであったと伝えているが、現代の聖書学ではその説を支持する学者はきわめて少数である。