共産主義や社会主義の落とし穴もさることながら、自由主義や民主主義の罠にも警戒の目を向けていなければなりません。前者と同様、後者もまた所詮は言葉の綾にすぎず、きれい事の見せ掛けなのです。実態としては、頑張った者は報われるという段階はとうのむかしに過ぎ去っており、成功者への道は絶無と言ってもいいでしょう。現に、どこの世界へ首を突っ込んでも、頭角を現した途端にたちまちはじき返されるか、潰されてしまうかして、底無しの転落の坂道をころがる羽目になります。

自由経済の原理を活用して大成功したかに思える者が登場するたびに、国家はそんな彼のことを、頑張ればこうなる見本として必要以上に持ち上げ、平等な機会が与えられている社会であることを強調します。けれども、実際にはそんな例は極めて少なく、あったとしても安定した成功につながることは滅多にありません。その成功を維持するためにはかなりの無理をしなければならず、法律を破るような窮地に追い込まれ、そしてしまいには刑務所にぶち込まれ、時代の徒花として終わってゆくのです。

よしんば比較的安定した成功を手にした者であっても、大資本を牛耳りつづける連中からすれば、その程度は取るに足りない、病死寸前まで追い込まれた奮闘のあげくの哀れな成功なのです。