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この項目では、宣伝手法について説明しています。その他の用法については「プロパガンダ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
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プロパガンダ(羅・英: propaganda)は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為である。
通常情報戦、心理戦もしくは宣伝戦、世論戦と和訳され、しばしば大きな政治的意味を持つ。最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、1622年に設置されたカトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide、現在の福音宣教省) の名称である[1]。ラテン語の propagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。
目次
- 1概念
- 2プロパガンダの種類
- 3プロパガンダ技術
- 4歴史
- 5国策プロパガンダ
- 6使用されるメディア・媒体
- 7プロパガンダ研究・解説・紹介資料(書籍・ドキュメンタリー映像作品)
- 8脚注
- 9参考文献
- 10関連項目
- 11外部リンク
概念
あらゆる宣伝や広告、広報活動、政治活動はプロパガンダに含まれ[1]、同義であるとも考えられている[2]。利益追求者(政治家・思想家・企業人など)や利益集団(国家・政党・企業・宗教団体など)、なかでも人々が支持しているということが自らの正当性であると主張する者にとって、支持を勝ち取り維持し続けるためのプロパガンダは重要なものとなる。対立者が存在する者にとってプロパガンダは武器の一つであり[3]、自勢力やその行動の支持を高めるプロパガンダのほかに、敵対勢力の支持を自らに向けるためのもの、または敵対勢力の支持やその行動を失墜させるためのプロパガンダも存在する。
本来のプロパガンダという語は中立的なものであるが、カトリック教会の宗教的なプロパガンダは、敵対勢力からは反感を持って語られるようになり、プロパガンダという語自体が軽蔑的に扱われ、「嘘、歪曲、情報操作、心理操作」と同義と見るようになった[1]。
またプロパガンダを思想用語として用い、積極的に利用したウラジーミル・レーニンとソビエト連邦や、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)とナチス・ドイツにおいては、情報統制と組み合わせた大規模なプロパガンダが行われるようになった(詳細は「ナチス・ドイツのプロパガンダ」を参照)。そのため西側諸国ではプロパガンダという言葉を一種の反民主主義的な価値を内包する言葉として利用されることもあるが、実際にはあらゆる国でプロパガンダは用いられており[1]、一方で国家に反対する人々もプロパガンダを用いている[4]。あらゆる政治的権力がプロパガンダを必要としている[5]。
なお市民的及び政治的権利に関する国際規約は、戦争や人種差別を扇動するあらゆるプロパガンダを法律で禁止することを締約国に求めている[6]。
報酬の有無を問わず、プロパガンダを行なう者達を「プロパガンディスト」と呼ぶ。
プロパガンダの種類
プロパガンダには大別して以下の分類が存在する。
- ホワイトプロパガンダ
- 情報の発信元がはっきりしており、事実に基づく情報で構成されたプロパガンダ[1]。
- ブラックプロパガンダ(英語版)
- 情報の発信元を偽ったり、虚偽や誇張が含まれるプロパガンダ[1]。
- グレープロパガンダ
- 発信元が曖昧であったり、真実かどうか不明なプロパガンダ[1]。
- カウンタープロパガンダ
- 敵のプロパガンダに対抗するためのプロパガンダ[1]。
プロパガンダ技術
神戸大空襲直後の廃墟に兵庫県警察部湊川警察署が掲示したポスター。「楠公の霊地だ、断じて守れ」
