花見のどんちゃん騒ぎほど悲しくて見苦しくて哀れな光景はほかに例を見ないでしょう。満開の桜の美しさを背景に、この国の人々の心の貧しさがはっきりと透けて見えてしまうのです。恥ずかしい限りです。毎年こんなことになるのなら咲かなければよかった、いや、冬のあいだに枯れてしまえばよかったと言って、桜が泣いているように感じられてなりません。
桜を愛でるのに、どうして飲み食いが必要なのでしょうか。弁当やおやつを食べるだけならまだしも、大酒をくらって人前でぐでんぐでんに酔っぱらい、醜態を晒すことを競い合うような国民のどこがいったい奥ゆかしいと言うのでしょうか。酒を飲んで大騒ぎをしたくてたまらないという、ただそれだけの人生がいかに惨めであるかを心底理解しているのでしょうか。
本当にそんなことで誤魔化すしかない暮らしだと言い切れるのでしょうか。世擦れして、まともに生きる気力が失せ、同じ給料をもらうのなら怠けるほうが得だとする人生哲学にしがみついて余生を送るつもりの年配者ならまだしも、可能性と夢に満ちあふれた若い者が、そんな死んだも同然の環境に身を置いて、その気になりさえすればいくらでも闘える能力を桜の花びらといっしょに散らしてしまっていいものなのでしょうか。
目当ては桜そのものではなく、酒そのものにあるとすれば、二十代にして早くもあなたの人生は終わりを告げたことになるでしょう。それに気づかされたとき、いくら自棄酒をあおったところでその事実を忘れ去ることはできないのです。