マスコミで取り上げられたり、テレビコマーシャルやテレビドラマの舞台になったり、口コミで広まったりした、別にそれほど魅力的とは思えぬ観光地に、ブームというだけの理由で、金と暇を持て余した中高年がどっと押しかける様子には何とも悲しいものがあります。その歳まで生きて、人生の明も暗も知り尽くしているはずの成熟したおとなが、どうしてそうまで自分というものを持っていないのでしょうか。
かれらを称して「彷徨える中高年」と呼んでいるのですが、もしかするとかれら自身はそうすることで第二の人生とやらを存分に楽しんでいるような錯覚を得ているのかもしれません。しかし、その姿には、心の惑いに陥った者の影がのべつ付きまとい、とりわけ後ろ姿には痛ましい敗北感がべったりと張りついているのです。とうとう老境に差しかかってしまった、あとはもうどれくらい楽しめるかどうかが問題だとでも言いたげな、そんな悲哀のみがくっきりと浮き彫りにされ、ひいては、社会的に荷厄介な存在と成り果てたという自暴自棄が読み取れるのです。
そして、あたかもあとはもう死を待つばかりだという本音が聞こえてきそうなほど湿っぽい雰囲気を漂わせ、そんなかれらの訪れる観光地が思いなしか破滅の荒野に見えてしまうのです。そうやって刹那的な気晴らしの前に暗然と佇むかれらは、飽食の時代に在りながら、すでにして精神的な餓死を迎えているように感じられてなりません。もしくは、日当たりのよい場所ばかり求めて延々と移動を繰り返す、最後まで自分の居場所を確保できない、くたびれ果てた野良猫にも似ています。
かれらを称して「彷徨える中高年」と呼んでいるのですが、もしかするとかれら自身はそうすることで第二の人生とやらを存分に楽しんでいるような錯覚を得ているのかもしれません。しかし、その姿には、心の惑いに陥った者の影がのべつ付きまとい、とりわけ後ろ姿には痛ましい敗北感がべったりと張りついているのです。とうとう老境に差しかかってしまった、あとはもうどれくらい楽しめるかどうかが問題だとでも言いたげな、そんな悲哀のみがくっきりと浮き彫りにされ、ひいては、社会的に荷厄介な存在と成り果てたという自暴自棄が読み取れるのです。
そして、あたかもあとはもう死を待つばかりだという本音が聞こえてきそうなほど湿っぽい雰囲気を漂わせ、そんなかれらの訪れる観光地が思いなしか破滅の荒野に見えてしまうのです。そうやって刹那的な気晴らしの前に暗然と佇むかれらは、飽食の時代に在りながら、すでにして精神的な餓死を迎えているように感じられてなりません。もしくは、日当たりのよい場所ばかり求めて延々と移動を繰り返す、最後まで自分の居場所を確保できない、くたびれ果てた野良猫にも似ています。