15世紀(じゅうごせいき)とは、西暦1401年から西暦1500年までの100年間を指す世紀。
目次  [非表示] 
1    15世紀の歴史
1.1    世界
1.2    日本
2    できごと
2.1    1400年代
2.2    1410年代
2.3    1420年代
2.4    1430年代
2.5    1440年代
2.6    1450年代
2.7    1460年代
2.8    1470年代
2.9    1480年代
2.10    1490年代
2.11    1500年代
3    人物
3.1    キリスト教世界
3.1.1    フランス・フランドル
3.1.2    イングランド
3.1.3    神聖ローマ帝国
3.1.4    ローマ教皇・イタリア
3.1.5    イベリア半島
3.1.6    東ローマ帝国
3.1.7    東欧
3.1.8    ロシア
3.2    イスラム世界
3.3    南アジア
3.4    東南アジア
3.5    東アジア
3.5.1    明
3.5.2    大越
3.5.3    モンゴル
3.5.4    朝鮮
3.6    日本
4    フィクションのできごと
5    脚注
6    関連項目
15世紀の歴史[編集]
世界[編集]
ヨーロッパでは1453年、オスマン帝国により東ローマ帝国が滅ぼされ、古代から続いてきたローマ帝国は完全に滅亡した(これを以て、「中世の終わり」とする場合がある)。オスマン帝国の勢力が拡大し地中海の交易を支配すると、15世紀中頃から新たな交易ルートの開拓を目指して、ポルトガル・スペインを中心に航海ブームが起き、大航海時代に突入した。1492年、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達すると大きな転機となり、ヨーロッパ諸国はしのぎを削って新大陸への進出を開始することとなる。
またフィレンツェ・ミラノ・ヴェネツィア・ローマ・ナポリの連携によるローディの和約はイタリア半島の安定をもたらし、哲学・科学・芸術などにおけるルネサンス文化は各地で発展が見られた。その影響はアルプス以北の西ヨーロッパ諸国にも及び北方ルネサンスが形成された(イタリア・ルネサンス年表も参照のこと)。
石炭がエネルギー源、暖房用として大変重要になった[1]。
日本[編集]
室町時代の中期にあたる。応仁の乱(1467年)、または明応の政変(1493年)以後は戦国時代に区分される場合もある。戦国時代には室町幕府権力の著しい低下、幕府と守護の体制の崩壊などにより、戦国大名の乱立が起き全国動乱の時代に突入した。この動乱は約1世紀に渡り続くことになる。
できごと[編集]
1400年代[編集]
詳細は「1400年代」を参照
1401年
足利義満が肥富某・僧祖阿らを明に派遣する。
土御門内裏の修繕が始まり、諸国に造内裏段銭を課する。
足利義満が李氏朝鮮に使いを派遣する。
李氏朝鮮の太宗が中国の明朝より朝鮮国王として冊封を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。
ティムールのダマスカス占領・バグダード占領。
ダマスカスとの和平交渉でティムールと歴史家イブン・ハルドゥーンが会見。
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂青銅扉の作成競技でギベルティが優勝する。
1402年
アンカラの戦いでティムールがオスマン帝国を破る。
明の燕王が建文帝を倒して第3代成祖永楽帝として即位。
足利義満が中国の明より日本国王として冊封を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。
スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王室のパラメスワラ王子がマラッカ王国を建国。
1403年
明の永楽帝が北平を都に定める。
1404年
冊封使が初めて琉球へ来琉。日明貿易(勘合貿易)始まる。
1405年
明への遠征途上のオトラルでティムールが病没。
明の成祖永楽帝が鄭和を南海遠征に派遣( - 1433年)。
1406年
ベトナムの胡朝が崩壊し明へ下る。
紫禁城の建設始まる。
1407年
パリでオルレアン公ルイがブルゴーニュ公ジャン(無畏公)の配下によって暗殺される。
朝鮮で太宗の仏教弾圧。
1408年
「永楽大典」が成立する。
足利義満死去。
1409年
ピサ教会会議。
1410年代[編集]
詳細は「1410年代」を参照
1410年
グルンヴァルド(タンネンベルク)の戦い、ポーランド王国がドイツ騎士団を破る。
鄭和の艦隊とセイロンのライガマ王国軍が交戦、鄭和は国王アラカイスワラらを捕虜とする。
周文の「芭蕉夜雨図(東京国立博物館蔵)」が描かれる。