アメリカ合衆国の宣伝分析研究所(英語版)は、プロパガンダ技術を分析し、次の7手法をあげている[7]。
- ネーム・コーリング - レッテル貼り。攻撃対象をネガティブなイメージと結びつける(恐怖に訴える論証)。
- カードスタッキング - 自らの主張に都合のいい事柄を強調し、都合の悪い事柄を隠蔽、または捏造だと強調する。本来はトランプの「イカサマ」の意。情報操作が典型的例。マスコミ統制。
- バンドワゴン - その事柄が世の中の趨勢であるように宣伝する。人間は本能的に集団から疎外されることを恐れる性質があり、自らの主張が世の中の趨勢であると錯覚させることで引きつけることが出来る。(衆人に訴える論証)
- 証言利用 - 「信憑性がある」とされる人に語らせることで、自らの主張に説得性を高めようとする(権威に訴える論証)。
- 平凡化 - その考えのメリットを、民衆のメリットと結びつける。
- 転移 - 何かの威信や非難を別のものに持ち込む。たとえば愛国心を表彰する感情的な転移として国旗を掲げる。
- 華麗な言葉による普遍化 - 対象となるものを、普遍的や道徳的と考えられている言葉と結びつける。
また、ロバート・チャルディーニ(英語版)は、人がなぜ動かされるかと言うことを分析し、6つの説得のポイントをあげている。これは、プロパガンダの発信者が対象に対して利用すると、大きな効果を発する[8]。
- 返報性 - 人は利益が得られるという意見に従いやすい。
- コミットメントと一貫性 - 人は自らの意見を明確に発言すると、その意見に合致した要請に同意しやすくなる。また意見の一貫性を保つことで、社会的信用を得られると考えるようになる。
- 社会的証明 - 自らの意見が曖昧な時は、人は他の人々の行動に目を向ける。
- 好意 - 人は自分が好意を持っている人物の要請には「YES」という可能性が高まる(ハロー効果)
- 権威 - 人は対象者の「肩書き、服装、装飾品」などの権威に服従しやすい傾向がある。
- 希少性 - 人は機会を失いかけると、その機会を価値のあるものであるとみなしがちになる。
ウィスコンシン大学広告学部で初代学部長を務めたW・D・スコットは、次の6つの広告原則をあげている[9]。
- 訴求力の強さは、その対象が存在しないほうが高い。キャッチコピーはできるだけ簡単で衝撃的なものにするべきである。
- 訴求力の強さは、呼び起こされた感覚の強さに比例する。動いているもののほうが静止しているものより強烈な印象を与える。
- 注目度の高さは、その前後に来るものとの対比によって変わる。
- 対象を絞り、その対象にわかりやすくする。
- 注目度の高さは、目に触れる回数や反復数によって影響される。
- 注目度の高さは、呼び起こされた感情の強さに比例する。
J.A.C.Brownによれば、宣伝の第一段階は「注意を引く」ことである。具体的には、激しい情緒にとらわれた人間が暗示を受けやすくなることを利用し、欲望を喚起した上、その欲望を満足させ得るものは自分だけであることを暗示する方法をとる[10]。またL.Lowenthal,N.Gutermanは、煽動者は不快感にひきつけられるとしている[11]。
アドルフ・ヒトラーは、宣伝手法について「宣伝効果のほとんどは人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない」「宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまで、そのスローガンを繰り返し続けることが必要である。」と、感情に訴えることの重要性を挙げている[12]。ヨーゼフ・ゲッベルスは「十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう」(=嘘も百回繰り返されれば真実となる)と述べた。
杉野定嘉は、「説得的コミュニケーションによる説得の達成」「リアリティの形成」「情報環境形成」という三つの概念を提唱している。また敵対勢力へのプロパガンダの要諦は、「絶妙の情報発信によって、相手方の認知的不協和を促進する」事である、としている[12]。
歴史
