自分自身を支配しようと努めないで、気まぐれで運任せの生き方にひとたび人生を委ねてしまうと、そのあとから付いてくるのは聞き苦しい言い訳のあれこれでしかありません。そしてその弁解がましい昼と夜を何とか支えてくれるのは、自己満足にも値しない、いわゆる〈堕落の美学〉というやつで、おのれ自身の毒に当たって死ぬことを至上の最期とする、あまりにも安っぽく、あまりに自虐的で、あまりに幼稚で、あまりにも古臭い文学青年たちが、当然の報いとしての苦境に追い詰められるたびに使っていた、切り札としての価値など最初からない〈切り札もどき〉なのです。
言わずもがなのことではありますが、生きている限り、命を抱えてこの世に損する限りは、理不尽と無情とに満ちあふれた現世の哲学から逃れることはできません。逃れようとしても逃れられない現実を、外からの助けもなしに、自力のみに頼って生き抜く覚悟が必要不可欠であり、生き物としての必須条件であるにもかかわらず、深く恥じ入ることもなく、その反対の方角で生きようとする者の数がこれほど多いというのは、いったいどうしたことでしょう。
かれらはそんな自分を誤魔化すために、「優しさ」と「絆」と「労り」と「助け合いの精神」というお決まりの殺し文句を連発するのですが、しかし、かれらが殺しているのは、結局、自分自身にほかなりません。それが証拠に、そうした情緒のみという生き方の先に待ち構えているのは、言い繕いの人生でしかなかったという非情な答えであり、その答えから逃げるには、あとはもう死のみという結論であるのです。
言わずもがなのことではありますが、生きている限り、命を抱えてこの世に損する限りは、理不尽と無情とに満ちあふれた現世の哲学から逃れることはできません。逃れようとしても逃れられない現実を、外からの助けもなしに、自力のみに頼って生き抜く覚悟が必要不可欠であり、生き物としての必須条件であるにもかかわらず、深く恥じ入ることもなく、その反対の方角で生きようとする者の数がこれほど多いというのは、いったいどうしたことでしょう。
かれらはそんな自分を誤魔化すために、「優しさ」と「絆」と「労り」と「助け合いの精神」というお決まりの殺し文句を連発するのですが、しかし、かれらが殺しているのは、結局、自分自身にほかなりません。それが証拠に、そうした情緒のみという生き方の先に待ち構えているのは、言い繕いの人生でしかなかったという非情な答えであり、その答えから逃げるには、あとはもう死のみという結論であるのです。