暇だから、ほかにすることがないから、自分自身を表現する道を文学以外に見いだせないから、苛酷な現実と正面切って向き合いながら闘いの日々を重なる勇気がないから、ダメ人間としての隠れ蓑が欲しいから、惨めな境遇と惨めな立場を見え見えの夢と憧れの色に塗りこめてしまいたいから、そのためにこの世に生まれてきたと思えるほどの文学的才能にあふれているから、何をやってもパッとしなかった人生に華を添えて世間を見返してやりたいから、といった、そんなどうでもいい理由で、丸山健二文学賞に応募してきても、五千円の無駄遣いになるばかりで、得るものは何もありません。
自信と、自信過剰の差はあまりにも大きく、致命的と言えるほどで、この違いに気づくかどうかが才能の有無の分かれ道なのですが、しかし、大半は後者に属し、つまり、自分の作品のレベルがどれほどのものなのかまったく把握できておらず、従って、欠点に気がつくわけもなく、同じ失敗を延々にくり返すことになり、それでも認めてもらえない場合には自身の誤った誇りを維持するために、「偉大な作品は世に理解されないのが普通だ」などと言い訳を持ち出し、歴史的にそうであった世界的な書き手を引き合いに出すことで溜飲を下げるという、よくある穴に落ちてゆくのです。
あなたが酔い痴れた作品ならば世間も当然酔い痴れるであろうという、幼稚にして傲慢な価値観をひっこめないことには、文学の新しい鉱脈は絶対に掘れません。そのことをよくよく肝に銘じておいてください。
また、自身のだらしのない生き方を肯定してもらえる場が文学であるという、ふざけ切った解釈で書いている限りは、小説らしきものであって、真の小説ではないのです。
自信と、自信過剰の差はあまりにも大きく、致命的と言えるほどで、この違いに気づくかどうかが才能の有無の分かれ道なのですが、しかし、大半は後者に属し、つまり、自分の作品のレベルがどれほどのものなのかまったく把握できておらず、従って、欠点に気がつくわけもなく、同じ失敗を延々にくり返すことになり、それでも認めてもらえない場合には自身の誤った誇りを維持するために、「偉大な作品は世に理解されないのが普通だ」などと言い訳を持ち出し、歴史的にそうであった世界的な書き手を引き合いに出すことで溜飲を下げるという、よくある穴に落ちてゆくのです。
あなたが酔い痴れた作品ならば世間も当然酔い痴れるであろうという、幼稚にして傲慢な価値観をひっこめないことには、文学の新しい鉱脈は絶対に掘れません。そのことをよくよく肝に銘じておいてください。
また、自身のだらしのない生き方を肯定してもらえる場が文学であるという、ふざけ切った解釈で書いている限りは、小説らしきものであって、真の小説ではないのです。