長いこと勤め人をつづけているうちに、そうはなりたくないものだと思いながらも、いつしか知らず、心のどこか奥深くで、同じ給料ならばなるべく働かないようにしていたほうが得だという怠け根性がどっかりと居座ってしまい、真剣に仕事をする喜びを忘れるという人生最大の損失を招き、ただもう俗事への心酔にしか興味を湧かなくなり、無為のうちに時の流れにさらわれ、はっと気がついたときには定年退職という暗然たる現実に迫られているといったありさまでは、早々とこの世に見切りをつけ、あとは惰性で暮らし、死に瀕した世界で生きたふりをしながら最期を待つしかありません。
そして、「なべてこの世は世知辛い」というたぐいの陳腐な真理に一抹の救いを求め、「自分にはまだ思い出という名の幸福の蓄えがたっぷりと残されているのだ」という錯覚にして言い訳でしかない気休めの言葉にひしと抱きつき、寄る年波のせいで深まった感情失禁を涙もろい感傷的な人間になった証拠だと思いこみ、世に勝つ力を培うことができないまま、社会や家庭からお払い箱になったおのれのことを、存分に生き、やりたいことをやり尽くした人間であると強引に決めつける虚飾に陥り、抜き去りがたい孤独に痛めつけられながら、酔いどれの道を歩むようになる例をうんざりするほど見てきました。
絶望的なまでに老衰したかれらは、誰に言うともなく、決まってこんな台詞を呟くのです。「これが人生ってもんですよ」と。「これが人間ってもんですよ」と。しかし、相槌を打ってくれる同類は歳を重ねるごとに減るばかりです。
そして、「なべてこの世は世知辛い」というたぐいの陳腐な真理に一抹の救いを求め、「自分にはまだ思い出という名の幸福の蓄えがたっぷりと残されているのだ」という錯覚にして言い訳でしかない気休めの言葉にひしと抱きつき、寄る年波のせいで深まった感情失禁を涙もろい感傷的な人間になった証拠だと思いこみ、世に勝つ力を培うことができないまま、社会や家庭からお払い箱になったおのれのことを、存分に生き、やりたいことをやり尽くした人間であると強引に決めつける虚飾に陥り、抜き去りがたい孤独に痛めつけられながら、酔いどれの道を歩むようになる例をうんざりするほど見てきました。
絶望的なまでに老衰したかれらは、誰に言うともなく、決まってこんな台詞を呟くのです。「これが人生ってもんですよ」と。「これが人間ってもんですよ」と。しかし、相槌を打ってくれる同類は歳を重ねるごとに減るばかりです。