有史以来、政治のあるところにプロパガンダは存在した。ローマ帝国では皇帝の名を記した多くの建造物が造られ、皇帝の権威を市民に見せつけた。フランス革命時にはマリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と語ったとしたものや、首飾り事件に関するパンフレットがばらまかれ、反王家の気運が高まった。
プロパガンダの体系的な分析は、アテネで紀元前6世紀頃、修辞学の研究として開始されたと言われる。自分の論法の説得力を増し、反対者への逆宣伝を計画し、デマゴーグを看破する技術として、修辞学は古代ギリシャ・古代ローマにおいて大いに広まった。修辞学において代表的な人物はアリストテレス、プラトン、キケロらがあげられる。古代民主政治では、これらの技術は必要不可欠であったが、中世になるとこれらの技術は廃れて行った。
テレビやインターネットに代表される情報社会化は、プロパガンダを一層容易で、効果的なものとした。わずかな費用で多数の人々に自らの主張を伝えられるからである。現代ではあらゆる勢力のプロパガンダに触れずに生活することは困難なものとなった。
国家運営におけるプロパガンダの歴史
プロパガンダは独裁国家のみならず民主主義国家でも頻繁に行われる。写真は第二次世界大戦中にドイツ・日本の枢軸軍を「自由の女神を破壊する悪魔」として描き、戦争の大義を説こうとするアメリカ合衆国のポスター。「どうにも止まらないこの怪物を止めろ……限界まで生産せよ! これはあなたの戦争だ! 」と呼びかけている。
国家による大規模なプロパガンダの宣伝手法は、第一次世界大戦期のアメリカ合衆国における広報委員会が嚆矢とされるが、ロシア革命直後のソ連[13] で急速に発達した。 レーニンは論文[14] でプロパガンダは「教育を受けた人に教義を吹き込むために歴史と科学の論法を筋道だてて使うこと」と、扇動を「教育を受けていない人の不平不満を利用するための宣伝するもの」と定義した。レーニンは宣伝と扇動を政治闘争に不可欠なものとし、「宣伝扇動」(agitprop)という名でそれを表した。十月革命後、ボリシェヴィキ政権(ソビエト連邦)は人民に対する宣伝機関を設置し、第二次世界大戦後には社会主義国に同様の機関が設置された[15]。またヨシフ・スターリンの統治体制はアブドゥルアハマン・アフトルハーノフ(英語版)によって「テロルとプロパガンダ」の両輪によって立っていると評された[16]。そのためソ連は「世界初の宣伝国家」とも呼ばれる。
1930年代にドイツの政権を握った国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は、政権を握る前から宣伝を重視し、ヨーゼフ・ゲッベルスが創刊した「デア・アングリフ」紙や、フェルキッシャー・ベオバハター紙による激しい言論活動を行った。また膨大な量のビラやポスターを貼る手法や、突撃隊の行進などはナチス党が上り調子の政党であると国民に強く印象づけた。
ナチ党に対抗した宣伝活動を行い、「赤いゲッベルス」と呼ばれたドイツ共産党のヴィリー・ミュンツェンベルク(ドイツ語版)は著書『武器としての宣伝(Propaganda als Waffe)』において「秘密兵器としての宣伝がヒトラーの手元にあれば、戦争の危機を増大させるが、武器としての宣伝が広範な反ファシズム大衆の手にあれば、戦争の危険を弱め、平和を作り出すであろう」と述べている[17]。
ナチス党が政権を握ると、指導者であるアドルフ・ヒトラーは特にプロパガンダを重視し、ゲッベルスを大臣とする国民啓蒙・宣伝省を設置した。宣伝省は放送、出版、絵画、彫刻、映画、歌、オリンピックといったあらゆるものをプロパガンダに用い、ナチス党によるドイツとその勢力圏における独裁体制を維持し続けることに貢献した。
第二次世界大戦中は国家の総動員態勢を維持するために、日本やドイツ、イタリアなどの枢軸国、イギリスやアメリカ、ソ連などの連合国を問わず、戦争参加国でプロパガンダは特に重視された。終戦後は東西両陣営の冷戦が始まり、両陣営はプロパガンダを通して冷たい戦争を戦った。特に宇宙開発競争は、陣営の優秀さを喧伝する代表的なものである。
1950年代、中華民国政府が反共文芸を推奨し、趣旨に共鳴したzh:中華文藝獎金委員會が活躍していた。