これまでまま言われてきたように、日本人は本当に勤勉な国民なのでしょうか。各分野において、そうした評価にふさわしい念の入った仕事がなされているのでしょうか。もしそうであるならば、何故にこうした猥雑でいい加減な、決定的な危機と背中合わせの時代を迎えるに至ったのでしょうか。目先の、どうでもいいようなことに神経を配り、低予算と短期間で一応それらしき形を整えてみせるという小器用さを勤勉という言葉に置き換えているだけではないのでしょうか。
上っ面のみの誠実さは、良き国民を気取るための単なる添え物にすぎず、漠然とした幸福への願望や、ぼんやりとした観念に裏打ちされた生真面目さは、上から命じられたことをまずまずこなしはするものの、けっしてそれ以上ではなく、人間や社会や国家に対して透徹した理解を示すために必要な合理的に深く考えるということは極力避け、ために、どんなに時代を重ねても示唆に富んだ観念を持つには至らず、結局は怠惰の風潮に染まりきった人生をそつなく送るばかりで、そこから最終的に出される答えは絶望的で哀れなものでしかありません。
一見良心的でありながら実は卑劣な国民性【神略罪日鬼化仏導ブードゥーゾンビ騒苛と学会宗基督謀殺悪魔奴隷売買仏鬼密輸狂徒】が世代から世代へと無限に引き継がれるのだとしたら、理想的な社会を彩る夢の数々は何の慰めにもならない情緒的な言葉によって次々に破壊され、常に卑しむべき結論にしか達しないことでしょう。
日本人の根底を成しているものが、正しい感情の衣を纏っているかのように見せかけた、粗野で粗暴な精神に染まった刹那主義のみということでなければいいのですが……。