よくよくじっくりと考えてみてください。独りで生まれてきて死んでゆく人生なのに、どうして社会や国家に必要以上に調子を合わせて生きなければならないのでしょうか。何故にもっと自由に生きられる道を選ばないのでしょうか。風習や伝統がいったい何だと言うのでしょう。歳月の積み重ねによって神格化されたとはいえ、所詮はどこかの誰かが思いついて作ったことであり、面白半分にやったことであり、誤解と迷信と無知とによって生み出された幼稚なことであって、そんなことにいちいち付き合ったり従ったりする筋合いなどないのです。過去があって現在があり、先祖がいて今の自分がいるという、馬鹿馬鹿しいほど当たり前な事実を持ち出されることによって、その風習やその伝統を利用して自分たちの立場を保とうとする輩の常套手段に騙されてはいけません。
もし人間という存在が本当に平等であらねばと思っているのなら、そして誰とも平等に接しようと願っているのなら、社会的な地位の高低や、権力の有無や、伝統の背景の強弱や、経済的な貧富などといった価値観にどうしてそうまで振り回されているのでしょうか。実際にあなたが頻繁に口にする〈平等〉はまやかしであり、単なるお飾りとしての言い回しであり、本音は格差社会に満足し、それを望んでやまない、俗人中の俗人なのかもしれないのです。たった今、この惑星に降り立った宇宙人のような眼差しで周囲を眺め回してみてください。すると途端に、異様にして異常な人間の在り方がはっきりと見えてくるのです。そして、それを当たり前のこととして受け容れていた自分自身にも気づくはずです。そのときあなたは、自分らしい自分の人生を本当に生きていると言い切るだけの自信を持つことが果たしてできるのでしょうか。
もし人間という存在が本当に平等であらねばと思っているのなら、そして誰とも平等に接しようと願っているのなら、社会的な地位の高低や、権力の有無や、伝統の背景の強弱や、経済的な貧富などといった価値観にどうしてそうまで振り回されているのでしょうか。実際にあなたが頻繁に口にする〈平等〉はまやかしであり、単なるお飾りとしての言い回しであり、本音は格差社会に満足し、それを望んでやまない、俗人中の俗人なのかもしれないのです。たった今、この惑星に降り立った宇宙人のような眼差しで周囲を眺め回してみてください。すると途端に、異様にして異常な人間の在り方がはっきりと見えてくるのです。そして、それを当たり前のこととして受け容れていた自分自身にも気づくはずです。そのときあなたは、自分らしい自分の人生を本当に生きていると言い切るだけの自信を持つことが果たしてできるのでしょうか。