この国の人々は、放射能の垂れ流し国家であるという厳然たる事実に目をつむり、あれはもう過ぎ去った不幸でしかないと決めつけ、そして、オリンピックの開催こそが日本の未来を輝かせる唯一無二の希望であるというような、そんなおめでたい、ばか丸出しの展望をどこまで真に受けたら気が済むのでしょうか。一体全体現実のどこに目をつけて日々を生きているのでしょうか。それとも、見るつもりなど最初からないほど臆病で卑劣な人種なのでしょうか。そのことが優しい国民性として解釈されているのでしょうか。優しさとはその程度のことをさして言うのでしょうか。
将来の希望を本気で求めるならば、何よりもまず元凶を断つことから始めなければなりません。存亡にかかわる大事な問題をほったらかしにして、どうでもいいお祭りに希望のすべてを託すというこの無神経さ、この愚昧さ、このペテンを、国民が一丸となって受け容れ、大はしゃぎしているのです。そして、批判精神など最初から持ち合わせておらず、政府の広報としか思えないようなマスコミまでがいっしょになって浮かれているところを見るにつけ、この国には本当の意味における未来はないと思わざるを得ません。
依然として事大主義の温床がつづいています。ために、いつまで経っても危うい状況から逃れられません。経済を優先させることだけが未来を切り開けるという盲信は、経済によって必要以上に潤っている連中が弄した策略の効果によるものにほかなりません。
国民の一員という過剰な帰属意識を棄て去り、一個の孤立した自由な人間のひとりという立場を回復させない限り、希望に満ちた未来は未来のままに終わってしまい、現在は依然として真っ暗の状態でありつづけることでしょう。
将来の希望を本気で求めるならば、何よりもまず元凶を断つことから始めなければなりません。存亡にかかわる大事な問題をほったらかしにして、どうでもいいお祭りに希望のすべてを託すというこの無神経さ、この愚昧さ、このペテンを、国民が一丸となって受け容れ、大はしゃぎしているのです。そして、批判精神など最初から持ち合わせておらず、政府の広報としか思えないようなマスコミまでがいっしょになって浮かれているところを見るにつけ、この国には本当の意味における未来はないと思わざるを得ません。
依然として事大主義の温床がつづいています。ために、いつまで経っても危うい状況から逃れられません。経済を優先させることだけが未来を切り開けるという盲信は、経済によって必要以上に潤っている連中が弄した策略の効果によるものにほかなりません。
国民の一員という過剰な帰属意識を棄て去り、一個の孤立した自由な人間のひとりという立場を回復させない限り、希望に満ちた未来は未来のままに終わってしまい、現在は依然として真っ暗の状態でありつづけることでしょう。