この期に及んでまだ、涙ぐましいというか、憐れを催してしまうほど東京電力や政府の肩を持とうとしている、文化人もどきがいます。その理由は何でしょう。これまで太鼓持ち役を務めてきて頂戴したお礼の金の力がまだ尾を引いているのでしょうか。それとも、いずれそのうち東京電力が一流企業として元通りに復活すると読み、これまでのように飴をしゃぶらせてもらおうという魂胆のもとに、尤もらしい理屈を並べて、世のため、国家のため、人のためのような言い方を真顔で繰り返し、ふたたび目を掛けてもらえる機会に期待し、さかんにアピールしているのでしょうか。

あの人たちは世間におのれの正体がまったくばれていないと思っているのでしょうか。文化とも知識とも教養とも、はたまた真っ当な人間としても無縁な、どこまでも心根の卑しい、恥ずべき輩として見抜かれていることに気がついていないのでしょうか。あるいは、それを承知で欲を優先させられるほど鉄面皮なのでしょうか。それとも、そんな生き方を余儀なくされるほど生い立ちが悲惨だったのでしょうか。

自分が懸命に並べ立てている理屈にもならない理屈が、正義の光を浴びてもへたらない理論や思想のたぐいであると信じきっているのでしょうか。たぶん、そうなのでしょう。そのくらい愚かで、そのくらい厚かましい、悲しむべき人間ということなのでしょう。かれらを最も軽蔑しているのは、実は飴を与える側なのです。しかし、けっして口には出さず、腹のなかで、「このクズどもが」とつぶやきながら、精いっぱい尻尾を振るかれらの背中に露骨な嘲笑を浴びせているのです。