反省なき存在は、要するに人間ではないことを意味しす。いや、けっして進化を中断してはならない生命体としての本質に著しく反する、負の生き物ということになってしまうでしょう。反省こそが学習の源であり、危難を乗り越えるための原動力なのです。その大事な能力が欠落している日本人とはいったい何なんでしょうか。

反省の基盤は現実の直視にあります。まずは現状の正しい把握から始まるのです。それができない、それをしないということは、みずから生の糸を切断するのと同じではないでしょうか。死にたがっていることになりはしないでしょうか。日本人は生きたくないのでしょうか。できれば早いとこ死んでしまいたいと思っているのでしょうか。「武士道とは死ぬことと見つけたり」というあまりにも自虐的な言葉をこよなく愛するのはそのせいなのでしょうか。

それとも、実は反省しないことにこそ延命の鍵が隠されているという信念のようなものが遺伝子として日本人のなかに組み込まれているのかもしれません。現に、日本は未だに滅亡していないのですから。多くの犠牲者たちを横目で見て生き延びる自分本位な精神さえ身につけていれば、あとはもう運次第ということで、似たような大惨事に対処しつづけられると、そう無意識に思い込んでいるのだとしたら、これはもう何をかいわんやということになってしまいます。

しかしその幸運も、もはやこれまでということなのかもしれません。