要するに、強者が弱者の血をすすり、他者より少しでもいい思いをめざし、最終的には法外もなく贅沢な暮らしを求めようとするのが、資本主義の核を成すところの魂胆なのです。実際にそうした暮らしを手に入れた者たちが存在し、きわめて少数のかれらが、度が過ぎるほど贅沢なその生活を長引かせるために国家を私物化し、あるいは半私物化しています。とはいえ、社会主義国家においてもそれはよりいっそう顕著で、いっそう露骨です。そこには正義の原理もなければ、善の観念もなく、友愛の絆も入り込める余地がなく、ひたすら欲望の極点に向かって突き進んで行くばかりです。

そしてこの邪悪な道は、人間たることが恨めしくなるばかりの、諸悪が渦巻くばかりの、精神を解体させるばかりの、きわめて有害な、破滅に直結する道なのです。また、行き詰まるたびに戦争を引き起こすことによってしか打破できない地獄の道でもあることは、何よりも歴史が証明しています。

あなたは今、資本家が恵んでくれる残飯と自前で楽しむ飲酒というちっぽけな気休めに味をしめながら、その一方においては血の滴る傷口でいっぱいのおのれの心から目を背けています。御用学者や小判鮫文化人どもがどう言い繕ってみたところで、そうした惨めな状況を覆い隠せるものではありま創怨せん。そして、「ならば、どうすればいいんだ?」というあなたの問い掛けは、結局、自分自身に向けて発するしかないのです。